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海辺 2018年8月15日


怪談をするために集まった四人。そのうちの一人が、「地獄の釜の蓋が開く」とされる、お盆の海辺を散歩した男の話をし始める……。怪談四部作、一つ目の物語。

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 真っ暗な部屋の中で、私たちは円を描くように向かい合っていた。それぞれの顔も体も見えない、声しか聞こえない空間。
 ふと息を吸うと、濃密な海のにおいが鼻に残る。海藻の乾いたような、体にまとわりつく塩気のある臭い。同時に空気が湿り気を帯びているように感じるのは、私たちがいる場所の近くに海があるからだろうか。
「じゃあ、だれから話す?」
 参加者の一人が、声変わり前のざらざらとした声で皆に呼びかける。すると、私の隣に座っていた男が「ならば、俺が話そうじゃないか」と声を上げた。
「では、一つ目の話ですね」
「これは、ある一人の男が体験した話なんだが──」

 盆の夜、親戚が集まって酒盛りをしている最中、俺は外に出てあたりをぶらぶらと散歩していた。
 というのも、俺の親戚というのはどうも酒癖が悪く、宴もたけなわになると下戸の俺にすら酒を飲ましてくるのだ。元より酒癖の悪い父親を見てきて、さらには酒も飲めないともなれば、飲まされるのを嫌うのも当然のことで。
 俺は一人宴会を抜け出して、こうやって夜風を浴びに来たのだった。
 ふと、前を見ると自転車の前照灯が見える。ほどなくして、俺と同級生だった美紀が自転車に乗っているのがわかった。
 自転車が俺の目の前で止まり、美紀が下りてくる。
「あれ、一郎。なんでこんなところにおるの?」
「なんだ、夜の散歩にすらお前の許可がおるのか。それに、お前も人のことは言えまい」
 暗くてよく見えないが、たいていこういう口の利き方をすると美紀は怒って頬を膨らませる。今日もきっと、そうだろう。
「叔父さんたちのお酒が無くなっちゃったから、鈴木さんのところで買い足しに行くんよ。そいで、あんたは何してんのさ」
 鈴木さんというと、商店街で酒を売っているあのおじさんのことか。確かに、ここで酒を買うとなるとあの人くらいしか思いつかない。
「おっさん達から逃げてきた。で、夜の海でも見に行こうかと思ってな」
 不自然な間。
「……やめたら? というより、買い物付き合ってくんない?」
 俺は顔をしかめる。自分のすることに口出しされたというのもあるが、美紀がこういう時は何かあるときなのだ。寺の娘だからというのもあるのだろうが、危ないことに対する嗅覚は、俺の知っている誰よりもよく利く。
「なにかあるんか?」
「あんたは信じない気がするけど、盆の海は地獄の釜の蓋が開くんよ。小さいころ言われんかった、『盆の最中は、海で泳ぐんでない』って」
「迷信だろう。確かに盆の最中に海で泳いで死んだやつは多いが……見に行くだけなら、危なくもなかろうよ」
「そうでもないんよ。檀家さんにもおるんよ、夜に海から腕が出てるの見たって人」
 俺は頬を掻く。美紀はうそをつくような子でもない、というよりは嘘が苦手だ。こいつのせいで、悪ガキだった俺は何度先生から殴られたことか。
「ふうん……」
「それにさ、うち一人で夜の街歩くの怖いからさ。あんたが一緒に来てくれりゃええかな、って」
 その言葉に思わず笑う。
「お前を見たら、どんな奴でも逃げるわい。露出狂を巴投げしたのは、どこの誰だった」
 怒ったような「あれはまた……」という声の後、「まあ、とりあえず止めたかんね。なんかあったら、うちのところ来るんよ」
「わかったわかった。なんもないとは思うがな」
 美紀が自転車にまたがり、俺に手を振ってから商店街の方に漕ぎ出す。俺はというと、その後ろ姿を見送った後、砂浜に向けて歩き出した。

 昼間には海水浴客であふれる砂浜も、今は人っ子一人おらず、聞こえてくるのは波の音だけだった。とはいえ遠くに目を凝らすと、貨物船かなにか、大型の船の常夜灯が見える。
 俺は砂浜に腰を下ろす。海風が気持ちいい。台風が通り過ぎたおかげで天気が良くなったからか、海の様子も穏やかだ。元より入る気はないが、泳いでも溺れるとは考えにくい。
 ぼんやりと見える地平線を見つめながら、俺は美紀の話を思いだしていた。
 確かに『盆の海には入るな』とは昔からよく言われ続けてきたのだ。いつもは飲んだくれている父親も、盆の時に海に行こうとした時だけは血相を変えて引き留めてきた。それに、盆が終わると必ずと言っていいほど、河口に水死体が流れ着いたというニュースを見てきた。
「盆には地獄の釜の蓋が開く、ねえ……」
 いくらでも科学的な説明はできる。盆の時はああやって宴会をするせいで、酒が入る。すると体温調節のタガが外れて熱くなった酔っぱらいは、海に泳ぎに行こうと言い出す。そうして泳ぎに行くのだが、アルコールは運動能力を低下させるのだ。さらに、夜は視界が利かないせいで、溺れていても気づかれにくい。
 だから幾ら泳ぎが得意でも、盆の海に繰り出してしまうと溺死する、というわけだ。
「簡単な話じゃないか」
 ぼそりと独り言つ。それでも美紀が檀家から聞いたという、海から出てきた手の話は説明がつかないのだが。酔っぱらいの見間違い、それだけで片づけていいものか。
 ふと、俺の目に何か白いものが写る。
 そっちの方を見ると、海からにょっきりと白い腕が生えていた。
「なんだ……?」
 もしかして、溺れた人かもしれない。だとしたら、助けに行かないと。
 そう思って立ち上がった瞬間、金縛りが俺を襲った。
 息ができない。指の一本も動かせない。ただ見開いた眼で、生えている白い腕を凝視することしかできない。
 そのまま白い腕を見つめていると、腕の近くから一本、また一本と腕が伸びる。どんどん、どんどんと何本も腕が生えてくる。
 さして時間もかからず、海から生えてきた腕は白波と取って代わる。その光景を息も出来ずに眺めて居た俺へ、白い腕は手招きし始めた。
 それと同時に、足だけが海に向かって勝手に動き始める。まるで、自分が操り人形になったかのような感覚。自分の意志に反して体が動く感覚を体験するのは、初めてだった。
──このままじゃ、海にはいっちまう。
 抵抗しようにも、体のどこも動かない。俺の足はすでに海の中に浸っていた。スニーカー越しに、夏なのに妙に冷たい水の感触を感じる。
──止まれ、とまってくれ。
 そう考える間に、すでに膝まで浸っていた。
 水の流れに足を取られ、バランスを崩す。溺れそうになりながら必死に海の中で目を開くと、水の中には、腕だけがミミズのように蠢いていた。
 泡沫と化した悲鳴が、口からあふれ出る。
 俺は腕に捉まれて、そのまま暗い海の底へと引きずり込まれていった。

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