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消える。 2018年10月28日


日記に書かれていたのは、いないはずの友人の言葉。その言葉が書かれた日から、日記の内容と現実が乖離していく……。

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十月二十日
今日は妙なことがあった。
同僚で友人の山本と一緒に帰っていたときのことだ。今朝から体調が悪いと言っていたあいつが青い顔で突然、「俺が消えても、お前は覚えていてくれるよな?」と私に言ったのだ。
そんな質問をされて困惑した私が「闇金から金でも借りて首が回らなくなったのか」と聞くと、「そうではない」と返ってくる。じゃあなんだ、と聞くとあいつは言い淀んで目を泳がしていた。
何でもかんでもむやみやたらに言い切るあいつが、こんな姿を見せるなんて相当なことだ。だが、言いにくいことを無理やり言わせるのは私の良心に反する。
とりあえず、その場を収めるために「わかった、お前のことは日記に書いておくから」と約束すると、あいつは安心したかのように胸をなでおろしていた。
それでこの話は終わりなのだが……はてさて、何事も茶化しては顰蹙を買うあいつの口をあんな風に動かすとは。一体、何があったというのだろうか。

十月二十一日
今日は特に何かあったというわけではないけれど、一つ気になることがある。
昨日の日記に書いてあった山本とは一体誰だ。友人に山田や山村は居るが、山本なんて一人もいない。
とはいえ、『言いにくいことを無理に聞き出すのが良心に反する』というのは確かに私が常日頃から思っていることだし、日記のテンプレートも筆跡も間違いなく私のものだ。
誰かが私の日記を盗んで書いた、そんなことはあり得ないだろう。何より、わざわざこんないたずらをする酔狂がいるものか。うちの姉貴でさえ、こんなことはしないというのに。
兎にも角にも、書くとき以外は金庫に入れておけば誰も手は出せないはずだ。

十月二十二日
今日は私の部屋を間借りしている姉貴の誕生日だ。
昨日気づいた山本の存在が胸に引っかかっていた私は、今日の昼になるまでそのことをすっかりと忘れていた(気づいたのはスケジュール帳に書いてあったからだ)。
とりあえず夜勤明けの姉貴に連絡を入れると、新しい化粧品が欲しいらしい。とはいえ、いつも百円ショップの化粧品で適当に化粧をしている私では、何処にあるのか見当もつかない。そういうことなので、どこで買えるのかと聞くと私の職場の近くだということだ。
ということなので化粧品を買って家に帰ると、姉貴は喜んでくれたようだった。ああいう姿を見ると、送った側も嬉しいものだ。

十月二十三日
まただ。
おかしい。
存在しないはずの山本に次いで、私は一人っ子のはずなのに。
姉貴とは誰だ。遠方に住んでいる両親に聞いてみても、私は間違いなく一人っ子だった。実家から持ってきた何枚かの写真に写っているのは、父と母と私だけだ。
金庫には間違い無く入れている。それどころか、この部屋に住んでいるのは私だけのはず。
空き巣に入られたか? いや、そんな馬鹿な。鍵を壊された形跡も部屋を荒らされた形跡もない。
それとも存在しない姉貴に書かれたか? それこそ愚にもつかない考えだ。存在しないのに、どうやって書くというのか。
なにより、やはり筆跡は私のもので間違いない。同じ内容をトレーシングペーパーに書いて重ねて見ても、筆跡から字間まで殆ど同じだ。
どういうことだ。一体、私に何が起きているんだ。

十月二十四日
昨日、久しぶりに連絡を入れたからなのか、母が心配して電話をかけてきた。
とはいえ、遠方に住んでいる母を無為に不安にさせたくない。それで、「ちょっと飲み会の席で家族関係についての話になったんだ」と嘘をついてみたものの、勘の鋭い母には通用しないようだった。
仕方なくここ数日見つけた存在しない人の話をしたところ、似たような話を母も聞いたことがあるというのだ。尤も母が言うには所有者不明の日記の話だそうで、今はもう亡くなったひいおばあちゃんからずいぶん昔に聞いて、細部はほとんど覚えていないとのことだった。
けれど、日記の内容は友人や家族のような周りの人間がどんどんいなくなっていくという内容で──もちろん書いた人は両親を除き、彼らのことを覚えていない──最終的には、自分が消えることを悟った日付で日記が終わっていた。そしてその日記は、誰も住んでいないはずの団地の、空き部屋から見つかったそうだ。
怖がらせるつもりは無いと言っていたけれど、私はどうにも母の話が気になってしまう。
その書いた人、まるで今の私みたいじゃないか。
とりあえず、母からは「無理して働くんじゃないよ」とは釘を刺されたが……まさか、いつか私まで消えてしまうのか?

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十月二十五日
狂ったのは私か?
それとも世界の方が狂ったか?
母は私が小さい頃に事故で死んだはずだ。なのに、なぜ昨日の日付で、母と、話しているんだ。
あり得ない。私は荒唐無稽なタイムトラベル物の主人公じゃないんだぞ。どういうことなんだ、なんで母が生きているかのように日記が書かれているんだ。
何度も電話をかけて、父にも確認した。やっぱり、母は私が小さい頃に死んでいる。二人が二人して間違えるなんて有り得ない。
意味が分からない。訳が分からない。誰か教えてくれ。

十月二十六日
遠方で独り暮らしをしていた父親が私のもとを訪ねてきた。突然の事だったから、どうしてと聞くと、昨日の私の様子があまりにもおかしかったものだから不安になって見に来たというのだ。
父は「家事は全部やるから、お前はゆっくり休みなさい。仕事も休んでいいから」と言ってくれて、今はキッチンで夕食を作ってくれている。
私は父に全部を任せて、日記を書いている。まだ日は沈んでいないけれど、書けることは書いてしまえ。
残りはまた寝る前に

いったい私は何を書いているんだ。

父は母と一緒に死んだはずだ。なのに、どうして今、目の前に父がいるような内容で日記を書いているんだ。
確かに料理の匂いもする。小さい頃に好きだったカレーの匂いだ。目の前で鍋が湯気を立てている。そうだ、間違いなく目の前で料理が、誰が料理を?
そこにいたのは、誰?

十月二十七日
昨日の夜から、ずっと寝れていない。
何も食べていないけれど、おなかも減らない。
胃の上を締め付けるような焦げ付いたカレーの匂いがキッチンからしてくる。でも、食べる気にも触れる気にもなれない。今ほど、コンロに付いていた自動消火機能を有難く思ったことはない。
どうして、私は何も覚えていない?
一日かけて、何年も書き続けてきた日記を読み直してみた。その中には山本がいた、姉貴がいた、小さい頃に死んだはずの母と父がいた。
なのに、私は誰一人として覚えていない。

まるで消えてしまった。

そうだ。皆、本当は居たんだ。でも、どうしてなのか消えてしまった。

分かっているのは、覚えていないのに確かに消えてしまったこと。

一人、また一人と消える。

じゃあ、次は私が

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