スパークリングホラー
怖い話を集めてみた感じのサイト☆(無断転載禁止)
Menu

白い部屋 2021年4月29日


 友人から「とある相談」を受けた彼。それは毎日夢に出てくる、『白い部屋』についての相談だった。友人は『白い部屋』で毎日恐ろしい体験をするという……。

広告





 耳をすり抜けていく喧騒、饐えたタールの匂い、むせ返るような熱気。
 目だけで辺りを見回すと、男女二人が顔を赤くしながらべろべろに酔っていたり、肩身が狭そうに座っているスーツ姿の若い男が茹でダコ上司から叱責を食らっていたり、安居酒屋特有の光景が広がっている。
 その日、俺とこいつは数年ぶりに飲みに出かけていた。俺が地元を出たのと同時に付き合いが途切れていたこいつが、この近くで働いていると知ったのはつい最近の話だった。
 俺はレモンハイボールを一口飲む。氷がカランと鳴り、口の中で炭酸とレモンの香りが弾けた。
「それで、最近どうだ」
 目の前にいる枯れ木にそう訊ねる。俺が地元にいたときは精悍そのものだった男は、今ではまるで痩せこけてしまって見る影も無くなってしまった。
「仕事も生活も順調なんだけどな……」
 蚊の泣く様な、聞き取るのも難しい声でこいつは呟く。詳しく聞いてみると、精神科に通っており毎日精神安定剤や睡眠薬を飲んでいるという話だった。その証左に、毎日浴びるように飲むくらい酒好きだったこいつが飲んでいるのはソフトドリンクだ。
「なんでまた……そこまでメンタル弱いやつじゃなかっただろ」
 ついでに言えば、鬱病になるほど責任感の強く真面目なやつでもない。むしろ、いつもおちゃらけていて不真面目な男だった。それでも女性関係だけは無駄に誠実だったから、そういう類のことに巻き込まれたようにも思えない。
 精神的に病みそうな人間でもなければ、何かトラブルに巻き込まれやすいという方でもないこいつが、こんなに追い詰められているなんて珍しいことだった。
「おまえが信用できるから言う」
 こいつは目をぎょろぎょろと動かして、口を開いた。
「おまえ、『白い部屋』が夢に出てきた事あっか。『白い部屋』だよ、『白い部屋』」
 一瞬、目の前にいる奴が何を言っているのか分からなかった。
「……はあ?」
 そんな都市伝説みたいな話、突然言われて理解しろという方が難しい。というか、この男は夢に悩まされているとでもいうのか。
「なんだよその、『白い部屋』って」
「おれにも分かんねぇ、でも毎日夢に出てくんだ」
 どうも眠りに落ちると、あいつは『白い部屋』と呼んでいる場所で目覚めるらしい。その『部屋』は天井を除いて全てが真っ白い部屋で、天井だけドーム状の天窓になっているとのことだった。『白い部屋』には一つだけドアがあり、ドアを開けるとどこまでも続く廊下になっているらしい。廊下も天窓になっている天井を除いて全て真っ白で、おおよそ5メートル間隔で白い長方形の台がおいてあるそうだ。
「それで?」
 正直なことを言ってしまえば、そんな夢を見たと言われたところでどうこうという感情は起きなかった。ただの夢であることには変わりがないわけだから。
「毎日な、廊下にある台の上にな、『何か』が置かれてんだよ」
「『何か』? どんなものだ?」
「えーっと……」
 あいつは震える手で空を掻く。何かのジェスチュアらしいが、良く分からない。
「……すまん、ペンないか」
 俺が持ち合わせのボールペンを渡すと、あいつは居酒屋においてある紙ナプキンに何かの絵を描き始めた。
 特別絵心のある人間じゃないのは知っていたが、それにしたって描きにくいのも相まってか酷い絵が仕上がりそうだった。好意的に見ても『失敗して黒焦げになったモヤシ炒め』くらいのものにしか見えなかったからだ。
 描き終わったあいつが『黒焦げモヤシ炒め』を突きつける。
「……そう、こんなのが台の上に乗ってんだ」
「確かに『黒こげ料理』が台の上に乗っているのは気持ち悪いな」
 あいつは言いにくそうに口をもごもごさせた後、「すまん」といって一度席を外してトイレに行った。
 しばらくして戻ってきたあいつが口を開くと、わずかに酸っぱい臭いが漂ってきた。
「……これな、ミミズみたいなゴカイみたいなやつの寄せ集めなんだよ。台の上でグネグネって蠢いてんだ」
 そういえば、こいつはそういう類の奴が苦手なのだ。お化けやヤクザより苦手で、一種の恐怖症とも言えるくらいに。
「なるほど」
 苦手なものの塊を見て正気で居続けるというのはできそうもない。仮に苦手なネズミを突きつけられれば、自分の大切な人だって売るだろう。
「全部の台に、毛色の違う奴が載ってんだ。ミミズみたいに足がないやつの塊かと思えば、ゲジゲジみたいに髪の毛みたいな足が絡み合って縺れ合っていたり何かよくわからない肉の塊みたいのがグネグネ動いていたり、黒だったり玉虫色だったり……ともかく気持ち悪ぃんだよ」
 そう言って、こいつはノンアルコールカクテルを呷る。その手はまるでアルコール依存症患者のように震えていた。
「俺もそんなもの見たくねぇんだ、見たくねぇのに勝手に体が動く。細かい一匹一匹が分かるくらいまで、穴が開くくらいまで見つめた後に、隣の台に行ってまた、ずぅっと見つめて……で、目覚ましで目が覚めんだよ」
 確かにそんな夢を毎日見れば、憔悴もしそうだ。蜘蛛が苦手な俺なら、蜘蛛の塊みたいなものを何度も何度も見せつけられているようなものなのだろう。
 しかし、いったい何が原因でそんな夢を見るようになったのか。
「なんでそんな夢を?」
「わかんねぇよ、何かしたってわけでもなけりゃ何もしなかったってわけでもない。思い当たる節がないんだ」
「病院には……行っているよな」
「ああ。でも、薬なんて効きやしねぇ。眠剤飲んでも精神安定剤飲んでも、何をやっても夢を見て、夢にその『塊』が出てくんだ」
 突然ボロボロと大粒の涙を流し始めたこいつは「毎日、毎日だぞ……」と延々と繰り返し始めた。しかし、俺にはどうしようもない。病院がどうこうできないものを、ずぶの素人がなんとかできるとは到底思えなかったからだ。
「一度病院変えてみたらどうだ。最近だとセカンドオピニオンっていうだろう、色々な先生の意見聞いてみたらいいじゃないか」
「……今かかってる病院でもう五つ目だよ、最近じゃブラックリストに載ったのか何なのか……医者が変な目で見てくんだ」
「……」
 打つ手なし。
 そうとしか言いようがなかった。このまま話を聞き続けていても、出来ることは無いだろう。
「すみませーん、あと10分で飲み放題終了なんですが、延長しますかー?」
 店員が寄ってきて、間延びした声で俺らに話しかける。俺はあいつの方も見ないで「いや、しないです」と言って、金を払うために席を立った。

広告





 それからあまり時間は掛からなかった、あいつが自殺したという知らせが来るまでには。
 俺は弔事のために喪服を着込んで、斎場前に重い足を運ぶ。二階建ての斎場が俺を見下ろしていた。
 どんよりとした後悔のような何かが、胸を覆っていた。心が晴れないというのはこういう気分なんだろう。
 もう少しまともに聞いてやればよかっただろうか。ここまで自分を追い詰めているなんて思ってなかった。もっと親身に、皮肉なんて交えずに聞いてやればよかっただろうか。
 なにか、精神科以外にも色々と進めてやればよかっただろうか。催眠療法だとかスピリチュアルだとか、なんでもいい。効果があるかどうかは別としても、あいつが安心できるような何かをしてあげればよかっただろうか。それだけで最悪のエンディングは避けられたのかもしれない。
 いいや、ただ俺が出来る限り時間を取って、あいつの話を聞いてやるだけでも結果は変わったんじゃないだろうか。死ぬまで行かなくても、止めることはできたかもしれない。でも、俺は忙しさにかまけてあれ以来一度もあいつとは合わなかった。ただ、「忙しい」というだけであいつからの誘いすらも断った。
 それどころか、あの日ですらあいつの方を見ずに話を終えた。
 出来ることはたくさんあった、あいつがビルの上から飛び降りて肉片になる前に出来ることはたくさんあったはずなんだ。
 なのに俺は、何もしなかった。

 斎場からの帰り、俺は電車に乗りながら突然眠気に襲われた。
 どうしようもなく眠い。確かにあいつの自殺を聞いてからあまり寝られてはいないが……。でも、今まで感じたことがないくらい……。
 瞼がストンと落ち、真っ黒な闇の中に落ち込む。
 目を開けると、そこは『白い部屋』だった。
「嘘だろ……?」
 あいつの言う通り、壁から床まで真っ白いワンルームを天窓から入ってくる明るいとも暗いとも言えない程度の光が照らしていた。天井を見上げてみると、ドーム状の天窓から見える空は曇っているようだが、雲が流れているようには見えない。
 身体を検めてみると、服は喪服のままらしい。ジャケットを脱いでも何の変哲もなく、靴もしっかり履いている。
 試しに床を触ってみると暖かいとも冷たいとも言えない、まるですべてが発泡スチロールで出来ているような触感だった。しかし、叩いてみるとコンコンという硬い音が返ってきた。何ともかんともいえないような部屋だ。
 顔を上げると目の前にある壁には、こちらも白い何かでできたドアがはまっていた。
「何もかもあいつの言うとおりだ……」
 ただ一つだけ引っかかるのは、あいつが言っていたのは「自分の意志に関係なく前に進む」という話だった。今のところ、明晰夢みたいに俺は俺の意志で動いている。時間がたつと、勝手に動きだしたりするのだろうか。
 どちらにせよ、じっとしていたところでこの夢から抜け出す方法はなさそうだ。
 ドアを開け──鍵はかかっていなかった──くぐる。
 そこは廊下なんかじゃなく、まるで古い劇場のようだった。俺はステージのど真ん中に立っていて、赤いクッションの敷かれた観客席が俺を取り囲む。
 何よりも驚いたのは、そのクッションに載せられていたものだった。
「お前……?」
 クッションの上には、青ざめたあいつの生首がこちらを向いて乗せられていた。それも何百とあるであろう観客席の、二階部分にあるテラス席まで、全部に。
 あいつ『ら』の眼がパッと開く。
 あいつ『ら』の口がぱっくり割れる。
「お前が、俺を、殺した」

広告





 

白い部屋 へのコメントはまだありません