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誰もいない町 2019年1月26日


傷心旅行と称し初めて行く町をぶらついていた彼は、あまりに周りが静かなことに気が付いて、辺りを捜索し始める。

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 信じられない体験、というのは誰でも彼でもあると思う。それが例えば意中の人から告白されたというような良いことだったり、電車を待っていたら人が電車に飛び込む瞬間を目撃したというような悪いことだったり、良し悪しは様々だと思うけれど。
 ただ、どうやってもあり得ないことに出会うという経験をする人は、そうそういないのではないかと思う。いや、正確には説明がつかないというべきか。
 これは実際に僕が体験した話だ。未だに僕はこれが真実だとは思っていない。かといって全くの嘘だった、ということで片付けられるような話でもない。
 そんな、信じられない話だ。

 つい数週間前、付き合っていた彼女と僕は別れてしまった。理由は単純で、僕が仕事に打ち込みすぎて彼女のことを完全に放っておいたからだ。彼女はずっと一人で居続けることや僕が家に居ても全く会話を交わさなくなったことに耐えられず、僕と別れることを決めたのだった。
 それをきっかけに、働き方を見直すのと傷心を癒すため、そして有給休暇を消化するためと称して有給休暇を数日間取得した僕は、初めの一日二日は家でゴロゴロとして体と心を休めていた。
 ただしばらくすると、仕事ばかりしていたせいもあってゴロゴロするのに飽きてしまった。仕事が趣味に近かった僕にとって、休日にする趣味もこれと言ってなく、かといって新しい趣味を見つけるには数日という時間は短すぎた。
 そんなわけで手持ち無沙汰になってしまった僕の脳裏に、行ったことのない場所にいこうという考えが過ぎったのだった。
 もしかしたら、この時から僕はあの町に呼ばれていたのかもしれない。
 ただ、まあ、あの当時の僕にはこれが最高の選択肢だったのだ。
 僕は思い立ったが吉日とマップアプリを起動して、近くの町──何せ仕事ばかりでどこにも行ったことがなかったので候補地だらけだった──をいくつか検索し、なんとなく自然の多い場所を選んで行く予定を立てたのだった。

 翌日。仄かに地面を照らすような陽光の下、日ごろの運動不足を解消する目的も兼ねて適当な歩きやすい靴と服を着込んだ僕は、電車に乗って家から十数キロメートル離れた町に向かっていた。なんでも、その町の通称が『自然の町』だそうで、傷心旅行にはもってこいだと考えたのだった。
 窓の外をぼうっと眺めていると、建物の人工的な灰色と木々の緑の比率が少しずつ変わっていくのが分かる。目的地に近づくほど徐々に木々の比率が増えていき、建物と比べると一対九くらいになった途端、間もなく到着するといった趣旨のアナウンスが聞こえてきた。
 体が横の加速度を感じ、過ぎ去っていく風景が少しずつ形を取り戻していく。
 電車が止まり、エアの抜けるような音が聞こえて電車のドアが開いた。黒ずんだアスファルトとひび割れた点字ブロックで出来たホームに降りると、人一人見えない。大抵、こういう寂れた駅でも誰かはいるような気がするのだけれど。
──そういえば、今日は平日か。
 すっかり忘れていた。それも今は平日の昼間だ。むしろ駅を使う人の方が少ないだろう。
 一人納得して、僕は鼻腔をくすぐる緑の匂いを楽しみながら、改札へと歩き出した。
 自動改札をくぐると、申し訳程度の案内板と自販機以外何もない駅前のロータリーに出た。近くのくすんだ色をした商店は軒並みシャッターが閉まっており、にぎやかな様子は全くない。
 目の前にある歩行者用信号機が、誰もいないのに点滅を始め、赤に変わる。ほどなくして、車両用信号機が青へと変わった。
 耳を澄ます。車の音も人の声も聞こえない。
──随分静かだな……。
 どんなに寂れた町でも、車の一台くらいは走っていそうなものだけれど。それどころか、室外機からのブーンという重低音も聞こえない。風も吹いていないので、風の音すらもない。
 車両用信号機が黄色そして赤へと変わり、歩行者用信号機が青に変わる。僕は不安かそれとも期待か、少しだけ早いペースで歩き始めた。
 聞こえるのは自分の足音と衣擦れの音。この世界で音を立てているのは自分だけ。そんな環境、仕事中は殆ど、いや全くと言っていいほど無い。
──新鮮だ。
 率直な感想が脳裏に浮かぶ。それに周りを見ても誰一人いないというのも、中々新鮮だ。こんなに孤独になったこと、片手で数えるほどしかない。
──今の僕にはちょうどいいかもな。
 自虐的なセリフに思わずくすりと笑う。
 特に目的地を定めず車道に沿って歩いていく僕の後にも先にも、人はいなかった。

 歩道の真ん中で歩みを止め、周りを見回す。
──さすがにおかしいぞ。
 腕時計を見ると、電車から降りてもう二時間近く経つ。それに、二車線ある太めの道路に沿って歩いてきたはずだ。
 なのに、車一台どころか人っ子一人いない。
 確かに平日の昼間だから、人は少ないだろう。けれど、それでも散歩しているおばあちゃんやおじいちゃんがいるだろうし、荷物を運ぶトラックだっているはずだし、こんなに静かなものだろうか? 近くで何かイベントでもあって、そちらに行っているのだろうか? だとしても、車が一台も通らない説明がつかない。
 事故か何かで通行止めになったとも思えない。五キロメートルは歩いてきたのだ、もし通行止めされているなら、どこかで迂回路を指示する警官を見ているはずだ。
 初めは能天気に「静かな場所だなあ」なんて考えていたけれど、今は訳の分からない不安感と孤独感がじわじわと心の中に根を広げはじめていた。適度な孤独は喧騒から離れて自分を客観視する時間を与えてくれるけれど、過度な孤独は自分が世界から切り離されたのではないかという不安を生み出す。
 僕の心の中にあったのは、まさにその不安だった。
 とりあえずこういう時は一度駅に戻らなくては。そろそろ日も暮れてしまう。夜にこんな町の中を歩くのは勘弁だ。
 道順を確認するためにマップアプリを起動しようとスマートフォンを取り出す。すると、見たことのない電話番号から電話が来ていた。080から始まっていることから見て、携帯電話かスマートフォンからのようだ。
──誰だ?
 画面のロックを解除して、その電話番号に掛けてみる。
 数コール後、相手の電源が切れているか圏外であるために応答できないという機械的なアナウンスが流れてきた。
──なんなんだ一体……。
 とりあえず本当に重要な件であれば、また向こうからかけなおしてくるだろう。そう思い直して、僕は電話を切ってマップアプリを起動した。

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 マップアプリとGPSを頼りにして──行ったこともない町を適当に宛てもなく歩いてきたものだから土地勘が無いのだ──駅まで戻った僕は、ふと駅員室を覗き込んでみた。どんなに町に人が居なくとも、駅員室には必ず人が居るはずだ。
──誰もいない。
 トイレにでも行ったのだろうか? ならば、しばらく待てば出てくるだろう。幸運な事に、乗る予定だった電車の発車までは時間がある。
 木でできた駅構内のベンチに腰かけ、一体何が起きているのかと自問自答していた。信号も電気も改札機も、全て正常に動いている。人や車の痕跡がない以外、この世界は正常だ。
──本当にそうなのか?
 ふと思い立ち、立ち上がって自動販売機にお金を入れ、ミネラルウォーターを一本買ってみる。普通に取り出し口から出てきた。ボトルのふたを開けて、中の水を床にほんの少し零してみる。水はいつも通り黄ばんだリノリウムに落ちて、水滴をまき散らしながら広がっていった。空を見上げると、太陽は西へと傾き始めていた。
 人間が居ない以外、すべて正常だ。僕の見知った世界だった。
 もう一度駅員室を見てみる。やはり駅員さんは居なかった。
『二番ホームに電車が参ります。黄色い線の後ろまでお下がりください』
 久しぶりに聞いた人間の声に驚いたけれど、録音されている駅のアナウンスだ。機械が動いているだけ。人間がいるわけじゃない。
 とりあえずその電車に乗って帰る予定だった僕は、家に帰れば何か変わるかもしれないと思い、カード入れを取り出して自動改札機にタッチし改札をくぐった。

 立っている僕の前に電車がぴったりと止まる。
 どんな電車でも必ず止まった後に運転手さんが降りるか窓から顔を出して、停止位置を確認する。もしそんなことをしないとしても、必ず進行方向の運転室には運転手が居るのだ。
 少し歩いて運転室を見に行くと、そこには誰もいなかった。
──じゃあ、この電車はどうやって……。
 自動運転? まさか、そんな技術はまだ採用されていない。でも、それ以外に説明のつくものがない。いよいよもって、訳が分からなくなってきた。
『ドアが閉まります。ご注意ください』
 アナウンスにハッとして、反射的に空いているドアに足を踏み入れようとしたときだった。
 マナーモードにしておいたスマートフォンの振動を感じ、踏みとどまる。ポケットからスマートフォンを取り出すと、先ほど掛かってきた見たことのない番号からだった。
 画面のバーをスライドして、耳に当てる。
「もしもし」
 スピーカーから聞こえてきたのは、中学生くらいだろうか、まだ若い女性の声だった。
『乗らないで』
 プツン。ツーツーツー。
 ただ、その一言だけだった。電話はその一言で終わってしまった。ここ数時間で初めて聞いた録音以外の声は、その一言で終わってしまった。
 エアの抜けるような音ともに、ドアが閉まる。電車はそのまま速度を上げて、僕の目の前から走り去っていく。
 誰もいないはずの車内から感じた、睨みつけるような怨嗟の視線を残して。

 あれからしばらく震えが収まらなかった僕がホームにあったベンチに座って待っていると、ホームにおばあちゃんが降りてきた。すぐさま駆け寄っていって駅の名前を確認してみたところ、間違いなく僕の居た駅は目的の駅だった。
 ただ、そんなことを聞く人間が物珍しかったのだろう。おばあちゃんがどうしてそんな事を訊ねたのかと聞いてきたので、自分の体験してきた事を話してみた。
 すると、おばあちゃんは──この場所に長く住んでいる方らしく、色々と詳しい人だった──あることを教えてくれた。
 一年に一度、原因も分からず日付も決まっていないのだけれど、似たような経験をする人がいるのだとか。ただし、たいていは今の僕のように何事もないのだそうだ。だから僕もそれに巻き込まれたのではないのかというのが、おばあちゃんの見解だった。
 その後、人と話して落ち着いた僕はおばあちゃんと別れて電車に乗り──当然乗客も運転手さんもいた──何事もなく家へと帰ってから、ベッドに寝転がって誰が電話をかけてきたのかと考えつづけ、今に至る。

 これが僕の体験談だ。
 結局今も、誰が僕に電話をかけてきたのかはわからない。僕には中学生くらいの女の子の知り合いなんていないのだ。それに電車の中から感じたあの怨嗟の視線の正体も分からない。第一、電車の車内には誰もいなかったのだから。
 いや、もしかしたら『見えなかった』のかもしれない。僕が迷い込んでしまったのは、この世界と違う世界の、霊界というべきような場所にいたのかもしれない。そして『見えなかった』乗客たちは今まであの町で行方不明になった被害者たちなのかも。本当は毎日同じことが起きていて、その世界から無事に帰ることが出来るのは一年で一日だけなのかも。
 でも、それも仮定でしかない。真実は一つだというけれど、僕にはそれが分からない。
 だから僕はこの体験を、信じられない。

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