町に定期的に来る移動販売車。噂では、普通の店では手に入れられない『あるもの』を取り扱っているという。噂を聞き付けた彼は真偽を確かめようと、販売車のことを調べ始めるが……。
特徴的なアブラゼミとキジバトの鳴き声。まるでアニメのワンシーンかのような晴天。フライパンでも置けば目玉焼きが焼けそうなくらい、熱されたアスファルト。遠くには麦わら帽子を被ってタオルを首に巻いている、タンクトップ姿のおじいさんも見える。
僕はそんな典型的な夏の中で、近くのスーパーで買ってきた安いスポーツドリンクをちびちびと飲みながら、日陰にあるベンチに座り込んでいた。
「おばちゃん、ジュースちょうだい」
目の先にある移動販売車に、小学生と思わしき男子の集団が群がっている。そのうちの一人が販売車のカウンターに小銭を置くと、人がよさそうなおばちゃん──お婆さんでもお姉さんでもない、おばちゃんという表現が何よりに合いそうな中年の女性──が、ニコニコしながら男の子達に、栓を抜いた瓶入りのオレンジジュースを何本か手渡した。
「暑いからね、熱中症には気を付けるんだよ」
「ありがと、おばちゃん」
わいわいと騒ぎながら、男子の集団は移動販売車から離れていく。僕はボケっとしながら、その様子を眺めていた。
この暑い中、僕はなんと恐ろしく無意味なことをしているのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。けれど小学生の頃からオカルトハンターと呼ばれてきた僕の矜持は、この程度の暑さではへこたれそうもなかった。
『あの訪問販売車では負の感情を売っている』、そんな有り得ない噂がいつから出てきたのかは分からない。というよりは、いつからあの訪問販売車がこの町に来ているのか、ほかにどの町に行っているのか、それすらも分かっていないのだけれど。
とりあえず、良くある怪談話の例にもれず、この町ではいつの間にかそんな噂が立っていた。これが町の呪いだったり殺された妖怪の恨みだったりするのなら公民館にでも行けば資料があるのだけれど、そういうわけにもいかない類の噂だ。
一度、ここにずっと住んでいるおじいさん──僕自身は別の町で幼少期を過ごしているため、昔のこの町については何も知らない──に、噂のことを聞いたことがある。でも返ってきたのは、「何時からかはわからないが、確かにそういう噂はある」という返事だった。
以来、噂のルーツを辿るのは諦めていた。それで、実際に売買している所を押さえた方がいいだろうと考え、今みたいに来るか分からないお客さんを探しているのだった。
ふと気づくと、若い男の人が訪問販売車の前に立っている。
──もしかして、噂を聞いた人かもしれない。
たるんでいた気を引き締めた。
ここら辺では僕含め珍しい、20代前半くらいの男。流行を取り入れた不透明な金髪を、下手なワックスとスプレーで固めている。肌が荒れているのか、指先が黄ばんでいる右手で頻繁に頬を掻いていた。なんとなく大学生っぽい感じがするのは気のせいだろうか。
「おばちゃん、タバコねえかな」
にこにこしながら、おばちゃんは「有るよ、銘柄はなんだい」と男に尋ねる。男が銘柄をつぶやくと、ほどなくして棚の下からたばこの箱が出てきた。
「これで間違いないかい」
「ああ」
男がぶっきらぼうに金を出して、たばこをひったくるように取る。すぐさまセロファンを破ってたばこを一本取り出した彼は、ポケットの中から100円ライターを取り出した。そのままたばこに火をつけ、歩きながら紫煙を吐き出して移動販売車から離れていく。
どうも、僕の求めていたような人とは違うらしい。
──まあ、そんなすぐに見つかるわけもないだろう。
僕はまた気を張るのを止めて、「こんな姿を彼女に見られたら、間違いなく別れることになるな」なんてことを考えながら、空を眺めていた。
日が傾いて、オレンジ色の光が周りを満たす時間になった頃。うだるような暑さはそのままに、温度が些か下がったせいで湿気がまとわりつく時間。僕の一番嫌いな時間帯だ。
見ると、オレンジ色の光に肌を染められた男性が、訪問販売車の前に立っていた。しわだらけのスーツ姿とくすんだビジネスバッグ。会社帰りだろうか。
そんな男を見ても、おばちゃんはニコニコしながら「ご用件は?」と尋ねる。彼はというと、言いにくそうに唇を舐めたり首を動かしたりしていた。
ほどなくして、決心したように口が動いて何かをおばちゃんに伝える。声が小さすぎて、ここからでは彼の言葉は聞こえない。けれど、くしゃくしゃになった一万円札を取り出してカウンターに置いたのは見えた。
あの移動販売車の価格帯は大体把握している。でも、一番高くて五千円くらいする懐中電灯だ。一万円近い商品はない。
「あいよ、分かったよ」
おばちゃんには彼の声が聞こえていたようで、札をしまうと同時に棚の下に潜り込み、縄を取り出して彼に手渡す。彼はお礼を言うかのように、何度も頷いていた。
「ここから少し歩くと、いい場所があるから。頑張ってね」
そうして、おばちゃんは小川のある方を指さした。彼は頭を下げながら、販売車の前から歩き去っていく。
今まで見てきた数名の中では一番不可解な客だ。もしかしたら、彼が『負の感情を買った人』なのかもしれない。
僕は彼と入れ替わるように、おばちゃんの前に立った。
「すみません、先ほどの男性は何を買われたのですか?」
おばちゃんは相も変わらずニコニコしながら、「この移動販売車の売りだよ」と僕の質問に答える。でも、僕はそんな回答で満足するような人間じゃない。
「縄がですか?」
「いんや、違うよ。また別のものだよ」
「では、一体何ですか?」
「あんたは若いからねえ……いつか分かるよ」
煙に巻かれたような気がして、僕は顔を顰める。もう一度聞こうとしたとき、おばちゃんが「さあ店じまいだ」と僕に笑いかけて、シャッターを下げた。
不意を討たれた僕が固まっていると、トラックのエンジンがかかる音が聞こえ、訪問販売車が動き出した。
そのまま、おばちゃんと共に、訪問販売車はどこかに去っていく。
僕は腑に落ちない感覚と一体何を売ったのか分からないもやもやと、そして無為に時間を過ごしてしまった怒りを覚えながら、傾きながらも照り付ける陽光の中を家に向かって歩いていった。
次の日、僕が図書館で地元紙を読んでいると、ふとあのサラリーマンの顔が目に入った。尤も、僕が見た時より幾らも血色がよくて、元気そうだったけれど。
「ん?」
記事を読むと、近くの小川で首を吊った状態のまま見つかったらしい。それで、警察が自殺と事件の両方から調べているそうだ。
「やっぱり……」
直感的に、事件ではなくて自殺だと分かった。同時に、あの移動販売車が一枚嚙んでいるような気がしたけれど、どうして移動販売車で縄を買っただけの彼が自殺に追い込まれたのかはわからない。
ともかく、もっと移動販売車について調べなければ。
そう決意して、僕はいつも移動販売車が止まっている広場に向かうために、熱いアスファルトの上に足を踏み出した。
広場に行くと、今日も変わらず移動販売車が停まっていた。おばちゃんの姿も変わらない。
ただ、いつもと違うのは、おばちゃんが若い女性と言い合っているように見える──正確には、若い女性が怒鳴り散らしていておばちゃんはそれを躱している──ことだった。
「どうして売ってくれないの」
高くてヒステリックな女性の声が、僕の耳に届く。おばちゃんは相変わらず優しい、けれど困ったような声で、「何に使うか分からないからねえ……だから、簡単には売れないのさ」と反論していた。
「さっきから言ってるじゃない。ともかく、あのセクハラ上司をなんとかできればいいの」
困った表情のまま、おばちゃんは棚の下に潜り込む。ほどなくして、手に何か封筒のようなものをもって立ち上がった。
「本当だね、あんたを信じるけど……覚悟するんだよ」
女性はおばちゃんの手から、もぎ取るようにしてその封筒を奪いさる。そして、「これでやっと……」とつぶやきながら、お礼も言わずにどこかへ歩き去っていった。
すかさず僕がおばちゃんの元に走りよると、おばちゃんはまた困ったように「またあんたかい」と、僕をにらんだ。
「いったい何を売ったんですか」
「あんたにはまだ早い……いや、あんたの性格なら、分かるのにそう時間もかからないかもしれないねえ」
「どういうことですか?」
「はいはい、今日は疲れたからこれで店じまいだ」
僕の目の前で、前と同じようにシャッターが閉まる。僕は「待て」と叫んだけれど、ほどなくしてエンジン音が響き渡り、移動販売車は走り去ってしまった。
翌日。また情報収集のために新聞を読んでいると、男女二人が同時に会社の窓から落ち、頭を打って即死したという記事が載っていた。目撃者の話では当初二人は口論しているだけだったけれど、徐々にエスカレートして取っ組み合いになり、そのまま近くの窓から落ちたのだそうだ。
どうも僕には──顔写真は載っていなかったけれど──その二人のうち、女性はあの移動販売車の前で見た人のような気がしてならなかった。名前とともに出ていた年齢と外見も近いし、男性側は女性の上司だったのだそうだ。
やはり、あの移動販売車に関わって『何か』を買った人たちは、知っている限り全員が亡くなっているようだった。けれど、おばちゃんにそんなことが出来るのだろうか。
その時、ポケットに入れておいたスマートフォンが震える。見ると、彼女からの『今日会える?』というような趣旨のメッセージだった。
けれど、そのメッセージを当てた相手は僕じゃなかった。
「あら、いらっしゃい」
おばちゃんが僕に話しかけてくる。そのトーンは、いつもと違ってお客さんへ向けた声のトーンだった。
もとよりこうすれば、あの噂の真実が分かることにどうして気づかなかったのだろう。ついでに、浮気したあの女に復讐もできる。一石二鳥じゃないか。
「これで買えるもの、ありますか」
僕が一万円札を差し出すと、おばちゃんは言外の意味をくみ取ったかのようににやりと笑う。
「ああ、もちろん売ってるよ」
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