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事故多発地帯 2020年12月30日


事故に遭った彼は、入院中に日記を書き残す。その日記に書かれていた内容は家族の手によって手記という形で公開された。

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×月〇日
 私は数か月前に事故に遭った。それで今も入院中だ。
 私は、こうやってあったことを書き記すことで自分の中であったことを整理するようにと言われている。脳挫傷のせいで呂律が回りにくいが、幸いなことにものを書くことくらいはまだ出来るから。
 言語障害は一生涯付きまとい、運動能力も以前より低下するそうだ。あんな大事故を乗り越えたといえど、リハビリはこの後何年も続けなくてはいけないらしい。
 それでも、医者からの勧めもあるからこれまでにあった事をいう通り書き記そうと思う。
 まずは事故の当日の話だ。

 その日は少しでも早く会社につこうと自分の車を運転していた。前日に保護司として相談に乗って疲れていたのもあって、いつもより家を出るのが遅れたからだった。とはいえ、そこまで焦るほどでもなかったのだが。
 新車で買った車のエンジンは絶好調だし、ブレーキだっていつも通り。体調が悪いわけでもないし、眼も多少老眼があるがまだ見える。
 調子よくラジオでも聞きながら鼻唄なんて歌ったりして運転していたら、薄汚れた白い看板にくすんだ赤い文字で『この先事故多発 注意』と書かれた看板が目に入った。
 そうなのだ、この辺りはなぜか事故が多発する場所なのだ。
 何かあるというわけでもない住宅街にある一本道。緩やかな傾斜こそついているが、曲がりくねっているわけでもないまっすぐな道。
 しかしそこにあるガードレールはまるで潰した空き缶のようにひしゃげていて、両側にある家は人がいないのか蔦だらけになっている。場所によっては家のブロック塀が崩れたまま放置されているという有り様だ。
 役所も気にしてスラロームの整備やさっきみたいな看板も立てているが、それでも月に一回は事故が起きているという話を耳にするから、あまり効果はないようだった。
 通りたくないという感情はあるが、ここを通るのが会社に行くための一番で唯一の近道である以上、通らざるをえない。出来るものなら通りたくないのだが、確実に遅刻しない道はここしかないのだ。
 速度を落とす。ハンドルを握る手に力が入った。
 そろそろっと、徐行とあまり違わない速度で車を進め、目をおっぴらいて事故の原因になりそうなものを探す。今この車にぶつかっても、事故にはなるだろうが怪我はしないだろうという速度で。
 用心深く辺りを見回しながら道半ばまで着たあたりだったろうか。突然、降って湧いて出たように子供が道路の真ん中に立っていた。その子は青白い肌をした小学生くらいの子供で、近くの小学校の制服を着ていた。
 その子が、能面のような表情でぼうっと私の方を見ていた。ただ、ただ見ていた。顔は痩せこけていて、車の中からでも所々あざのようなものがあるのが見えた。
「危ないっ」
 虐待されている子だろうかなんて考えたのも一瞬で、このスピードなら止まることができる、そう思ってブレーキを踏み込んだ。しかし車は勢いをそのままに、道路をまっすぐに突っ走っていた。
「な、なんでブレーキが……」
 ともかく子供をよけようと咄嗟にハンドルを切る。ぐわんと動いた車はガードレールへと一直線に向かっていった。

 それからのことはよく覚えていないが、意識がはっきりしたときには病院のベッドに寝転がっていた。
 曰く、私はガードレールの支柱に勢いよく突っ込んだらしい。
 その衝撃でエンジンが後ろへと飛び、私の両足は粉砕骨折で全治半年。ほかにも脳挫傷や内臓破裂で、何時間にも及ぶ大手術を受けてやっと生き永らえているとのことだった。医師からは、「どうしてあなたがあんな状態で生きていたのか、さっぱりわからない」と言われるほどの大怪我だったのだ。
 ある程度回復して話せるようになってから──単独および物損だけだったため追及はそこまでひどくなかったものの──警察で色々と事情を聴かれた。
 そのとき、虐待を受けていそうだったあの子の話をしたのだが、現場近くに子供はいなかったそうなのだ。なんなら、あの日は近くの小学校は開校記念日で休みだったらしく、制服を着た子供が歩いているとは考えにくいとのことだった。
 私は間違いなくあの子供を見たと思うのだが。私の思い違いか何かだろうか?

×月▼日

 昨日の晩のことだ。消灯時間を過ぎてしばらくたったころだろうか。
 寝付けないままごろごろとしていた私の頬を、ふと一陣の風が撫でた。
 窓は開けていないはずなのにどこから来たのだろう? そう思って暗い中で目を凝らすと、廊下につながる引き戸が少しだけ開いていた。
 私の部屋は大部屋だが入院患者がいないため、誰かがトイレに行って閉め忘れたというわけでもない。看護師さんが閉め忘れるとは思えないし、消灯時間前に見た時にはしっかりしまっていたはずだ。
 疑問に思いつつ、両足が折れている以上閉めに行けない私はどうしようか悩んだ。こんなことで看護師さんを呼ぶのも良くない。かといって、ベッドから起き上がることは無理だ。
 定時巡回があるのか知らないが、それまで待つしかないのか。
 なんだか気になりながら見つめていると、開いたドアの隙間から人間が現れた。漂白されたかのような白い服で所々黒く斑点のついた雪のように白い肌の人間が。
 しかし明らかに看護師さんではない。なぜなら私の腰のあたりくらいまでしか背丈がなかったからだ。
「子供……?」
 こんな時間に子供が病院をうろついているはずがないと思ったが、もしかしたら小児病棟に入院している子が迷子になったのかもしれない。
 私はナースコールに手を伸ばした。迷子になっている子がいるとなれば話は別だ。
 そのとき、引き戸が全開になり突風が部屋を洗った。腕で思わず顔を覆うと、風の音と共に微かに「遊ぼう」という声が聞こえた気がした。
 覆った腕を離すと、引き戸の近くにはもう誰もいなかった。
「気のせいだったか……?」
 いなくなったにしては足音もなにもしなかったが……それに遊ぼうといっていたのに居なくなるなんて。
 ふと眠気が瞼を引っ張り始めたので、私はきっと見間違いだと瞼を閉じて横になった。すぐにでも私は眠りの底へと落ち込んだ。

 今日、点滴を替えに来てくれた看護師さんに話を聞くと、この病院には確かに小児科があるが、そういう入院患者はいないとのことだった。
 あの子は一体何者だろう。

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〇月◇日

 今日あった事を書き記そう。
 順調に私は回復していった。退院にはしばらくかかるだろうということではあったが、それでも寝てばかりではなく車いすを使って病院の中を動いたり中庭に出たりすることはできるようになっていた。
 リハビリもかねて中庭を散歩しているとき、私はまたあの子に出会った。東屋で休んでいると、病棟の一室に人影が見えたのだ。
「ん……?」
 目を凝らしてみると、間違いなくあの白い子供だった。その子が、前と同じように能面みたいな顔でこちらをじぃっとみていたのだ。
 やはり入院していたのか、そう思って何となく手を振り返そうとしたそのとき、子供の後ろに人影が現れた。しっかりは見えないが、身長から見て大人のようだった。
 突然、その人影があの子の髪を掴んで、引きずり倒したように見えた。
「えっ?」
 窓から消えてしまったあの子がどうなったか分からない。けれど、もし病院内で暴行なんてあったら大変だ。
 ちょうど看護師さんが近くに居たから慌てて声をかけると、彼はとても怪訝な顔をしてこう返してきた。
「金城さん、あそこは職員用の物置ですよ。あの北棟は物置とか検査室とか、そういう施設しかないんです。もしそんなことがあったらもう誰か確認しに行ってますし、患者さんは付き添いがないと北棟に入れないんですよ」
 つまり遠回しに、私が見たものは幻覚だったと返されたのだった。
 そんなわけはないと言い返えそう、そう思ったが確かに私は頭を打って幻覚を見るかもしれないという説明は受けていた。だから、私は何も言えずにただ黙り込んで、自分の部屋に戻るしかなかった。

〇月×日
 
 やはり私が見たものは幻覚なんかではなかったのだ。
 あの子はいた、あの子はいたんだ。
 さあ、遊ぼう。

追記
 私はあの人の息子だ。今は父親の様子を診ながら働いている。
 あの人は入院中に出会ったという子供にまるで憑りつかれてしまったかのように人が変わってしまった。脳に異常はないにもかかわらず、毎日毎日ベッドの上で、子供をあやすようなせん妄に襲われている。今は精神科に入院しているが、いつ治るかなんて全く予想ができないという話だ。
 そんなある日、この日記を手にした。一通り読んでみてある程度合点が行った……というか、少しだけ理解の端を掴むことができたような気がした。尤も、前提から理解しにくいのだが。
 それで児童相談所の職員をしている私は、他の人が知らないような事を一つ知っている。
 あの道のちょうど真ん中にある家で、ずいぶん昔虐待があった。子供は外からのぞかれないように遮光カーテンが引かれた部屋で、母親から虐待を受けていたそうだ。もとより無戸籍児で学校どころか検査にも行かず、誰にも気づかれていない子供だった。
 ある程度大きくなって声を上げられるようになっても、あの道は元々車通りが多く騒音のせいで叫び声は辺りに聞こえなかったと考えられるそうだ。
 そして生まれてから何年かたってようやく、腐臭が漂うこととなり近隣住民が通報、母親は逮捕されあの子は腐乱死体になって見つかった。
 父は子供と関わるのが好きで優しい人だったから、あの子から見ても魅力的な相手だったのだろう。もしかしたら、父はその子供に見染められてしまったのかもしれない。
 亡くなった子供と異常な父を結び付けていいのであれば、だが。

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