スパークリングホラー
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VHS 2020年1月31日


彼が中古ショップで買ってきたVHSテープはパッケージと中身が違っていた。試しにそれを再生し始めた彼は、信じられないものを見ることになる。

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 ずっと観たかったものの古すぎて手に入れられなかった映画のビデオが、ようやく手に入った。まさか初めて行った中古ショップにこんなレアものがあるなんて。
──酒もよし、つまみもよし、楽しみだ。
 ワクワクしながらパッケージから取り出すと、出てきたのは『The Pogo’s Fun Time』というタイトルが色褪せたラベルに書かれているビデオだった。直訳すれば『ポゴの楽しい時間』となるだろうか。
「なんだこれ。こんなビデオ、買ったつもりないんだが……」
 返品するべきか? そう思いもしたが、もしかしたら掘り出し物かもしれない。それなりに界隈には詳しいつもりの私でも聞いたことのない作品だ。面白い作品やレアものだとしたら、それはそれで価値がある。
 とりあえずビデオデッキに差し込んでみよう。使い古したビデオデッキがガチャンという音を立てて謎のビデオを飲み込む。テレビの前に置いてあるソファに座り再生ボタンを押してみると、既に巻き戻されているようで青い楕円に黄色い文字のスタンリー・フィルムズという配給会社のロゴが再生された。
「見たことのない会社だな……」
 突然、へたくそなアコーディオンとラッパで演奏されたノイズ交じりの間延びした音楽が始まる。完全に不協和音が混じっているそれで、聞いていてぞわぞわと気分が悪くなってきた。
 照明が付いて壇上が照らされる。木製のステージが現れ、赤黒く皴のついたカーテンが壁にかかっていた。ステージの中央には、椅子に縛られた小太りの男が座っていた。履いているブリーフ以外は何も着ていない。
 青い目をした外国人風の男の黒髪はぼさぼさで、猿ぐつわを何とか動かそうと口をもごもごと動かしていた。照らされた体には玉の汗が光り、目はカメラの方を向いている。明らかに逃げようとしており、その視線はこちらに助けを求めていた。
「これは……?」
 醜悪なジョークだろうか。それともこういう始まり方をする映画なのだろうか。どちらにせよ、あまり笑えるようなものでもない。
 すると、ステージの袖からタップダンスをしながらこぼれるほどの笑顔を浮かべたピエロ、いやクラウンが出てきた。赤い髪と大きな口に白い顔のクラウンはサインポールのような赤・青・白の縦ストライプの入ったつなぎを着ている。
 クラウンは中央まで珍妙なステップで歩いていくと、男の後ろに立ってから一度飛び上がった。
『はぁい、みんな大好きポゴだよぉ! 元気にしてたかな!?』ポゴはボーイソプラノを思い出させるとても高い声でつづけた。『今日はゲストを2人お招きして、とぉぉっても楽しいことをしようと思うんだ!』
 そういえば吹替を選択していないのに、日本語で吹き替えられている。外国のものだと思っていたがそうではないのか、それともローカライズされているのだろうか。
『初めに、ここにいる大きなお友達に挨拶しよぉう!』ポゴは男の隣へ歩いていき、耳に手を当て体を傾ける。『はぁい、元気!?』
 男は何としても逃れようとしているかのように、ポゴとは逆のほうに首をかしげる。しかしポゴはそれが気に食わなかったようで、先ほどまで笑っていたポゴの顔が一気に真顔へと変わった。
『楽しくないじゃぁないか……せっかく楽しいことをしようと思ったのに』
 ポゴは体を傾けるのをやめ、つなぎの胸ポケットからベルトを取り出して男の首に巻き付けた。
「えっ、なんだこれ……」
『楽しんでくれないお友達にはたぁのしんでもらおう!』
 ポゴはまたにっこりと笑い、男の首に巻き付けた紐を力いっぱい引っ張り始めた。首を絞められた男は舌と目を飛び出させ、空気を求めるかのように体を震わせる。絞殺は締め方によって気道が潰されて苦しむか数秒で失神して苦しまずに逝くかのどっちかだと聞いたことがあるが、明らかにポゴは”楽しんでもらう”ためにあえて気道を潰すように締め上げていた。
『ほーぅら、友達もとっても楽しそうだよ』
 男の顔は充血して真っ赤に染まっており、目も飛び出んばかりに見開かれている。
 私はその光景を見て、いよいよ耐えられなくなってきた。確かにグロテスクなシーンは映画の中で描かれることもあるし、ある程度は慣れていると自負している。しかしそれは、シーンとして必要だとかプロット上必要だとかそういう理由があるからこそ受け入れられるのであって、こんな明らかに無意味なスナッフフィルムのようなものを見る気は毛頭ない。ただ不快で気味が悪いだけだ。
「捨てよう。こんなビデオ、見たくもない」
 ソファに座りながらリモコンの停止ボタンを押す。すると、首を絞めているポゴがケタケタと笑い始めた。
『人の死は止められないよぉ?』
 まるでそれは、私の行動が無意味であると暗に指し示しているようなセリフだった。その言葉が真実であるかのように、ビデオの再生が止まる様子もなく目の前にある画面にはすでに白目をむき口から泡を吐き出した紫色の顔をした男がぐったりとした様子でピクピク震えていた。何度押しても何度押しても、男は死へと歩みを止めず、ポゴは殺しと笑いをやめなかった。
「どうしてだ……?」
 椅子から立ち上がり、ビデオデッキに歩いていく。取り出しボタンを押してしまえば、さすがに再生も止まるだろう。
 しかし取り出しボタンを押してもビデオが排出されることはなく、ポゴを笑わせるだけだった。むしろテレビ画面に近づいたせいで、ポゴと死にゆく男の顔がより近く見える。男のほうは失禁しているようで椅子の下に水たまりを作っており、ポゴは私に言い聞かせるように『みぃんな、死からは逃れられないのさぁ』といった。
「こうなったらコンセントだ」
 ビデオデッキの裏に回ってテレビとビデオデッキのコンセントを抜く。あまり褒められたことではないのは知っているが、この状況じゃ仕方ない。
 抜いた瞬間、ブチンという電源の切れる音の代わりにポゴの高笑いが聞こえてきた。
『ざぁんねん! みんなの楽しい時間は邪魔させないよ』
 その言葉に私は背筋を筆で撫でられるかのように鳥肌が立つ。どうしてだ、なぜ電源が入っていないのに映画が止まらないのだ。
「くそ、どういうことなんだ」
 あとできることといえばこの家から逃げることだ。幸い、行く当てはいくつもある。すると、突然体の自由が利かなくなった。
『おっと、途中退出は演者のみんなに失礼じゃないか。最後まで見るのがマナーだよっ!』
 私の逃走本能とは相反するように、足は勝手にソファへと向かう。まるで自分の体がパペットとして扱われているかのようだ。ソファに座った私の体は縛られているように身動き一つとれなかった。
 そのころにはステージの上にいる男は体を震わせることもなく、水たまりの上で苦悶の表情を浮かべながらこと切れていた。私は思わず目を背けようと首に力を入れるが、瞬きすら自由にできない状況下では筋を違えて激痛が走っただけだった。
『ゲストの一人はもう退場! じゃあ、次のゲストを呼ぼうか!』
 そういいながらポゴは死んだ男を、椅子ごと奈落へと蹴り飛ばす。それに対して見ているのであろう観客たちは悲鳴を上げることも歓声を上げることもなかった。
 ポゴが私を指さす。『さあ、次のお友達だ! レェェェッツ、ファン!』
 突然目の前が真っ暗になる。テレビから流れてくる音や開けたはいいもののほとんど手を付けていないつまみの匂い、尻に触るはずのふわふわしたソファの感覚なども消えてしまった。まるで私が体を失ってしまったようだった。
 10分? 1時間? どれくらいの時間が流れただろうか。しばらくして、突然私は強烈な光に照らされた。思わず目を背け、腕で光を遮ろうとする。しかし首も腕もどちらも全くと言っていいほど動かなかった。それと同時に聴覚も戻ったようで、先ほどまで聞いていたへたくそなBGMがより大きな音で耳に届いた。
 匂いがする。公衆便所のようなアンモニアと血が混じった匂いだ。ふわりと生暖かい風が頬を撫でる。
「なんだ……」と言おうとしたその時、口に猿ぐつわがはまっていて声が出ないことに気が付いた。目も強烈な光に慣れてきたようで、体は動かないもののあたりを見回すことができた。
 そこはあのビデオに写っていたステージの上だった。体はなにやら拘束具のようなもので固定されているらしく、私は直立姿勢で顔からつま先まで板のようなものに固定されていた。
「たすけてくれ」という叫びも猿ぐつわに吸い込まれ、もごもごというほかない。拘束を解こうと暴れてみても、がっちりと固定されていて、一切体が動かない。私が今できることは、光景を余すことなく撮ろうとしているカメラのレンズを見つめるほかになかった。
「やあ! 2人目の、お友達だぁ!」
 ポゴの声がはっきりと後ろから聞こえる。見たくない、聞きたくないものがいよいよ私に迫ってきた。
「さぁさぁさぁ! 楽しもう!」
 ポゴの顔が私に接吻するかのように覆いかぶさる。粉っぽいセメントみたいな化粧品の匂いと血を飲み込んだかのような腐臭が鼻腔を満たし、ポゴの目に浮かんでいる獲物を逃がさんとする眼光に射すくめられた私は、ただ恐怖におののく以外にできなかった。

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隣人X 2020年1月29日


隣室から聞こえる悲鳴や深夜に出される黒いごみ袋、殴打するような音……彼女は異常行動を繰り返す隣人を不審に思うが、親友にたしなめられる。そして親友の勧めで管理人に連絡を入れたとき……。

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 何かそれなりに重いものが落ちた振動とドスンという騒音が足元の床と鼓膜を音楽とともに揺らす。私はつけていたイヤホンを外し、部屋の窓から外を見た。工事している様子も事故が起きたような様子も見当たらない。
「またか……」
 ぼそりとつぶやき、私はもう一度耳にイヤホンをはめる。
 ここ最近、休日の昼間はいつもこうだ。平日は仕事なのでわからないけれど、おそらくずっと似たような音は響いているのだろう。うるさいと言って苦情を出すことも考えたものの、夜に騒がしくしているわけでもないのだから中々苦情を出すのも難しい。
 原因はつい数週間前に引っ越してきた隣人のせいだ。
 深夜に悲鳴とも歓声とも取れないものが聞こえたのが始まりだった。何かと思ってドアをノックしたら、グレー色のスウェットを着た髪の薄い小男が出てきて、「FPSゲームでちょっといろいろあっただけだ」という一言を残してドアを閉められた。
 まあ一回や二回ならいいやとあの時は思ったのだけれど、この騒音と振動が何週間も続いているのなら話は別だ。おそらくあの小男が何か作業を──家具の組み立てか分解か──しているのだろう、しかし問題はそれがあまりにも長いこと。
 引っ越してからすぐならまだしも、先週もこんな感じだったし、先々週もこんな感じ。何かが落ちる振動と物を切断する騒音が昼間はずっと聞こえてくる。それにこのアパートに住んでいるのは私くらいだから、苦情を入れるなら私が入れるしかない。
 と、そんなことを考えていたらプレイリストの中に入っている音楽が終わってしまった。なぜかループ再生するのを忘れていたらしい。
 仕方なく最初の音楽へと画面をスクロールして戻り、私は聞こえてくる騒音をかき消すようにイヤホンの音量を上げた。聞こえさえしなければ、見えさえしなければ、存在しないようなものなのだ。

 数日後、仕事が異常に長引いたせいで0時を回ってからやっと家路についた私は、自分のアパートの前まで来たとき、何かがごみ収集所のあたりでうごめいているのが見えて足を止めた。私の住んでいるアパートの前にはごみを集めるための大きな鉄製のカゴがあるのだ。そのあたりで何かが動いていた。
──なに?
 よくよく目を凝らすと、アパートの屋外灯に照らされたのはあの小男だった。そいつがずいぶん重そうに黒いごみ袋をゴミ捨て場に放り込んでいる。一つ放り込むとまた一つ、何個あるかはわからないもののたくさんあるようだ。
 時計を見ると1時近い。こんな時間にごみを捨てるなんてそれはそれで非常識だけれど、なんといっても黒く重そうなごみ袋を何個も捨てているのがとても不気味だった。
 とはいえ、小男の前を通らないと自分の部屋に帰ることができない。不気味さを押し殺してあいつの前を通るか、それともあいつの作業が終わるまでここで待つか。二つに一つだ。
 そう逡巡していると小男は全部のごみ袋を入れ終わったのか、自分の部屋へと戻っていった。
──ふう。
 心のそこから安堵して、ごみ集積所の前を通ろうと足を踏み出す。街灯のかすかな明かりに照らされたごみ収集所のカゴの中には、黒いごみ袋が5つか6つ見えた。ずいぶんな量を捨てたものだ、よほどごみを溜めていたのだろう。
 ごみ収集所に近づくたびになんだか甘いような血なまぐさいようなにおいがしてきた。なんとなく豚肉を腐らせてしまった時のにおいと似ている。あの若干食欲をそそられるようにも感じるけれど明らかに食べてはいけないもののにおいがする、あれだ。
 中を開けてみてみるべきか? でも、人のごみをあさるのは基本的にご法度だ。よほどの理由がない限りは開けるべきではないだろう。
 それに何が入っているか分かったものじゃない。服や靴が汚れるようなものが入っているとするなら、数少ない仕事着を汚してしまうことになる。
 この詮索に、そんな価値はあるのか?
「……やめよう」
 私は自分に言い聞かすようにつぶやいて、ごみ収集所を無視して自分の部屋に戻っていった。

 あのゴミが何なのかわからないまま二週間が過ぎ、休日を迎えた私は惰眠を貪っていた。起きるのも億劫だし、布団の中に潜っていてもスマホで海外ドラマを見られるのだからいいじゃないかという考えだ。ごみ袋の中身が何なのかはいまだに気になっているけれど、ドラマを見ている間は忘れられる。
 その時だ。突然、隣の部屋から何か重いものを派手に壁にぶつけたような音が聞こえ、私は跳ね起きた。
「なに!?」
 聞きようによっては、誰かを鈍器で殴ったような音にも聞こえた。いったいなんなのか
 もう一度、たたきつけるような音。もし壁に何かをぶつけているのだとしたら、穴が開くか跡がついてもおかしくないような音だ。
「なんなの?」
 警察に通報するべきか? こんなことに取り合ってもらえるのかはわからないけれど、さすがにこれは普通じゃない。でも、もし本当に何かあったら私も面倒なことに巻き込まれてしまう。ならば、何もしないほうがいいかもしれない。それに本当になにかトンカチでも使っているのなら、向こうにも迷惑だろう。
 パニックに陥っている思考をぶった切るようにインターフォンが鳴った。ベッドから起き上がってカメラ越しに見ると、そこには小男が立っていた。
『……お騒がせして、すいません』
 リップノイズのひどい声でぼそぼそと話す彼は、あんな音が響く何かが起きたとも思えないほど感情を感じさせない平坦な口調だった。
「あ、はい……」
『大丈夫なので……はい。それでは……』
 そういってインターフォンの前からいなくなる。私はカメラを切った後、背筋に冷や水をたらされたような寒気を感じて床にへたり込んだ。
──なんだろう、あの人。
 偏見なのはわかっている。でも隠れるかのようにごみを捨て、悲鳴や騒音がしても平静であり続ける人間というのはあまり近くにいてほしいものではない。人間ならもう少し慌てるなり困るなりしたっていいはずだ。その一切がない人間というのはアンドロイドか宇宙人か、そう言う類のものだと思えてくる。
「……だれかに相談してみようかな」
 こういう時、頼れる人が一人いる。ちょうど今日予定もない私は、彼の時間がとれるかどうか聞くためにメッセージアプリを起動した。

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「……それで、隣人がおかしくて困ってるって話でいいんだね。毎日うるさいしゴミも隠れて出してるみたいだしということで」
「ええ、そうなのよ。なんか怪しくて。今日もすごい大きい音が隣で聞こえたし」
 あの常軌を逸した騒音から一時間もしないで、旧来の友人である彼と駅前のファミレスで会う約束をした私は、会うなり相談を持ち掛けていた。彼も今日は暇だったらしい。
「どんなことがあっても平静でいられる人間なんている?」
「うーん、サイコパスなんかはそういう傾向があるけど」
 心理学科出身の彼は体を左右に揺らす。考えるときの癖だとか。
「じゃあ隣の人は犯罪者?」
「ちょっと結論に至るのが速すぎるよ」
 彼は懐から手帳を出し、二つの丸が一部で重なっている絵を描いた。いわゆるベン図というものだ。
「さて、ここで問題。Aという人がいます。彼は少年院に入っていたことがあり、交友関係も不良やヤクザかぶれが多いです。年齢も40歳近く、定職はなく生活も苦しいです。ここまではいい?」
「ええ」
「じゃあ……1番、彼の苗字は田中である。2番、彼の苗字は田中であり強盗をしたことがある。どっちのほうが妥当でしょう」
 私は犯罪歴があることと生活に困っているということから、2番がありそうだと思った。交友関係もよくないなら、そういう話が来てもおかしくなさそうだ。
「……2番かな」
「うん、外れだね」彼は悪びれることもなく、手帳に描いたベン図に文字を書き込む。片方の円には『名字は田中』、もう片方の円には『強盗をした』と書き、二つの円が重なるところに斜線をひいた。「1番はこの片方の円、2番はこの斜線の部分なんだ。具体的な数字をあげるなら、苗字が田中である確率を1 %として強盗する確率を90 %としても、1番の確率は1 %で2番の確率は0.01 × 0.9で0.9 %。すなわち、数学的に妥当なのは1番ってわけ。こういうのを『合接の誤謬』って言って、類似する話に『リンダ問題』っていうのがあるんだよ。客観的に見れば起こりうる可能性が低いはずの事象も、主観的にデータを組み合わせた時には可能性が高いように感じてしまう」
 いわれてみれば確かにそうだ。二つのことが一緒に起こる確率は、一つのことが起きる確率よりも減るというのは高校数学の話だった。
「なるほど」しかしなぜこんな話を彼は持ち出したのだろう。「で、この話と私の悩みはどういう関係があるの?」
 彼は手帳をめくり、もう一度ベン図を描く。片方の円には『サイコパス』、もう片方の円には『犯罪者』と書いてあった。
「とても失礼なことを承知で、仮に隣人がサイコパスだとしよう。その彼が同時に犯罪者である確率というのは、さっきも言った通り少なくなるんだ。サイコパスである確率が1 %として犯罪者である確率が……まあ、適当に20 %としようか。1 %と0.2 %だからね、サイコパスであるかもしれないけれど犯罪者とは限らない」
「じゃあ、あの騒音とかゴミとかは……」
「DIYが好きなのかもしれないし、朝起きるのが遅いせいでごみを捨てる機会を逃してたのかもしれない。感情を出さないのだって、サイコパスだからではなくて人付き合いが苦手なだけかもしれない。サイコパス自体は思うほど珍しいものでもないけど、多いわけではないしね……まあ他人に配慮できないのはサイコパスの特徴の一つではある」彼は肩をすくめた。「要は、今のままじゃ結論は出せないってこと」
「そう……」
「とりあえず、それだけ大きい騒音だからね。一度管理人さんに連絡を取ってみるほうがいいんじゃないかな。迷惑しているのは間違いないし、相談できる立場なのは君だけだし」
「だよね。十分迷惑だもんね」
 彼は大きく頷いた。「うん。何かあったら管理人さんが何とかしてくれるよ」
 それからしばらく他愛のないことを駄弁ったあと、私は家に帰って管理人さんに今日あったことの顛末を話した。ほぼ毎日うるさいことや夜になるとごみを捨てていること、今日はひときわ何かをたたきつける音が大きかったこと……。
 管理人さんは真摯に聞いてくれて、「わかりました、近日中に対応します」と答えてくれた。
 彼に話したことや管理人さんに任せることができたからだろうか、安心感から私は久しぶりにゆっくりと眠ることができた気がした。ここ最近、ごみ袋の中身だとか小男の正体だとかが気になっていて、なかなか寝付けないでいたのだ。

 そうして相も変わらずうるさい日が続いた一週間後の朝、私は二人が言い争うような声で目が覚めた。
 この声は管理人さんだろうか、とてつもない剣幕で何かをまくしたてている。こんな朝っぱらから、いったい何を言い争っているのだろう。もう一人の声は小さすぎるのか、聞こえない。
 すると言い争う声がドタバタという何か暴れまわるような音へ変わる。その無茶苦茶な音は外から隣室へと移っていった。
──えっ?
 そうして、また何かで壁を殴りつけるような音とくぐもった叫び声が聞こえてきた。殴りつけるような音は何度も続き、叫び声は殴打音の回数と反比例するように小さくなっていった。
 しばらく耳を澄ましていると、叫び声とともに殴打音が止んだ。
 体の毛穴という毛穴から冷汗があふれ出る。こんな状況、普通じゃない。きっと何かの間違いだ。もしかしたら、寝ぼけて何か悪い夢を見ているのかもしれない。
 そのとき、ガチャガチャという鍵を鍵穴に差し込むような音が聞こえた。
 ベッドから降りて恐る恐る玄関のほうを覗くと、ドアが開く。
 そこには手に血まみれになった金属バットをもった小男が青ざめた表情で、けれどにやりと笑って立っていた。

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