田舎に住んでいる祖父母のところへ帰省した少年は、収穫中のトウモロコシ畑に白いワンピースの少女の姿を見るが……。怪談四部作最後の物語。
海の近くに建ててある倉庫の戸を開けようと、取っ手に手をかけた時だった。
『次は誰が話す?』
ふと、中からそんながさついた男の声が聞こえてきた。
俺は首をかしげる。はて、倉庫を誰かに貸した記憶はない。それに先ほどまで、南京錠でしっかり鍵をかけていたはずなのだ。だのに、中から声が聞こえてくるとは。
思い切って、戸に耳を当てる。こっちのほうがよく聞こえるはずだ。
『あ、じゃあ僕が話します』
少年の声。ちらほらと聞こえる声からして、男二人、女二人といったところか。
賊なら一刻も早くしょっ引いて駐在さんに渡すのだが、どうも口ぶりや音からしてそういう連中ではなさそうだ。はてさて、なおのことわからなくなってきた。侵入したのにもかかわらず、逃げずに居座って話し合うなんてことをするとは。
俺が耳をそばだてたままでいると、少年の声でなにやら話が始まった。
『これは僕の話なんですが……』
「じいちゃん暑いー」
僕がそこら辺にあった大きな石に腰掛けると、麦わら帽子をかぶったじいちゃんが顔を上げる。しわしわで茶色いシミだらけの顔が、帽子の中に見えた。
「子供にはきつかったか。いいよしんちゃん、少しそこで休んでな。喉乾いたら、近くの井戸水でも飲んでるといい」
「はーい」
「ただし、トウモロコシ畑の中には入っちゃいけないぞ。今は収穫時期だから、危ないからな」
ぐるぐると周りを見る。目の前にはじいちゃんが近所の人と一緒に育てている、トマトとかきゅうりとか、なすとかが植えてある畑。右側には農家の高橋さんが育てている、僕の背丈よりも高いトウモロコシの畑。左側にはなんだかゆらゆらしている、誰もいない商店街。周りを見回しても楽しそうなものはなかった。
かっちゃんとかよしくんと遊ぶのは明日の夜だし、ともちゃんと遊ぶのは明後日。明日からは忙しいのに、今日はなんにもすることがない。家にいるのも退屈だったから着いてきたのだけれど、こっちもこっちで退屈だった。
その時、トウモロコシ畑の中に入っていく子が目の端っこの方で見えた。白い帽子に白い服みたいで、なんとなく女の子みたいだった。
──あんな子いたかな?
大体この街にいる子たちとは友達だから、姿を見れば誰かわかるはずなのに。なんといっても、あんな服を着ている子を見たことがない。
「誰だろう」
僕は座っていた石から飛び降りる。じいちゃんはトウモロコシ畑に入っちゃいけないと言っていたけれど、僕ならきっと大丈夫だ。
それでも怒られるのが怖いから、ちらっとじいちゃんの方を見る。土いじりに真剣になっているみたいで、僕の方は見ていないみたいだった。
僕はじいちゃんに気づかれないように足音を立てないよう注意しながら、ゆっくりとトウモロコシ畑の中に入っていった。
畑の中はほとんど先が見えないし、ふかふかとした土に足を取られるせいで歩きにくい。それでも女の子が歩いて行った場所は変に沈み込んでいたり、トウモロコシの茎が折れていたり傾いていたりするおかげで、後を追うのはそんなに難しいことじゃなかった。
青臭い葉や土のにおいを嗅ぎながら、茎や葉をかき分けて畑の中を歩いていく。遠くからエンジンみたいな音が聞こえてくるけれど、あの女の子が誰なのかってことのほうが気になった。
もしかしたら、この町に新しく引っ越してきた人かもしれない。僕はいつも街にいるから、そういうことなら知らなくて仕方ないはずだ。
でも、昨日会ったさっちゃんは引っ越してきた人がいるなんて話、少しもしていなかった。さっちゃんはこの町に住んでいるから、そういう人がいれば知っているとおもうけれど。
──多分、さっちゃんは僕に話すのを忘れたんだ。きっとそうなんだ。
ふと手をかけたトウモロコシの実が折れ、地面の方からごろんという重い音が聞こえてきた。
その音でハッとして、あたりを見回す。でも僕の周りにあるのは、僕よりも背の高いトウモロコシと、ふかふかとしているせいで足跡なのか凹みなのかよくわからないものがたくさんある畑の土だった。
「あれ……」
急に心細くなって、目の端が熱くなってくる。
──どの方向から歩いてきたんだったっけ。
もう一度周りを見てみても、僕が歩いてきた方向を教えてくれそうな人は誰もいなかった。泣きそうになるのを必死に我慢して、いろんな方向へ歩いてみる。でも、歩きにくい地面をいくら歩いても、周りにはトウモロコシしかない。
「どうしよう……」
こんな広い場所で迷子になっちゃった、そう思うと心細くて、いよいよ涙があふれてきた。
その時、僕の前から女の子の声で「こっちだよ」という声が聞こえてきた。
「誰?」
「こっちだよ、こっちこっち」
声の方向へと歩いてみる。もしかしたら、僕を探しに来てくれた誰かかもしれない。
一歩一歩歩く度に、女の子の声は大きくなっていくような感じがした。同時に、どこからか聞こえてきていたエンジンの音もはっきりしていった。
しばらく歩いて足も痛くなってきたころ、ようやくトウモロコシ畑が途切れているのが見えた。そこの開けた地面には刈り取られて丈が短くなっているトウモロコシの茎がいっぱい並んでいる。
僕は開けた場所とトウモロコシ畑のちょうど境目の場所に立って、顔だけ出して女の子の姿を見ていた。
開けた場所の真ん中に、女の子の後ろ姿が見える。僕は思わず、声をかけた。
「ねえ、誰?」
返事はない。もしかしたら、さっきから聞こえているエンジンの音のせいで僕の声が聞こえてないのかもしれない。僕はもっと声を張り上げて、女の子に叫んだ。
「ねえってば」
その声に気づいたのか、女の子がぐるっと回って僕に顔を向ける。
けれど、そこにあったのは顔じゃなかった。
体の前半分はまるで、片面が赤色、もう片面が茶色の折り紙をめちゃくちゃに切り刻んで人の体の形にばらまいたみたいに見えた。目も鼻も、口も何もかにも、区別できないくらい無茶苦茶だ。どう見たって、生きている人間じゃなかった。
その時、僕のすぐ近くからとんでもなく大きなガサガサ、ひゅんひゅんという音が聞こえてきた。
振り向くと、回転する籠みたいな道具と櫛みたいな金属、そしてフロントガラス越しに驚いた顔のおじさんが見えた。
『……これが、僕の話です』
口々に感想を言い合う声が倉庫の中から聞こえる。
どこかで聞いたことがあるような話だ。しかし、怪談をしに不法侵入をするような人間がいるとは思わなかった。
兎にも角にも、勝手に入られて中のものを壊されちゃまずい。
そう思った俺は戸の取っ手に手をかける。
「誰だ」と叫びながら戸を開け、真っ暗な倉庫の中に手を突っ込んで電灯のスイッチをまさぐる。ほどなくして俺がスイッチを入れると、数回点滅したのちに明かりが倉庫の隅から隅までを照らした。
だが、その倉庫の中には誰も、誰一人いなかった。
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