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白い部屋 2021年4月29日


 友人から「とある相談」を受けた彼。それは毎日夢に出てくる、『白い部屋』についての相談だった。友人は『白い部屋』で毎日恐ろしい体験をするという……。

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 耳をすり抜けていく喧騒、饐えたタールの匂い、むせ返るような熱気。
 目だけで辺りを見回すと、男女二人が顔を赤くしながらべろべろに酔っていたり、肩身が狭そうに座っているスーツ姿の若い男が茹でダコ上司から叱責を食らっていたり、安居酒屋特有の光景が広がっている。
 その日、俺とこいつは数年ぶりに飲みに出かけていた。俺が地元を出たのと同時に付き合いが途切れていたこいつが、この近くで働いていると知ったのはつい最近の話だった。
 俺はレモンハイボールを一口飲む。氷がカランと鳴り、口の中で炭酸とレモンの香りが弾けた。
「それで、最近どうだ」
 目の前にいる枯れ木にそう訊ねる。俺が地元にいたときは精悍そのものだった男は、今ではまるで痩せこけてしまって見る影も無くなってしまった。
「仕事も生活も順調なんだけどな……」
 蚊の泣く様な、聞き取るのも難しい声でこいつは呟く。詳しく聞いてみると、精神科に通っており毎日精神安定剤や睡眠薬を飲んでいるという話だった。その証左に、毎日浴びるように飲むくらい酒好きだったこいつが飲んでいるのはソフトドリンクだ。
「なんでまた……そこまでメンタル弱いやつじゃなかっただろ」
 ついでに言えば、鬱病になるほど責任感の強く真面目なやつでもない。むしろ、いつもおちゃらけていて不真面目な男だった。それでも女性関係だけは無駄に誠実だったから、そういう類のことに巻き込まれたようにも思えない。
 精神的に病みそうな人間でもなければ、何かトラブルに巻き込まれやすいという方でもないこいつが、こんなに追い詰められているなんて珍しいことだった。
「おまえが信用できるから言う」
 こいつは目をぎょろぎょろと動かして、口を開いた。
「おまえ、『白い部屋』が夢に出てきた事あっか。『白い部屋』だよ、『白い部屋』」
 一瞬、目の前にいる奴が何を言っているのか分からなかった。
「……はあ?」
 そんな都市伝説みたいな話、突然言われて理解しろという方が難しい。というか、この男は夢に悩まされているとでもいうのか。
「なんだよその、『白い部屋』って」
「おれにも分かんねぇ、でも毎日夢に出てくんだ」
 どうも眠りに落ちると、あいつは『白い部屋』と呼んでいる場所で目覚めるらしい。その『部屋』は天井を除いて全てが真っ白い部屋で、天井だけドーム状の天窓になっているとのことだった。『白い部屋』には一つだけドアがあり、ドアを開けるとどこまでも続く廊下になっているらしい。廊下も天窓になっている天井を除いて全て真っ白で、おおよそ5メートル間隔で白い長方形の台がおいてあるそうだ。
「それで?」
 正直なことを言ってしまえば、そんな夢を見たと言われたところでどうこうという感情は起きなかった。ただの夢であることには変わりがないわけだから。
「毎日な、廊下にある台の上にな、『何か』が置かれてんだよ」
「『何か』? どんなものだ?」
「えーっと……」
 あいつは震える手で空を掻く。何かのジェスチュアらしいが、良く分からない。
「……すまん、ペンないか」
 俺が持ち合わせのボールペンを渡すと、あいつは居酒屋においてある紙ナプキンに何かの絵を描き始めた。
 特別絵心のある人間じゃないのは知っていたが、それにしたって描きにくいのも相まってか酷い絵が仕上がりそうだった。好意的に見ても『失敗して黒焦げになったモヤシ炒め』くらいのものにしか見えなかったからだ。
 描き終わったあいつが『黒焦げモヤシ炒め』を突きつける。
「……そう、こんなのが台の上に乗ってんだ」
「確かに『黒こげ料理』が台の上に乗っているのは気持ち悪いな」
 あいつは言いにくそうに口をもごもごさせた後、「すまん」といって一度席を外してトイレに行った。
 しばらくして戻ってきたあいつが口を開くと、わずかに酸っぱい臭いが漂ってきた。
「……これな、ミミズみたいなゴカイみたいなやつの寄せ集めなんだよ。台の上でグネグネって蠢いてんだ」
 そういえば、こいつはそういう類の奴が苦手なのだ。お化けやヤクザより苦手で、一種の恐怖症とも言えるくらいに。
「なるほど」
 苦手なものの塊を見て正気で居続けるというのはできそうもない。仮に苦手なネズミを突きつけられれば、自分の大切な人だって売るだろう。
「全部の台に、毛色の違う奴が載ってんだ。ミミズみたいに足がないやつの塊かと思えば、ゲジゲジみたいに髪の毛みたいな足が絡み合って縺れ合っていたり何かよくわからない肉の塊みたいのがグネグネ動いていたり、黒だったり玉虫色だったり……ともかく気持ち悪ぃんだよ」
 そう言って、こいつはノンアルコールカクテルを呷る。その手はまるでアルコール依存症患者のように震えていた。
「俺もそんなもの見たくねぇんだ、見たくねぇのに勝手に体が動く。細かい一匹一匹が分かるくらいまで、穴が開くくらいまで見つめた後に、隣の台に行ってまた、ずぅっと見つめて……で、目覚ましで目が覚めんだよ」
 確かにそんな夢を毎日見れば、憔悴もしそうだ。蜘蛛が苦手な俺なら、蜘蛛の塊みたいなものを何度も何度も見せつけられているようなものなのだろう。
 しかし、いったい何が原因でそんな夢を見るようになったのか。
「なんでそんな夢を?」
「わかんねぇよ、何かしたってわけでもなけりゃ何もしなかったってわけでもない。思い当たる節がないんだ」
「病院には……行っているよな」
「ああ。でも、薬なんて効きやしねぇ。眠剤飲んでも精神安定剤飲んでも、何をやっても夢を見て、夢にその『塊』が出てくんだ」
 突然ボロボロと大粒の涙を流し始めたこいつは「毎日、毎日だぞ……」と延々と繰り返し始めた。しかし、俺にはどうしようもない。病院がどうこうできないものを、ずぶの素人がなんとかできるとは到底思えなかったからだ。
「一度病院変えてみたらどうだ。最近だとセカンドオピニオンっていうだろう、色々な先生の意見聞いてみたらいいじゃないか」
「……今かかってる病院でもう五つ目だよ、最近じゃブラックリストに載ったのか何なのか……医者が変な目で見てくんだ」
「……」
 打つ手なし。
 そうとしか言いようがなかった。このまま話を聞き続けていても、出来ることは無いだろう。
「すみませーん、あと10分で飲み放題終了なんですが、延長しますかー?」
 店員が寄ってきて、間延びした声で俺らに話しかける。俺はあいつの方も見ないで「いや、しないです」と言って、金を払うために席を立った。

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 それからあまり時間は掛からなかった、あいつが自殺したという知らせが来るまでには。
 俺は弔事のために喪服を着込んで、斎場前に重い足を運ぶ。二階建ての斎場が俺を見下ろしていた。
 どんよりとした後悔のような何かが、胸を覆っていた。心が晴れないというのはこういう気分なんだろう。
 もう少しまともに聞いてやればよかっただろうか。ここまで自分を追い詰めているなんて思ってなかった。もっと親身に、皮肉なんて交えずに聞いてやればよかっただろうか。
 なにか、精神科以外にも色々と進めてやればよかっただろうか。催眠療法だとかスピリチュアルだとか、なんでもいい。効果があるかどうかは別としても、あいつが安心できるような何かをしてあげればよかっただろうか。それだけで最悪のエンディングは避けられたのかもしれない。
 いいや、ただ俺が出来る限り時間を取って、あいつの話を聞いてやるだけでも結果は変わったんじゃないだろうか。死ぬまで行かなくても、止めることはできたかもしれない。でも、俺は忙しさにかまけてあれ以来一度もあいつとは合わなかった。ただ、「忙しい」というだけであいつからの誘いすらも断った。
 それどころか、あの日ですらあいつの方を見ずに話を終えた。
 出来ることはたくさんあった、あいつがビルの上から飛び降りて肉片になる前に出来ることはたくさんあったはずなんだ。
 なのに俺は、何もしなかった。

 斎場からの帰り、俺は電車に乗りながら突然眠気に襲われた。
 どうしようもなく眠い。確かにあいつの自殺を聞いてからあまり寝られてはいないが……。でも、今まで感じたことがないくらい……。
 瞼がストンと落ち、真っ黒な闇の中に落ち込む。
 目を開けると、そこは『白い部屋』だった。
「嘘だろ……?」
 あいつの言う通り、壁から床まで真っ白いワンルームを天窓から入ってくる明るいとも暗いとも言えない程度の光が照らしていた。天井を見上げてみると、ドーム状の天窓から見える空は曇っているようだが、雲が流れているようには見えない。
 身体を検めてみると、服は喪服のままらしい。ジャケットを脱いでも何の変哲もなく、靴もしっかり履いている。
 試しに床を触ってみると暖かいとも冷たいとも言えない、まるですべてが発泡スチロールで出来ているような触感だった。しかし、叩いてみるとコンコンという硬い音が返ってきた。何ともかんともいえないような部屋だ。
 顔を上げると目の前にある壁には、こちらも白い何かでできたドアがはまっていた。
「何もかもあいつの言うとおりだ……」
 ただ一つだけ引っかかるのは、あいつが言っていたのは「自分の意志に関係なく前に進む」という話だった。今のところ、明晰夢みたいに俺は俺の意志で動いている。時間がたつと、勝手に動きだしたりするのだろうか。
 どちらにせよ、じっとしていたところでこの夢から抜け出す方法はなさそうだ。
 ドアを開け──鍵はかかっていなかった──くぐる。
 そこは廊下なんかじゃなく、まるで古い劇場のようだった。俺はステージのど真ん中に立っていて、赤いクッションの敷かれた観客席が俺を取り囲む。
 何よりも驚いたのは、そのクッションに載せられていたものだった。
「お前……?」
 クッションの上には、青ざめたあいつの生首がこちらを向いて乗せられていた。それも何百とあるであろう観客席の、二階部分にあるテラス席まで、全部に。
 あいつ『ら』の眼がパッと開く。
 あいつ『ら』の口がぱっくり割れる。
「お前が、俺を、殺した」

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呪い Side-M 2019年3月31日


愛美はある日、昔付き合いのあった夏美が彼氏と歩いているのを目撃する。しかし夏美を秘かに恨んでいた彼女は、幸せを奪い取るために呪うことを決める。

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 何の変哲もないアスファルトの敷かれた道路。車道を走っていく乗用車。スマートフォンの小さい画面ばかり見ている歩行者。
 誰から見てもいつもと何も変わらない日常。ただし、一つだけ他の人と違うところがある。
 私の目には道端に立って歩いている人の顔を覗き込んだり電柱の陰に立ったりしている幽霊も見えている。時折背中にへばりついているのもいるけれど、多分そんな人は誰かに恨まれてでもいるのだろう。
 どうしてそんなものが見えるのか、私も良くは知らない。親が霊媒師だとかそういうわけでもないし、母方の祖母が拝み屋だったとは聞いたことがあるものの別段変わった家庭に生まれたわけでもない。
 それでも私は小さいころから道端の黒い影や人を指しては、母や父に「あの人どうしたの?」と聞いていたらしい。その都度、両親から「そんな人はいない」と諫められ、人には見えていないものが見えているという事に気が付いたのは中学生くらいの頃だった。
 学生時代と言えば。夏美は元気にしているのだろうか。私が虐められるキッカケを作りだした張本人。
 彼女に私がいわゆる霊感を持っていると話さなければ、何か困ったことがあれば助けると言わなければ、私はけばけばしい化粧で自分の顔を隠さないでも出歩くことが出来たのに。
 キッカケはスクールカースト上位の一人が夏美にまとわりついたのを、私が色々と手を使って──主に呪いとかその類のもので──対処したからだ。それ以来、私は他の人とは違うという事に気が付いたあいつらは、何か悪いことがあれば何でもかんでも私のせいにし嫌がらせを繰り返してきた。
 夏美があんな男に目をつけられなければ、夏美が私を頼らずとも一人で何とか出来れば、私は夏美の代わりとして人身御供に捧げられることもなかっただろうに。
 何よりもムカつくのは、夏美本人は私がいじめられていることに気が付いていなかったこと。その鈍感さがあんな男に纏わりつかれるという事を引き起こしたにもかかわらず、彼女はいつまでも、いつまでたっても鈍感なままで居続けた。
 もとより頼りのない人だったから彼女に頼る気はなかったけれど、それでもその鈍感さは私の感情を逆なでし続けた。
 当然、先公にも相談した。だけれど返事は、「対処する」という言葉だけ。何一つやろうとせずに、生徒指導の先公共はいじめの事実をもみ消した。
 最終的にいじめられ続けた私は精神的なバランスと一緒に体調を崩して志望した大学に落ち、地元の大学に通うことになった。最悪なのはあの連中もそこを志望し、合格していた事だった。
 あとは言わなくても分かるだろう。大学に行っても私がおかしい人間だと言いふらされた挙句私は周囲から孤立し、最後は自主退学した。同じ学科の人間たちが私に向けた目に耐えられなかったのだ。
 それからは職を転々としつつ大学時代のうわさから逃げ回り、最近やっと、地元から離れたこの町である程度落ち着いた生活を送ることが出来るようになった。それでも、虐めてきた連中が何時何時この町に来て私のことを見つけ出すか分からないという恐怖から、職場で陰口をたたかれるのを承知で厚化粧をしているけれど。
 ふと、視界の端に何か懐かしいオーラが映る。人によって守護霊だとかオーラだとかはあまり変わらないから、いくら年数を経て姿かたちが変わっていようが一度見たものは覚えている。
 見るとそこにはやはり、夏美が歩いていた。隣にいる彼氏と思わしき男性と手を組んで。
 その姿を見て、私は燻っていた憤怒の炎が燃え上がり、煮詰めた砂糖水のようにどす黒い感情が体の底から湧き上がるのを感じた。夏美は幸せそうで自分を偽る必要なんてない。なのに、彼女を救ったはずの私は不幸を背負い込み仮面を被ることでやっと外を出歩ける。その差にあるのは一体何なのか、なぜ彼女は私の背負っている不幸のひとかけらも背負わずに外を歩くことが出来るのか。
 何故何故何故。彼女は幸せで私は不幸なのか。憎悪と憤怒が、私の中で噴きあがり、理性というものを焼き尽くす。
 その感情が漏れ出てしまったのか、近くを通ろうとした人がなにやら恐怖心に駆られたかのように顔を顰めて私に道を譲る。けれど、私にとっては気にならない。
 心の中でほくそ笑む。良いことを思いついた。
 彼女から幸せを奪い取ってしまおう。

 そこから、私は百円ショップや近くにある神社を回って、彼女を呪うのに必要な道具をいくつか買ってきた。丁度今日は新月だ。呪いを実行するなら、早い方がいい。
 殺す気はない、殺してしまっては彼女に私の気持ちを体験させることが出来ない。だからこそ、あくまで健康を損なう程度でいい。その程度ならば、大した手間もかからずに彼女を呪うことが出来る。
 彼女から幸せを奪い取るために、私は二段階からなる計画を考えた。まず今日やるのは、一段階目の実行と二段階目の準備だ。
 毛筆と手水で磨った墨で書いた呪符に高校時代の卒業アルバム──本当は持っていきたくなかったけれど親にどうしても持って行けと言われたものだ──から切り取った夏美の写真を重ねて、呪符と写真が筒状になるように適当な紐で縛る。そのとき、写真の首と紐の位置が重なるようにすること。
 最後にその紙筒に釘を打ち込み、数回呪文を繰り返した後、釘を抜いて紙筒を燃やす。これで、彼女の健康はほどなくして損なわれるだろう。燃やした灰は真っ新な半紙に包んで保管しておく。この灰はあとで呪いを解くのに必要だ。
 突然、背筋を撫でるような冷ややかな感触が私を襲う。これで一段階目の呪いは成功した。
 次に毛筆と墨を洗い流し、手水で朱墨を磨る。別の半紙に先ほどとは違う呪文を書いて、乾くまで窓際へと置いておいた。これは二段階目に、彼女に本当の絶望を与えるために必要な呪符だ。
「ふふっ……」
 思わず笑い声が漏れる。私が背負ってきた苦しみを、彼女も味わうがいい。

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 それからしばらくして、仕事終わりに家へと帰ろうと道を歩いていると、人ごみの中に彼女のオーラが見えた。同時に彼女の背中には、痴情のもつれで命を絶ったり恨みを抱いたりしている人間の霊や生霊の塊が、十数尺ほどの身長をした女性の形で貼り付いている。見る限り、私がかけた呪いは完璧に働いているようだ。
 人の間を縫って、彼女のもとへと歩いていき──背中に張り付いている女に睨まれたけれど、私が術者である以上は手だししてこない──私は後ろから声をかけた。
「ねえ、夏美じゃない?」
 彼女はいかにも体調が悪そうな青い顔をして、私の顔を見つめる。その姿を見て、私は物事がうまく運んでいるのだと思って微笑んだ。
「誰ですか?」
「斎藤愛美だよ。高校まで一緒だったじゃん」
 彼女は私のことが分からないかのように、眉をひそめる。そうだろう、自分がいかに恵まれて幸せなのか分からない女が、私のことなんてわかるわけがない。自分を偽らなければ外も歩けない人間のことなんて。
「あ、もしかして私がめっちゃ化粧してるからわかんないとか?」
「ええ。私の知っている愛美さんはそんな……」
「ちょっと大学で色々あってねー」笑って私のことを信用させよう。まだ計画は終わっていないのだから。「あ、もし時間あるならさ。ちょっと話してかない?」
 しばらく考える様に目を泳がした後、彼女はゆっくりと微かに頷いた。うまく行ったみたいだ。
「じゃあ行こ。ここらに私の行きつけのカフェがあるからさ」
 これから彼女に振り掛かる悪夢を考えると、私は笑いが止まらなかった。

 行きつけのカフェで、彼女と私はカフェラテとロイヤルミルクティーを頼み、それぞれ口をつける。だけれど彼女の方はというと、具合が悪いせいであまり飲む気になれないようだった。私はというと、自然を装うためにカップを持って中のものを数口飲む。けれど、これから先に起きるであろうことを考えると、歓喜のせいで味がしなかった。
「随分具合悪そうね。まあそんな状況じゃ無理もないか」
 彼女が顔を顰め、私のことを見つめる。そうだろう、いきなりそんなことを言われて納得できる人などそうそういないのだから。
「どういうこと?」
 私はあくまで自分が関わってないという体で、彼女に「夏美、あんた最近変な夢とか突然の痛みとかそういうの無い?」と尋ねた。
 すると彼女は驚いたように目を見開いた。当然だ、見ていないとしたら驚くのは私の方だ。
「どうしてそれを?」
 私は持っていたコーヒーカップを置いて、彼女の背中に張り付いている女と目を合わせる。向こうは私をにらんできたけれど、この程度の雑魚に怯えるほど私は弱くない。
「うーんとね、恨まれてるって言うか……呪われてるっていうべきかな。夏美の背中にべったり女が張り付いてる。で、その女が首を絞めたり心臓をかき乱したりしてるのが不調の原因」
 如何に事実の中に私が存在しないよう編集するか。それは私が異常だということを隠し続けてきたのと、そっくりだった。
「誰がやってるとか、分かる?」
 私は首を横に振る。当然だけれど、自分がやっているとは言わない。
「流石にそこまではね……今ある道具じゃわからない。でも、男性関係みたいね。このまま放っておけば彼氏にも影響が出るから、別れることも考えて」
 彼女が聞きたくなかったかのように目を机へと落とし、考え込むかのように黙った。そうだろう、そうそう手放す気はないのだろう。
──でも、これからあんたは彼を手放さなくてはいけなくなるのよ。
 しばらくして、彼女は消え入るような声で自分の考えを述べる。実現するはずもない、彼女の意見を。
「別れたくは、ないかな……」
「まあ、そうよねえ」
 私はカバンの中に入れておいた呪符を一枚取り出す。彼女に呪いをかける時、一緒に作ったものだ。彼女に致命傷を与えるための、朱墨で書いた呪符。
「これは?」
「お守り。これをいつもは枕の下に入れて寝て。ただし新月の日には夕暮れから夜明けまで枕の下から取り出すこと」
 本当は違う。これは恋仲である男女の関係を引き裂き、呪符を持ってない方と術者を恋仲にするもの。要は略奪愛のための呪符だ。
 私の計画は彼女が一段階目の呪いで健康を損ねた後に私に頼り、なにか呪術的な解決を求める。二段階目として、この呪符を渡して愛すらも奪うと同時に一段階目の呪いを解いて、彼女に私を信用させるとともに彼氏を奪う。
 そうして「浮気しているかもしれない」という疑心暗鬼に陥ったところへ、彼と私が付き合っているところを見せつけ、本当の孤独を味わせるのだ。信用したはず友人と恋人を同時に失うという、本当の孤独を。
 彼女は疑うこともなく私の呪符を受取り、「ありがとう」といってバッグに仕舞う。
 私はこれから起きるであろうことを考えて、思わず笑みがこぼれた。
「気にしないで。いつもそうやって来たじゃない」

 それから彼女と別れた私は家へと帰って、呪ったときに出た灰を包んだ半紙に毛筆と手水で磨った墨で呪文を書いて、満月の夜になるまで待った後、川へと半紙ごと流した。これで彼女の健康はゆっくりではあるけれど、確実によくなっていくはずだ。
 ほどなくして、私の職場に夏美の彼氏が仕事の都合で来るようになった。それを好機に、私は彼を口説いたり誘惑したりして──時には呪いのおかげもあって──彼を篭絡することに成功した。あとは彼が私から離れられないようにした後、夏美にその姿を見せつければいい。
 しばらくして。彼が夏美の誘いを断るように諭した後、彼を誘って休日に出かけることにした私は、街の中で彼女のオーラを見つけた。
──丁度いい。
 反対側の道路から見える様に彼の腕をひく。私が彼女を見つめると、彼女も何かに気づいたかのようにこちらを見た。
 その瞬間、彼女の顔が嫌悪と怒りと失望と驚きを混ぜ込んだ表情へと変わる。まるで、それぞれの負の感情を一つに重ねたような表情へ。
 私は彼女のその顔を見て、愉快さのあまり笑いだしそうになった。
 だって彼女の表情は、私の顔とまるで瓜二つだったから。

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呪い Side-N 2019年3月17日


夏美は毎日睨みつけられるような感覚に襲われ、次第に体調も悪化していった。ある日、彼女は古い友人で霊感の強い愛美から、「どうも男性関係が原因で呪われている」と教えられるが……。

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 首が手のひらに包まれる、和紙で皮膚を撫でるような感覚。細く冷たい親指が首の後ろに当てられ、しなやかな長い指が小指から人差し指まで順番に首に巻き付き、ゆっくりと私の首を締め上げて……。
 叫び声をあげて飛び起きる。いつものように、反射的に首に手を触れる。当然、何もついてない。
 荒い息を整えながらベッドの近くに置いてある時計を見ると、仄かに光る時計の針は午前二時半を指していた。
「また……」
 ここ最近、ずっとこうだ。眠りと覚醒の間にいるような状態に叩きこまれたと思ったら、首に細く長い指が巻き付いて締め上げてくる夢を見る。そして飛び起きて時計を見ると、午前二時半。必ず、この時間だ。
 ため息をついてもう一度横になろうと掛け布団を被る。けれど興奮して目が冴えた今の状態じゃ、中々寝付けそうになかった。
 赤ちゃんのようにうずくまる。いったい私に何が起きているのだろうか。ここ最近、これを除けば不安になるような事は一つもない。過去に経験したことがないほど、気が抜けてしまいそうなほどに順風満帆なのに。
 友達の蓮花に相談してみたこともある。もちろん話は聞いてくれたし、重荷が無くなったような気もするのだけれど、何も解決しなかった。
 一度、精神科に行った方がいいのだろうか。もしかしたら、自分で気が付かないような何かが心の中で起きていて、そのせいでこの症状が出ているのかもしれない。
 でも精神科は怖い。よく言われるような事のほとんどが嘘だと聞いたことはあるけれど、何処に行けばいいのかとか何をされるのかとか、分からないことばかりだ。
──もっと症状がひどくなったら、行きましょう。
 そう決めてから数回深呼吸を繰り返すと、何となく心が落ち着いた。
 日々の睡眠不足が祟って、瞼があっという間に重くなっていく。私はまた、眠りの中に落ち込んでいった。

「ちょっと夏美、大丈夫? 顔色酷いよ」
 同僚の蓮花が箸の先を私に向ける。口の中には昼ご飯が入ったままで。
「せめてご飯飲み込んでから話してよ」
「飯飲み込むより、あんたの顔色の方が問題でしょ。本当、酷い顔してる」
 適当に冷凍食品と白米を詰め込んだ弁当箱の上を私の箸が彷徨う。どうしよう、あまり食欲がわかない。
「最近、変なことがあって寝れてないの」
 そうぼそりと呟くと、彼女が不安そうな表情を浮かべて、「ああ……あの、首を絞められるだったかそんな感じのこと?」
「そう」とりあえずご飯を少しだけつまんで、口に放り込んで飲み込む。味がしない。「でも、大丈夫だよ」
 彼女がご飯を口の中に掻き込んでから、「どう見ても大丈夫じゃないけど。飯食えなくなったら動物は死ぬんだよ」
「あはは……」
 はっきりとしない笑いをあげると、彼女がもう一度箸で私を指した。
「洒落じゃないって。昔から色んな動物飼ってきたけど、衰弱して死ぬ前には必ず飯を食わなくなったんだから」
「そんな。私は──」突然、肋骨が肺に刺さったかのような痛みが左胸を襲う。
 息が出来ず、思わず屈みこむ。
 カランカランと、箸の落ちる音が聞こえる。
「ねえ、ちょっと夏美」
 彼女が慌てて、私のことを支えてくれた。無理矢理息を吸い込むと、パキンという音とともに胸の痛みが不意に引いていった。
 屈みこんだまま、荒くなった息を整える。
「大丈夫?」
 私は頷いて顔をあげたけれど、彼女は心配そうな顔で「病院行ったら? 着いてってあげるからさ」と続けた。
「大丈夫だよ……いつものことだから」
 ここ最近の話だ。今と似たような症状が何度も何度も、時と場所を選ばずに私の胸を襲う。とはいえ、しばらくすると落ち着くし痛い他に何かがあるというわけでもない。
 多分、最近寝られていないことが原因なのだろう。それに、病院に行ったところで正体不明とか神経痛とか、そう言われるに違いない。そんな事を聞くために病院へ行くのは、お医者さんも迷惑だろう。
「本当?」
 先ほど落とした箸を拾いながら頷く。ふと腕時計を見ると、もうそろそろ昼休みが終わる時間だった。
「蓮花、もう時間だよ」
「え? ああ……」
 私はほとんど手をつけていない弁当箱を手早く片付け、彼女と一緒に仕事場へと走っていった。

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 仕事を終えて──私のいる部署はそれほど激務ではないので大抵は定時に帰れるのだ──最寄り駅に向かっている最中、私は後ろから声をかけられた。
「ねえ、夏美じゃない?」
 どこかで聞いたような特徴のある高い声。振り向くと、ブリーチ特有のくすんだ金髪をした、見たことのない顔をした女性がニコニコと笑って私の顔を見つめていた。かなり化粧が濃いみたいで、それなりに離れているはずなのに化粧品の粉っぽいにおいが鼻につく。
 私は首を傾げて、「誰ですか?」
「斎藤愛美だよ。高校まで一緒だったじゃん」
 確かに小学校から高校まで斎藤愛美という友達がいた。けれど、彼女はこんなにけばけばしい化粧をしていなかったし、校則がそうだったというのもあるけれど黒髪だった。なにより彼女は派手好きというよりはむしろ地味な子だったはずだ。
「あ、もしかして私がめっちゃ化粧してるからわかんないとか?」
 疑問符を頭の上に浮かべている事に気が付いたのか、彼女はそう訊ねてくる。
「ええ。私の知っている愛美さんはそんな……」
「ちょっと大学で色々あってねー」彼女は屈託のない笑顔──声をかけられてから初めて見る、愛美らしい顔だ──を私に向ける。「あ、もし時間あるならさ。ちょっと話してかない?」
 通勤にはそんなに時間もかからないというのもあって時間はあるし、この時間帯は帰宅ラッシュの関係で電車の中も混む。時間を潰せるのなら歓迎だ。なにより愛美は昔から勘が鋭いというか、いわゆる霊感を持つ子だった。彼女のおかげで、何度か私も救われたことがある。
──もしかしたら、今の私に起きていることに何か説明をつけてくれるかもしれない。
 そんな、藁にすがるような考えが、私の頭を上下に揺らした。
「じゃあ行こ。ここらに私の行きつけのカフェがあるからさ」
 彼女が笑って歩き始める。私もそのあとを追っていった。

 街中によくあるチェーン店のカフェで、私はカフェラテに口をつけた。けれどミルクでも消しきれないエスプレッソの酸味に、思わずえづく。前はそんなことなかったのに。
「随分具合悪そうね」彼女はロイヤルミルクティーを一口飲んで、「まあそんな状況じゃ無理もないか」
 彼女の独り合点に、私は顔を顰める。
「どういうこと?」
「夏美、あんた最近変な夢とか突然の痛みとかそういうの無い?」
 一転して私は目を見開く。何で彼女がそのことを知っているのだろうか。
「どうしてそれを?」
 彼女がコーヒーカップを置いて、私の肩越しに目線を向ける。
「うーんとね、恨まれてるって言うか……呪われてるっていうべきかな。夏美の背中にべったり女が張り付いてる。で、その女が首を絞めたり心臓をかき乱したりしてるのが不調の原因」
 私は働かない頭を巡らせてみる。けれど、そんな恨まれるような事をした覚えはない。確かにあれだけ順風満帆なのだから多少は妬まれているだろう。でも、そんな呪われるほどのことをした覚えはない。
 彼女が嘘をついている? いいや。こういうことに限れば、彼女は嘘をつかない。それだけは確かだ。それで何度も救われてきたのだから。
「誰がやってるとか、分かる?」
 彼女が首を横に振る。
「流石にそこまではね……今ある道具じゃわからない。でも、男性関係みたいね。このまま放っておけば彼氏にも影響が出るから、別れることも考えて」
 私は彼女から目をそらして、机の上にある冷めたカフェラテを見つめる。
 彼のことはもちろん好きだ。だから、彼まで巻き込まれてしまうのなら、別れることも考えないと。でも好きだからこそ、別れるなんてことを考えたくはない。別れずに何とかする方法はないのだろうか。
「別れたくは、ないかな……」
「まあ、そうよねえ」彼女が真っ赤な鞄から一枚の紙を取り出して机に載せる。お札くらいの大きさをした半紙に何か文字を朱墨で書いてあるようだけれど、何を書いてあるのかはさっぱりわからない。
「これは?」
「お守り。これをいつもは枕の下に入れて寝て。ただし新月の日には夕暮れから夜明けまで枕の下から取り出すこと」
 そういえば高校時代、私が面倒な男に絡まれていた時も彼女はこうやっておまじないを教えてくれた。その男は結局、暴行事件を起こした挙句に学校を退学になって、二度と私に関わってくることはなかった。
 今回もきっと、そういうようなものなのだろう。なにより彼女がくれたのだから。
 私はお守りを受取って、バッグにしまう。
「ありがとう」
「気にしないで。いつもそうやって来たじゃない」
 彼女は見慣れた、純粋そのものの笑みを浮かべた。

 それからしばらくして。
 私は悪夢や謎の痛みから解き放たれて毎日ゆっくりと寝られるようになり、それに伴って体調もみるみる復活していった。花蓮や他の同僚からも、「前に比べればずいぶん元気そうに見える」とお墨付きをもらうくらいに。
 けれどそれと同時に、私と彼の距離は離れていった。体調が回復するにつれて、彼と私の予定が被ったり久々に会えると思ったら彼が体調を崩したりと、そういうことが増えたのだ。
 初めの方はどうしようもないことだと思っていた。彼も忙しい人だし、前々からそういうことはあったから。
 けれど日が経つにつれて、どうにもおかしいと思い始めた。あまりに彼と私の予定が合わないし、彼の体調がかなり不安定だ。それに一度、体調を崩しているということだったので看病に行こうかと聞いたら、怒気をはらんだ声で「来なくていい」と言われたこともある。
 好きなのは変わらないけれど、モヤモヤとした疑惑を抱えながら誰かを好きで居続けるのは難しかった。結局、胸に秘めているものが漏れ出てしまっているのか、彼との距離は日に日に離れていった。

 ある休みの日に街中を歩いているとき。私の目は信じられないものに釘付けになった。
 仕事中のはずの彼が私服を着て、道路の向こう側を歩いていた。何故そんなことを知っているかと言えば、デートに行かないかと私が誘ったときに彼が「今日夜まで仕事だから」と断ったからだ。
 そして、彼の隣に立って手を繋いでいる女。それは愛美だった。

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