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呪い Side-M 2019年3月31日


愛美はある日、昔付き合いのあった夏美が彼氏と歩いているのを目撃する。しかし夏美を秘かに恨んでいた彼女は、幸せを奪い取るために呪うことを決める。

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 何の変哲もないアスファルトの敷かれた道路。車道を走っていく乗用車。スマートフォンの小さい画面ばかり見ている歩行者。
 誰から見てもいつもと何も変わらない日常。ただし、一つだけ他の人と違うところがある。
 私の目には道端に立って歩いている人の顔を覗き込んだり電柱の陰に立ったりしている幽霊も見えている。時折背中にへばりついているのもいるけれど、多分そんな人は誰かに恨まれてでもいるのだろう。
 どうしてそんなものが見えるのか、私も良くは知らない。親が霊媒師だとかそういうわけでもないし、母方の祖母が拝み屋だったとは聞いたことがあるものの別段変わった家庭に生まれたわけでもない。
 それでも私は小さいころから道端の黒い影や人を指しては、母や父に「あの人どうしたの?」と聞いていたらしい。その都度、両親から「そんな人はいない」と諫められ、人には見えていないものが見えているという事に気が付いたのは中学生くらいの頃だった。
 学生時代と言えば。夏美は元気にしているのだろうか。私が虐められるキッカケを作りだした張本人。
 彼女に私がいわゆる霊感を持っていると話さなければ、何か困ったことがあれば助けると言わなければ、私はけばけばしい化粧で自分の顔を隠さないでも出歩くことが出来たのに。
 キッカケはスクールカースト上位の一人が夏美にまとわりついたのを、私が色々と手を使って──主に呪いとかその類のもので──対処したからだ。それ以来、私は他の人とは違うという事に気が付いたあいつらは、何か悪いことがあれば何でもかんでも私のせいにし嫌がらせを繰り返してきた。
 夏美があんな男に目をつけられなければ、夏美が私を頼らずとも一人で何とか出来れば、私は夏美の代わりとして人身御供に捧げられることもなかっただろうに。
 何よりもムカつくのは、夏美本人は私がいじめられていることに気が付いていなかったこと。その鈍感さがあんな男に纏わりつかれるという事を引き起こしたにもかかわらず、彼女はいつまでも、いつまでたっても鈍感なままで居続けた。
 もとより頼りのない人だったから彼女に頼る気はなかったけれど、それでもその鈍感さは私の感情を逆なでし続けた。
 当然、先公にも相談した。だけれど返事は、「対処する」という言葉だけ。何一つやろうとせずに、生徒指導の先公共はいじめの事実をもみ消した。
 最終的にいじめられ続けた私は精神的なバランスと一緒に体調を崩して志望した大学に落ち、地元の大学に通うことになった。最悪なのはあの連中もそこを志望し、合格していた事だった。
 あとは言わなくても分かるだろう。大学に行っても私がおかしい人間だと言いふらされた挙句私は周囲から孤立し、最後は自主退学した。同じ学科の人間たちが私に向けた目に耐えられなかったのだ。
 それからは職を転々としつつ大学時代のうわさから逃げ回り、最近やっと、地元から離れたこの町である程度落ち着いた生活を送ることが出来るようになった。それでも、虐めてきた連中が何時何時この町に来て私のことを見つけ出すか分からないという恐怖から、職場で陰口をたたかれるのを承知で厚化粧をしているけれど。
 ふと、視界の端に何か懐かしいオーラが映る。人によって守護霊だとかオーラだとかはあまり変わらないから、いくら年数を経て姿かたちが変わっていようが一度見たものは覚えている。
 見るとそこにはやはり、夏美が歩いていた。隣にいる彼氏と思わしき男性と手を組んで。
 その姿を見て、私は燻っていた憤怒の炎が燃え上がり、煮詰めた砂糖水のようにどす黒い感情が体の底から湧き上がるのを感じた。夏美は幸せそうで自分を偽る必要なんてない。なのに、彼女を救ったはずの私は不幸を背負い込み仮面を被ることでやっと外を出歩ける。その差にあるのは一体何なのか、なぜ彼女は私の背負っている不幸のひとかけらも背負わずに外を歩くことが出来るのか。
 何故何故何故。彼女は幸せで私は不幸なのか。憎悪と憤怒が、私の中で噴きあがり、理性というものを焼き尽くす。
 その感情が漏れ出てしまったのか、近くを通ろうとした人がなにやら恐怖心に駆られたかのように顔を顰めて私に道を譲る。けれど、私にとっては気にならない。
 心の中でほくそ笑む。良いことを思いついた。
 彼女から幸せを奪い取ってしまおう。

 そこから、私は百円ショップや近くにある神社を回って、彼女を呪うのに必要な道具をいくつか買ってきた。丁度今日は新月だ。呪いを実行するなら、早い方がいい。
 殺す気はない、殺してしまっては彼女に私の気持ちを体験させることが出来ない。だからこそ、あくまで健康を損なう程度でいい。その程度ならば、大した手間もかからずに彼女を呪うことが出来る。
 彼女から幸せを奪い取るために、私は二段階からなる計画を考えた。まず今日やるのは、一段階目の実行と二段階目の準備だ。
 毛筆と手水で磨った墨で書いた呪符に高校時代の卒業アルバム──本当は持っていきたくなかったけれど親にどうしても持って行けと言われたものだ──から切り取った夏美の写真を重ねて、呪符と写真が筒状になるように適当な紐で縛る。そのとき、写真の首と紐の位置が重なるようにすること。
 最後にその紙筒に釘を打ち込み、数回呪文を繰り返した後、釘を抜いて紙筒を燃やす。これで、彼女の健康はほどなくして損なわれるだろう。燃やした灰は真っ新な半紙に包んで保管しておく。この灰はあとで呪いを解くのに必要だ。
 突然、背筋を撫でるような冷ややかな感触が私を襲う。これで一段階目の呪いは成功した。
 次に毛筆と墨を洗い流し、手水で朱墨を磨る。別の半紙に先ほどとは違う呪文を書いて、乾くまで窓際へと置いておいた。これは二段階目に、彼女に本当の絶望を与えるために必要な呪符だ。
「ふふっ……」
 思わず笑い声が漏れる。私が背負ってきた苦しみを、彼女も味わうがいい。

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 それからしばらくして、仕事終わりに家へと帰ろうと道を歩いていると、人ごみの中に彼女のオーラが見えた。同時に彼女の背中には、痴情のもつれで命を絶ったり恨みを抱いたりしている人間の霊や生霊の塊が、十数尺ほどの身長をした女性の形で貼り付いている。見る限り、私がかけた呪いは完璧に働いているようだ。
 人の間を縫って、彼女のもとへと歩いていき──背中に張り付いている女に睨まれたけれど、私が術者である以上は手だししてこない──私は後ろから声をかけた。
「ねえ、夏美じゃない?」
 彼女はいかにも体調が悪そうな青い顔をして、私の顔を見つめる。その姿を見て、私は物事がうまく運んでいるのだと思って微笑んだ。
「誰ですか?」
「斎藤愛美だよ。高校まで一緒だったじゃん」
 彼女は私のことが分からないかのように、眉をひそめる。そうだろう、自分がいかに恵まれて幸せなのか分からない女が、私のことなんてわかるわけがない。自分を偽らなければ外も歩けない人間のことなんて。
「あ、もしかして私がめっちゃ化粧してるからわかんないとか?」
「ええ。私の知っている愛美さんはそんな……」
「ちょっと大学で色々あってねー」笑って私のことを信用させよう。まだ計画は終わっていないのだから。「あ、もし時間あるならさ。ちょっと話してかない?」
 しばらく考える様に目を泳がした後、彼女はゆっくりと微かに頷いた。うまく行ったみたいだ。
「じゃあ行こ。ここらに私の行きつけのカフェがあるからさ」
 これから彼女に振り掛かる悪夢を考えると、私は笑いが止まらなかった。

 行きつけのカフェで、彼女と私はカフェラテとロイヤルミルクティーを頼み、それぞれ口をつける。だけれど彼女の方はというと、具合が悪いせいであまり飲む気になれないようだった。私はというと、自然を装うためにカップを持って中のものを数口飲む。けれど、これから先に起きるであろうことを考えると、歓喜のせいで味がしなかった。
「随分具合悪そうね。まあそんな状況じゃ無理もないか」
 彼女が顔を顰め、私のことを見つめる。そうだろう、いきなりそんなことを言われて納得できる人などそうそういないのだから。
「どういうこと?」
 私はあくまで自分が関わってないという体で、彼女に「夏美、あんた最近変な夢とか突然の痛みとかそういうの無い?」と尋ねた。
 すると彼女は驚いたように目を見開いた。当然だ、見ていないとしたら驚くのは私の方だ。
「どうしてそれを?」
 私は持っていたコーヒーカップを置いて、彼女の背中に張り付いている女と目を合わせる。向こうは私をにらんできたけれど、この程度の雑魚に怯えるほど私は弱くない。
「うーんとね、恨まれてるって言うか……呪われてるっていうべきかな。夏美の背中にべったり女が張り付いてる。で、その女が首を絞めたり心臓をかき乱したりしてるのが不調の原因」
 如何に事実の中に私が存在しないよう編集するか。それは私が異常だということを隠し続けてきたのと、そっくりだった。
「誰がやってるとか、分かる?」
 私は首を横に振る。当然だけれど、自分がやっているとは言わない。
「流石にそこまではね……今ある道具じゃわからない。でも、男性関係みたいね。このまま放っておけば彼氏にも影響が出るから、別れることも考えて」
 彼女が聞きたくなかったかのように目を机へと落とし、考え込むかのように黙った。そうだろう、そうそう手放す気はないのだろう。
──でも、これからあんたは彼を手放さなくてはいけなくなるのよ。
 しばらくして、彼女は消え入るような声で自分の考えを述べる。実現するはずもない、彼女の意見を。
「別れたくは、ないかな……」
「まあ、そうよねえ」
 私はカバンの中に入れておいた呪符を一枚取り出す。彼女に呪いをかける時、一緒に作ったものだ。彼女に致命傷を与えるための、朱墨で書いた呪符。
「これは?」
「お守り。これをいつもは枕の下に入れて寝て。ただし新月の日には夕暮れから夜明けまで枕の下から取り出すこと」
 本当は違う。これは恋仲である男女の関係を引き裂き、呪符を持ってない方と術者を恋仲にするもの。要は略奪愛のための呪符だ。
 私の計画は彼女が一段階目の呪いで健康を損ねた後に私に頼り、なにか呪術的な解決を求める。二段階目として、この呪符を渡して愛すらも奪うと同時に一段階目の呪いを解いて、彼女に私を信用させるとともに彼氏を奪う。
 そうして「浮気しているかもしれない」という疑心暗鬼に陥ったところへ、彼と私が付き合っているところを見せつけ、本当の孤独を味わせるのだ。信用したはず友人と恋人を同時に失うという、本当の孤独を。
 彼女は疑うこともなく私の呪符を受取り、「ありがとう」といってバッグに仕舞う。
 私はこれから起きるであろうことを考えて、思わず笑みがこぼれた。
「気にしないで。いつもそうやって来たじゃない」

 それから彼女と別れた私は家へと帰って、呪ったときに出た灰を包んだ半紙に毛筆と手水で磨った墨で呪文を書いて、満月の夜になるまで待った後、川へと半紙ごと流した。これで彼女の健康はゆっくりではあるけれど、確実によくなっていくはずだ。
 ほどなくして、私の職場に夏美の彼氏が仕事の都合で来るようになった。それを好機に、私は彼を口説いたり誘惑したりして──時には呪いのおかげもあって──彼を篭絡することに成功した。あとは彼が私から離れられないようにした後、夏美にその姿を見せつければいい。
 しばらくして。彼が夏美の誘いを断るように諭した後、彼を誘って休日に出かけることにした私は、街の中で彼女のオーラを見つけた。
──丁度いい。
 反対側の道路から見える様に彼の腕をひく。私が彼女を見つめると、彼女も何かに気づいたかのようにこちらを見た。
 その瞬間、彼女の顔が嫌悪と怒りと失望と驚きを混ぜ込んだ表情へと変わる。まるで、それぞれの負の感情を一つに重ねたような表情へ。
 私は彼女のその顔を見て、愉快さのあまり笑いだしそうになった。
 だって彼女の表情は、私の顔とまるで瓜二つだったから。

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呪い Side-N 2019年3月17日


夏美は毎日睨みつけられるような感覚に襲われ、次第に体調も悪化していった。ある日、彼女は古い友人で霊感の強い愛美から、「どうも男性関係が原因で呪われている」と教えられるが……。

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 首が手のひらに包まれる、和紙で皮膚を撫でるような感覚。細く冷たい親指が首の後ろに当てられ、しなやかな長い指が小指から人差し指まで順番に首に巻き付き、ゆっくりと私の首を締め上げて……。
 叫び声をあげて飛び起きる。いつものように、反射的に首に手を触れる。当然、何もついてない。
 荒い息を整えながらベッドの近くに置いてある時計を見ると、仄かに光る時計の針は午前二時半を指していた。
「また……」
 ここ最近、ずっとこうだ。眠りと覚醒の間にいるような状態に叩きこまれたと思ったら、首に細く長い指が巻き付いて締め上げてくる夢を見る。そして飛び起きて時計を見ると、午前二時半。必ず、この時間だ。
 ため息をついてもう一度横になろうと掛け布団を被る。けれど興奮して目が冴えた今の状態じゃ、中々寝付けそうになかった。
 赤ちゃんのようにうずくまる。いったい私に何が起きているのだろうか。ここ最近、これを除けば不安になるような事は一つもない。過去に経験したことがないほど、気が抜けてしまいそうなほどに順風満帆なのに。
 友達の蓮花に相談してみたこともある。もちろん話は聞いてくれたし、重荷が無くなったような気もするのだけれど、何も解決しなかった。
 一度、精神科に行った方がいいのだろうか。もしかしたら、自分で気が付かないような何かが心の中で起きていて、そのせいでこの症状が出ているのかもしれない。
 でも精神科は怖い。よく言われるような事のほとんどが嘘だと聞いたことはあるけれど、何処に行けばいいのかとか何をされるのかとか、分からないことばかりだ。
──もっと症状がひどくなったら、行きましょう。
 そう決めてから数回深呼吸を繰り返すと、何となく心が落ち着いた。
 日々の睡眠不足が祟って、瞼があっという間に重くなっていく。私はまた、眠りの中に落ち込んでいった。

「ちょっと夏美、大丈夫? 顔色酷いよ」
 同僚の蓮花が箸の先を私に向ける。口の中には昼ご飯が入ったままで。
「せめてご飯飲み込んでから話してよ」
「飯飲み込むより、あんたの顔色の方が問題でしょ。本当、酷い顔してる」
 適当に冷凍食品と白米を詰め込んだ弁当箱の上を私の箸が彷徨う。どうしよう、あまり食欲がわかない。
「最近、変なことがあって寝れてないの」
 そうぼそりと呟くと、彼女が不安そうな表情を浮かべて、「ああ……あの、首を絞められるだったかそんな感じのこと?」
「そう」とりあえずご飯を少しだけつまんで、口に放り込んで飲み込む。味がしない。「でも、大丈夫だよ」
 彼女がご飯を口の中に掻き込んでから、「どう見ても大丈夫じゃないけど。飯食えなくなったら動物は死ぬんだよ」
「あはは……」
 はっきりとしない笑いをあげると、彼女がもう一度箸で私を指した。
「洒落じゃないって。昔から色んな動物飼ってきたけど、衰弱して死ぬ前には必ず飯を食わなくなったんだから」
「そんな。私は──」突然、肋骨が肺に刺さったかのような痛みが左胸を襲う。
 息が出来ず、思わず屈みこむ。
 カランカランと、箸の落ちる音が聞こえる。
「ねえ、ちょっと夏美」
 彼女が慌てて、私のことを支えてくれた。無理矢理息を吸い込むと、パキンという音とともに胸の痛みが不意に引いていった。
 屈みこんだまま、荒くなった息を整える。
「大丈夫?」
 私は頷いて顔をあげたけれど、彼女は心配そうな顔で「病院行ったら? 着いてってあげるからさ」と続けた。
「大丈夫だよ……いつものことだから」
 ここ最近の話だ。今と似たような症状が何度も何度も、時と場所を選ばずに私の胸を襲う。とはいえ、しばらくすると落ち着くし痛い他に何かがあるというわけでもない。
 多分、最近寝られていないことが原因なのだろう。それに、病院に行ったところで正体不明とか神経痛とか、そう言われるに違いない。そんな事を聞くために病院へ行くのは、お医者さんも迷惑だろう。
「本当?」
 先ほど落とした箸を拾いながら頷く。ふと腕時計を見ると、もうそろそろ昼休みが終わる時間だった。
「蓮花、もう時間だよ」
「え? ああ……」
 私はほとんど手をつけていない弁当箱を手早く片付け、彼女と一緒に仕事場へと走っていった。

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 仕事を終えて──私のいる部署はそれほど激務ではないので大抵は定時に帰れるのだ──最寄り駅に向かっている最中、私は後ろから声をかけられた。
「ねえ、夏美じゃない?」
 どこかで聞いたような特徴のある高い声。振り向くと、ブリーチ特有のくすんだ金髪をした、見たことのない顔をした女性がニコニコと笑って私の顔を見つめていた。かなり化粧が濃いみたいで、それなりに離れているはずなのに化粧品の粉っぽいにおいが鼻につく。
 私は首を傾げて、「誰ですか?」
「斎藤愛美だよ。高校まで一緒だったじゃん」
 確かに小学校から高校まで斎藤愛美という友達がいた。けれど、彼女はこんなにけばけばしい化粧をしていなかったし、校則がそうだったというのもあるけれど黒髪だった。なにより彼女は派手好きというよりはむしろ地味な子だったはずだ。
「あ、もしかして私がめっちゃ化粧してるからわかんないとか?」
 疑問符を頭の上に浮かべている事に気が付いたのか、彼女はそう訊ねてくる。
「ええ。私の知っている愛美さんはそんな……」
「ちょっと大学で色々あってねー」彼女は屈託のない笑顔──声をかけられてから初めて見る、愛美らしい顔だ──を私に向ける。「あ、もし時間あるならさ。ちょっと話してかない?」
 通勤にはそんなに時間もかからないというのもあって時間はあるし、この時間帯は帰宅ラッシュの関係で電車の中も混む。時間を潰せるのなら歓迎だ。なにより愛美は昔から勘が鋭いというか、いわゆる霊感を持つ子だった。彼女のおかげで、何度か私も救われたことがある。
──もしかしたら、今の私に起きていることに何か説明をつけてくれるかもしれない。
 そんな、藁にすがるような考えが、私の頭を上下に揺らした。
「じゃあ行こ。ここらに私の行きつけのカフェがあるからさ」
 彼女が笑って歩き始める。私もそのあとを追っていった。

 街中によくあるチェーン店のカフェで、私はカフェラテに口をつけた。けれどミルクでも消しきれないエスプレッソの酸味に、思わずえづく。前はそんなことなかったのに。
「随分具合悪そうね」彼女はロイヤルミルクティーを一口飲んで、「まあそんな状況じゃ無理もないか」
 彼女の独り合点に、私は顔を顰める。
「どういうこと?」
「夏美、あんた最近変な夢とか突然の痛みとかそういうの無い?」
 一転して私は目を見開く。何で彼女がそのことを知っているのだろうか。
「どうしてそれを?」
 彼女がコーヒーカップを置いて、私の肩越しに目線を向ける。
「うーんとね、恨まれてるって言うか……呪われてるっていうべきかな。夏美の背中にべったり女が張り付いてる。で、その女が首を絞めたり心臓をかき乱したりしてるのが不調の原因」
 私は働かない頭を巡らせてみる。けれど、そんな恨まれるような事をした覚えはない。確かにあれだけ順風満帆なのだから多少は妬まれているだろう。でも、そんな呪われるほどのことをした覚えはない。
 彼女が嘘をついている? いいや。こういうことに限れば、彼女は嘘をつかない。それだけは確かだ。それで何度も救われてきたのだから。
「誰がやってるとか、分かる?」
 彼女が首を横に振る。
「流石にそこまではね……今ある道具じゃわからない。でも、男性関係みたいね。このまま放っておけば彼氏にも影響が出るから、別れることも考えて」
 私は彼女から目をそらして、机の上にある冷めたカフェラテを見つめる。
 彼のことはもちろん好きだ。だから、彼まで巻き込まれてしまうのなら、別れることも考えないと。でも好きだからこそ、別れるなんてことを考えたくはない。別れずに何とかする方法はないのだろうか。
「別れたくは、ないかな……」
「まあ、そうよねえ」彼女が真っ赤な鞄から一枚の紙を取り出して机に載せる。お札くらいの大きさをした半紙に何か文字を朱墨で書いてあるようだけれど、何を書いてあるのかはさっぱりわからない。
「これは?」
「お守り。これをいつもは枕の下に入れて寝て。ただし新月の日には夕暮れから夜明けまで枕の下から取り出すこと」
 そういえば高校時代、私が面倒な男に絡まれていた時も彼女はこうやっておまじないを教えてくれた。その男は結局、暴行事件を起こした挙句に学校を退学になって、二度と私に関わってくることはなかった。
 今回もきっと、そういうようなものなのだろう。なにより彼女がくれたのだから。
 私はお守りを受取って、バッグにしまう。
「ありがとう」
「気にしないで。いつもそうやって来たじゃない」
 彼女は見慣れた、純粋そのものの笑みを浮かべた。

 それからしばらくして。
 私は悪夢や謎の痛みから解き放たれて毎日ゆっくりと寝られるようになり、それに伴って体調もみるみる復活していった。花蓮や他の同僚からも、「前に比べればずいぶん元気そうに見える」とお墨付きをもらうくらいに。
 けれどそれと同時に、私と彼の距離は離れていった。体調が回復するにつれて、彼と私の予定が被ったり久々に会えると思ったら彼が体調を崩したりと、そういうことが増えたのだ。
 初めの方はどうしようもないことだと思っていた。彼も忙しい人だし、前々からそういうことはあったから。
 けれど日が経つにつれて、どうにもおかしいと思い始めた。あまりに彼と私の予定が合わないし、彼の体調がかなり不安定だ。それに一度、体調を崩しているということだったので看病に行こうかと聞いたら、怒気をはらんだ声で「来なくていい」と言われたこともある。
 好きなのは変わらないけれど、モヤモヤとした疑惑を抱えながら誰かを好きで居続けるのは難しかった。結局、胸に秘めているものが漏れ出てしまっているのか、彼との距離は日に日に離れていった。

 ある休みの日に街中を歩いているとき。私の目は信じられないものに釘付けになった。
 仕事中のはずの彼が私服を着て、道路の向こう側を歩いていた。何故そんなことを知っているかと言えば、デートに行かないかと私が誘ったときに彼が「今日夜まで仕事だから」と断ったからだ。
 そして、彼の隣に立って手を繋いでいる女。それは愛美だった。

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死出虫 2018年7月16日


目を覚ますと、暗く湿った空間に閉じ込められていた彼。暗闇の中で「何故閉じ込められたのか」を考え始めるが、体を這う虫達の感触に気が付き……?

 

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 息を吸うと、湿った土と肉が腐ったような甘ったるい臭いの混じった悪臭が鼻についた。
 重い瞼を開ける。目の前には何も見えない。
 身体を動かそうと身をよじると、肘や膝が木のような何か硬いものと当たり、鈍い音が反響しながら私の耳に届いた。
 限られた空間の中で両手を持ち上げる。
 また、同じような音が耳に届いた。
 訳の分からぬ状況にパニックを起こしそうになりながら、私は首を動かして周りを見回す。
 けれど、そこに求めていた光はない。
 足を曲げ伸ばしして、板のようなものを破れないか試みる。何度か試みた後、かかとの痛みに襲われた。
 悪臭が鼻腔を満たすのを我慢しながら数回深呼吸すると、少し落ち着いてきた。
 いったい私に何があったのだろうか?
 どうしてここにいるのかを思い出そうと、頭の中に思考を巡らせる。鉛の詰まったような頭の中をしばらく漁っていると、いくつか思い出してきた。
 むせび泣く母親の声。妙に冷たい身体。線香の匂い。読経。まるで葬式だ。
 しかし、私はこの通り生きている。
 もし本当に葬式をしたのなら私は参加する側のはずなのに、そんな記憶は一切ない。あるのは、まるで故人として悲しまれているような記憶だけ。
 さらに前の記憶を思い出せないかと思って頭を巡らせる。けれど、少しずつ薄くなっている酸素のせいか、はっきりしない。
 それでも、何か硬いものにぶつかられた衝撃と地面の上を転がる感覚を思い出した。その後、私はどうなったのだろうか。救急車の音、アルコール消毒のような匂いと車特有の揺れ、必死に私のことを呼ぶ男性の声……。ぶつかられた感覚はあるのに、不思議と痛みの記憶はなかった。
 私は狭い空間の中でかぶりを振った。ダメだ、思い出せない。思い出したくもない記憶を思い出そうとしているのか、それとも私に思い出す資格がないのか、何があったのかを思い出せない。
 ともかく、私は何故か知らないが、ここに閉じ込められている。確かなのはそれと踵に走る痛みだけだ。
「だれか、助けてくれ」
 叫んでみても、声は周りに吸い込まれるように反響すらしない。きっと、外に聞こえていないだろう。
 何か他に音を出せそうなものがないか、そう考えて狭い空間の中を手で探っていると、触り慣れたスマートフォンケースの感覚を覚えた。暗いせいでまともに何を持っているかも見えないまま、何とか持ち上げて電源ボタンを押す。
 スリープモードが解除されて仄かな明かりが周りを照らした。やはり、手の中にあったのは私のスマートフォンだった。
──これで助けを呼べる。
 動く片手でロックを解除しようとPINコードを打ち込もうと試みる。
 けれど、「早くこんなところから出ていきたい」という焦りといつも両手でロックを解除していたせいで手元が定まらず、まともに打ち込めない。それを何度か繰り返したものの、エラーメッセージが出て、30秒後にもう一度やり直しになってしまった。
 上手くいかない事にいらいらしながら時間が経つのを待っていると、電源が切れるポップアップとバイブレーションの後、スマートフォンの画面が消えた。
 慌てて電源ボタンを長押しすると、電池のグラフィックが現れて、またしても暗転した。
──電池切れだ。
 私は使い物にならなくなったスマートフォンを足元に投げ捨てる。鈍い音と共に、木が折れるような音が聞こえたような気がした。

 

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 しばらく無駄だと知りつつ声を出して助けを呼んでいると、動かせない手のひらの下をなにかツルツルしたものが通り過ぎるのを感じた。近い触感を持つものとしては、私が趣味で飼っていたコガネムシやシデムシのようだ。だが、コガネムシはまだしも、何故シデムシが此処にいるのだろうか。
 シデムシ、漢字では死出虫ないしは埋葬虫と書いてシデムシと読ませる甲虫の一種だ。彼らは発達した強靭な顎を用いて腐った肉やそれを餌にする蛆を主食にし、中には腐敗物を食するものもいる。種類によっては死体を埋めて──その様子から埋葬虫と名付けられたそうだ──幼虫に食べさせることもあるそうで、その姿は昔から興味を惹かれるものだったらしい。実際にそれを題材にした怪奇小説もあり、私も一度読んだことがある。
 彼らがいるということは、死体のような腐敗したものがあるということだ。きっとそれがこの甘ったるい肉の腐った臭いの原因なのだろう。
 つまり、私は遺骸と共にこの箱のような構造物に囚われている。
 その事を考えた瞬間、胃の上の辺りがきゅぅっと締め付けられるような感覚に襲われる。のどの上の辺りまでその感覚がじわじわと広がり、思わずえずく。幸運なことに、吐くようなものも胃に入っていなかったようで、口の中に胃酸の苦酸っぱい味が広がるだけだった。
 刺激に呼応するように溢れ出てきた唾液にも構わず、「誰か、助けてくれ」ともう一度叫ぶ。
 その声は前と同じように、周りに吸い込まれていった。
 シデムシの這いまわる感覚が私を襲い、痒い様な痛い様な刺激に体が覆われる。私はもぞもぞと体を動かして虫たちを振り払おうと試みるが、木の板が私の動きを邪魔する。
 何とか平常心を保ちながら、私はがむしゃらに体を動かして木の板を壊そうと試みた。
 虫達が潰れるクシャっという耳障りな音と服ごしに感じる漏れ出た体液。それでも、虫達は私を離そうとしない。
 しばらくして疲労困憊した私は、切れた息を整えるために深く息を吸い込んだ。甘ったるい死体の匂いが鼻腔を満たす。死体と一緒に居たくはなかったけれど、このままでは動けそうにない。
 その時、疲れて動かなくなった手のひらに、シデムシの感触を感じた。
 ほどなくして、虫が皮膚を食い破るような激痛が、私の手を襲った。

 

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2017年10月27日


 日常に違和感を覚えた彼は、ふと入った化粧室の鏡を見て驚愕する。そこに、写っていたものとは。

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 けたたましい目覚まし時計の音に目を覚ます。時計を手に取って見ると、今は八時半。
 遅刻確定だ。いつもなら、八時には家を出ないといけないのに。
「やべえ」
 慌てて服を着替え、鏡のない台所で歯を磨いて濡れたタオルで顔をぬぐう。朝飯を食べる時間もないし、髪も手櫛で適当に整えればいいだろう。なにより、今日は重要な取引先との商談がある。その準備を急いで終わらせて、身支度を整えればいい。
 そんなことを考えながら、カバンの中を確認する。
──よし、必要なものは全部入っている。
 カバンの取っ手を掴み、俺はドアのかぎを開けて外に出た。次の電車に乗れれば、何とか間に合うだろう。
 10分かかるところを8分で駅につき、息を切らしながら上を見ると、ふと気になったことがあった。いつもなら、上り線は右にある2番ホーム──この駅は線路が二本しかない島式1面だ──のはずなのに、今日は左にある1番ホームだった。
「おかしいな……」
 駅員さんに聞いてみようかと思って周りを見渡すが、相変わらずここの駅は人がいない。そうこうしているうちに、電車が来る趣旨のアナウンスが鳴り響く。
 目の前に電車が止まり、俺は乗り込む。車内はガラガラで、人影は両隣の車両にも見えない。これなら、椅子に座れるだろう。
 しばらくスマートフォンを弄りながら電車に身を任せていると、上司から電話が来た。そういえば、遅刻すると連絡し忘れていた。
「まずい」
 それも怖いことで有名な有田さんだ。時間にも厳しく規律にも厳しい、このタイミングで話したくない人ナンバーワンだ。間違いなく怒られるに違いない。
 とりあえず着信ボタンをタップし、電話を耳に当てる。
「すみま──」
『どうしたんだ、鏡味くん。遅れるなんて珍しい。体調でも悪かったのか?』
 声は間違いなく有田さんだが、いつもの有田さんの話し方じゃない穏やかな話し方だ。それに、俺は遅刻の常習犯だったはずなのに。
「え……あ、いえ、寝坊してしまって」
 記憶とのギャップで言葉に詰まる。そんな俺をよそに、有田さんは豪快に笑った。
『そういうことだったか。今日は重要な商談はないんだ、気を付けて来るんだよ』
「え? 半田商事との商談があるはずでは?」
『いやいや、半田商事とは明日だよ。慌てすぎて、予定がこんがらがったんじゃないか?』
 どうにも腑に落ちないが、有田さんがそういうならそういうことなのだろう。あとでスケジュール表を見てみないと。
「あ……そうかもしれません」
『他に何かあるか?』
「いえ、特には」
『わかった。会社についたら、私のデスクに来るんだ、任せたい仕事がある』
「わかりました。では、失礼します」
 電話を下ろし、通話終了ボタンをタップする。すかさず、スマートフォンのスケジュール表をタップすると、半田商事との商談は明日だった。
──なんだ。有田さんの言う通り、やっぱりこんがらがっていただけか。
 長く息を吐いて、俺は電車の椅子に沈み込む。上司に怒られないという安堵と取引をお釈迦にしないで済むという事実のおかげで、細かいことはもう気にならなかった。

 電車を降りて、いつも通り北口から右に歩く。すると、左に歩いたときに見えてくるはずの商店街が見えてきた。
──あれ?
 右と左を間違えただろうか? スマートフォンを取り出し、マップアプリを開いて覚えている会社の住所を打ち込む。すると、北口から左に歩けとの表示が出てきた。
「おかしいな……」
 何とも言えないモヤモヤが心を覆うのを感じつつ、踵を返して左に歩く。しばらく歩くと、会社が入居している見まごうことのない灰色をした雑居ビルが見えてきた。
 今日はおかしなことばかりだ。電車は上下反対になっているし、厳しい上司は打って変わって優しいし、右に歩いたと思ったら左に歩いている。いつから、俺は右左が分からなくなったのか。
 悩んでいても仕方ない。とりあえず、仕事に行かないと。
 エントランスに入る。いつもなら右にあるはずのエレベーターは、やはり左にあった。管理人でもいれば話を聞いてみてもいいが、今日は誰もいない。
 俺は一階に止まっているエレベーターに乗り込み、会社の入っている3階のボタンを押して、カバンから名前やらなんやらが書いてある社員証を取り出し首にかけた。
 エレベーターはけたたましい音を立てながら、上へあがっていった。
 会社につくと、入り口近くにデスクのある同期の萩野さんが俺の顔を見て、苦々しい顔をした。遅刻したというのに悠々と入ってきたせいで、彼女の気に障ったのだろうか。俺と彼女は同期で仲は比較的良い方だったはずだけど。
 ともかく、いったん自分のデスクにカバンを置いた俺は有田さんのデスクに向かうと、彼は何やら書類にサインをしていた。
 俺は頭を下げる。
「遅れてすみませんでした」
 彼が顔を上げる。
「電話でも言ったけど、大丈夫だ。とりあえず──」彼がサインしている書類とは別の、ファイルに入った分厚い書類を差し出す。「これを終わらせてくれないか」
 頭を上げ、俺は書類を受け取った。
「分かりました」
 自分のデスクに向かいながら書類を捲ると、分厚い割には対して難しくもない仕事だ。これなら、昼休みまでには何とか終わらせられるだろう。デスクについて仕事を始めると、自分の心を覆っていたモヤモヤは時間が経つにつれて雲散霧消していった。

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 昼休みの時間に入り、俺は伸びをした。先程の仕事もほとんど終わり、あとは確認だけすればいい。
 そういえば、元々ここには大して人はいないが、今日は有田さん、萩野さん、俺の三人しかいない。いつもなら佐藤さんや中西さんもいるのに。
──まあ、いいか。とりあえず、昼飯を食いに行こう。
 そう思い、俺はデスクから立ち上がって社員証を外しながらエレベーターに向かう。社員証はポケットにつっこんでおけばいいだろう。
 すると、その途中で萩野さんと会った。
「こんにちは」
「……」
 無視。いつもなら、返事を返してくれるのに。
 なんだろう、彼氏にでも振られて機嫌が悪いのだろうか。まあ、腫れ物に触れないほうがいいのは身をもって経験している。放っておけば、明日には機嫌を直していることだろう。
 そんなことを考えつつ、俺と萩野さんはエレベーターに乗り込んで一階を押した。そこでも、やっぱり彼女は機嫌が悪そうだった。
 それから30分くらいして、昼を食べ終えた俺は行く当てもないので会社に戻ろうと雑居ビルに向かう途中、またしても街並みに違和感を覚えた。来るときに気づかなかったのは、遅刻したせいで慌てていたからだろう。
──ん?
 俺の記憶にある街と左右が反対だ。左側にあった薬屋は通りの右側にあるし、右にあった本屋は左にある。
 本当に移動したのか? いや、そんなことはないだろう。なにせ、数多ある雑居ビルも全部移動しているのだから。
 そうなると、俺の記憶がおかしいのか、それとも世界が反転したのか。
 しばらく立ち止まって考えてみても、どっちが正しいのか分からない。とはいえ後者は物語じゃあるまいし、そんなことが起こるなんてありえない。前者だって、なにか特別なことをした記憶はない。今週末の土曜日、医者に行ってみよう。もしかしたら、頭に何か……腫瘍か出血かがあるのかもしれない。
 とりあえず、会社に戻ろう。昼休みもあと15分くらいしかない。

 雑居ビルに戻ると、不意に尿意を感じて化粧室に駆け込んだ。用を済ませて時計を見ると、まだ7分くらいある。戻る時間は十分あるだろう。
 ズボンを上げて、ポケットに入れておいた社員証を首にかける。
 洗面台に歩いて行って手を洗う。そういえば、身だしなみをほとんど整えていなかったっけ。
──丁度いい、ついでだ。
 顔を上げて鏡を見る。その時、俺はみぞおちの辺りにあり得ないものを見た。
 目を見開く。鏡の中の俺も、目を見開いた。
「ありえない、そんな馬鹿な」
 鏡の中の口が動く。その口も『ありえない、そんな馬鹿な』と動いた。鏡に右手をつくと、中の俺も左手を鏡につく。
 そうか、これが原因か!

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2017年9月30日


子どもたちから怖い話をねだられ、私は出身地で語られる伝説を話し始める。だが、その話には真実が隠れていた──。

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 ある日、私が散歩の途中に寄った公園の東屋で休憩していると、近所の子供たちが4人ほど寄ってきた。
 最近の子はゲームばかりなどというが、ここらでは遊び場があるおかげか、未だ外で遊ぶ子供たちを見る。かくいう私も、このように出歩いて体が鈍らないようにしているのだけれど。
 とはいえ、もう年も取って体も動かない。昔みたいに動ければいい、そう思ったことは何度もある。
 私は笑いながら、「どうしたんだい」と彼らに聞く。
「おばあさん、怖い話してくれない?」
 一人の男の子が、唐突に私に言う。近所ではカッちゃんだったか、そう呼ばれていたはずの子だ。ガキ大将とまではいかないけれど、子供たちをまとめ上げている子だ。
「またいきなりだねぇ。いいよ、とっておきのを話そう」
 そういうと、子供たちは喜んで、その場に座る。私は手振り身振りをしながら、子供たちに話し始めた。
 子供は元気な方がいい……元気すぎてもいけないけどねえ。
「これはね、私の出身地の、瀬戸内海のある島で起きた話なんだ──」
 
 月のない夜。ある島の砂浜で、男二人が小さなボートの側で話し込んでいた。男たちの顔は分からないが、一人はかなり背が高く瘦せ型。もう一人は対照的に小さく太っていた。
 この島は『禁断の地』と呼ばれている。男子禁制の島で、その理由は漁師に殺された大蛇を鎮めるためだとか男嫌いの海の神様が祭られているだとか諸説ある。
 しかし地元では、ともかく「男は入ってはならない」といわれつづけている。
 なぜなら入った男は、あるものは首と胴が離れた状態で、あるものは達磨──四肢が切り取られた状態──になってこの島の岩場に打ち上げられていることなどがたびたびあったからだ。これは地元の資料館曰く、そういうことがあったという最古の記録は江戸時代らしい。それもその男は「そんな噂はない」と言って死体で見つかったそうだから、もっと前から噂はあったのだろう。
 ただ、そういう場所には得てして、肝試し目的で入り込む人間がいる。果たして、この男たちもそのようだ。
「おい、こんなところで本当に面白いもんが見れるのか?」
「俺の目を信じろって」
「8と6を見間違えて、単位を落とすようなお前の目を?」
 そういって、痩せた男が笑う。言われた方はムッとして、「いいぜ、俺だけで楽しむから」と啖呵を切った。
「おいおい、そんなこと言うなよ。で、サトー。本当なのか?」
 男の一人がムッとしたままの、サトーと呼ばれた小太りの男を小突く。それで気持ちがほぐれたのか、サトーは「あぁ、もちろんだ。美女があの反対側の岩場で裸踊りしてたのを、俺はバッチリ見たんだ」と言った。
「どんな女だよ?」
「そりゃあ、白い肌で、出るところは出て、引き締まってるところは引き締まってる女だよ……顔は見えなかったけどよ」
 サトーはしりすぼみになりながら、そういった。
「嘘だったら、パクったボート返すのお前だからな」
「ジャンケンって言ったじゃねえか!」
 もう一人の男は「冗談だ、ジョーダン」と言ってケラケラと笑う。サトーはそれを見て、胸をなでおろしていた。そして「行こうぜ、モリ」といい、それに応じたモリとサトーは二人して、島の反対側にある岩場にのんびりと歩いていった。

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 今日は月夜で、満月の光に照らされた岩場は波で濡れ、ぬらぬらと光っていた。
「滑るから気をつけろよ」
「おう」
 いくら月夜で明るいとはいえ、夜の海は危ない。少しでも足を踏み外せば、へばりついた海藻のせいで滑りやすい岩から足を踏み外し、頭を打って怪我をする。下手すると、岩についているフジツボや貝で体を切ることだってある。
 だが、彼らは慎重に足を運んで、転ばないように気を付けているようだ。それにどうも、彼らはアウトドア用の長靴を履いているらしく、足取りはおぼつかないものの滑らずに岩場を歩いている。
「本当にこの岩場か?」
 モリがサトーに声をかける。サトーは自信満々に「間違いないって!」と答える。
「俺が見たときも、こんな感じの満月だったんだよ」
「ふーん」
 サトーは見たときの状況を、砂場に押し寄せる波のように、切れ間なくモリに話していた。それにモリは相槌を打ちながら、岩場の先へと進んでいく。
 岩場の先についた彼らは足を止めた。そこは岩場の中で唯一滑らかで平らな岩の上だった。少し進めば、もう海の中だ。
「ここで見たんだよな? それもはだしで?」
「ああ……」
 モリの問いに、サトーは自信なく呟いた。どうみても、こんなところに人が来ているとは考えにくいからだ。
 そこは、今のような干潮なら足を波に洗われる程度で問題ないが、満潮になれば簡単に沈んでしまう。それに、いくら平らとはいえ周りはごつごつとした岩が出ており、裸足で歩けば怪我をするのは避けられない。また、ぬめる海藻が岩に張り付いており、ここで踊るなんて激しい運動をすれば、容易に転ぶ。
「お前の見間違いなんじゃないか?」
「かもしれねえ……こんなところに女がいるなんて、考えられねえもん」
 モリが海の方を見ながら舌打ちして、「ちっ、骨折り損かよ。帰ろうぜ」と言った。それに「だな」とサトーが返す。
 その時、空気を切る音が響き、モリの隣にあったサトーの頭が無くなった。猛烈な勢いで噴き出す血液に、モリは「え?」という素っ頓狂な声で答え、思わず後ずさる。その時、彼は足を滑らせて強か石に体を打ち付けた。
 その時、モリはその女と目が合った。
 腰に付けたベルト以外は裸の女。プロポーションは最高だろうが、顔はおしろいで白く塗られ、怨嗟の形相を浮かべて、彼をにらんでいた。その女が手に大きな鉈をもって、モリを見下している。
 女はモリの胸を踏みつける。情けない声が漏れたが、女はそのまま鉈を左脇にあてがって、上へと切り裂く。地面が割れるような悲鳴も意に介さず、女は同じように右腕を切り落とした。
 悲鳴は次第に薄れ、荒々しい呼吸が聞こえ始める。譫言の様に「はすけへ……」という声が聞こえるが、女は足を離して腰につるした水筒を開け、モリに中の塩水を浴びせかけながら、呪文を唱える。
 モリの体が何度かビクッと痙攣してから、長い息を吐いて彼の目から光が消えた。
 女は遺体を祭壇に横たえ、また呪文を唱える。そして、満潮になるまで、神に向かって踊り続けた。

「──ってお話があるんだよ。女の人は妖怪かお化けなんだろうねえ、怖いねえ」
 余韻を残すように、私は言った。どうも、この話は子供たちの心をつかんだようで、彼らは身を乗り出すように話を聞きながらも、固まっていた。
 その時、コウちゃんと呼ばれている子が、「なんで登場人物が全員死んでいるのに、おばあさんは知ってるの? 作り話なんじゃないの?」と聞いてきた。
 確かに見た人がいないと、怪談話は伝わらない。
「そうかもしれないねえ……私も地元にいたときに聞いただけだからね。でも、私の地元で伝わる話なんだ」
 コウちゃんの質問は、周りの子たちの緊張を解いたようだった。口々に「作り話か」という声が聞こえ、子どもたちは胸をなでおろす。ざわめき始めて少しすると、カッちゃんが「ありがとう、おばあさん」と言って、子供たちは別の遊びに向かっていった。
「やれやれ、忙しいねえ……元気なのは良いことだけど」
 私は子どもたちの背中を見ながら、あの当時のことを思い出していた。確かに、作り話のように聞こえるだろう。まあ、今の世の中であんな風習を続けている島があるなんてこと、そう信じられるものではない。
 だが、私が真実をすべて語ったというわけではないということに、彼らはいつ気づくのだろうか。願わくば、あの島に関わること以外で思い出してほしい。できれば、いつまでも気づかないでいてくれると嬉しい。
 本当のことを知ったら、子供たちは私に話しかけてなんか来なくなっちゃうからねえ……。

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【R-15】遭難 2017年8月23日


猛吹雪の中、遭難した3人は山小屋に避難する。しかし、食料のない中、彼等は禁忌を犯すことに決めるが……。

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食人表現があります。読む際はご注意ください。

 隙間風が吹き込む。ビョオ、ビョオという音が、そこら中から聞こえてくる。
 心もとない明りが風にあおられ、ゆらゆらと揺れる。光が映し出す僕らの影は、まるで踊るかのように蠢いていた。
 僕はすこしでも体温が逃げないようにと、シュラフ(寝袋)に包まれた自分の体を抱き寄せる。
「おい、スティーブ」
 シュラフにくるまれたままのリーダーが僕に声をかけ、イモムシのように近くにすり寄ってくる。そして、体同士を寄せ合って、残り少ない体温を布越しに分け合った。
「どうしました、クリス」
「アーロンの様子は?」
 僕は目を床に落とす。そこには顔面蒼白の仲間が横たわっていた。
 彼は登っている時に滑落し、開放骨折を負った。とりあえずの応急処置はしたものの、リーダーの判断で下山することに決めたのだ。
 そう、僕らは登山をしていたんだ。僕ら3人は元々大学の登山部で一緒だった。そして、社会人になってからも時間を見つけては会っていた。
 ある時、学生時代は悪天候で走破できなかった山脈を走破しようという話になったのだった。というわけで僕らは装備を持って冬山登山に挑んだのだが、中盤まで来た頃にアーロンが滑落、彼が持っていた食料や水は運悪く、全て谷底に落ちてしまった。
 リーダーはすぐさま山岳救助隊に連絡を取ったのだけど、悪天候とヘリの故障のせいで一週間は活動できないと言われた。それで、自力での下山に挑んだのだが、天候の悪化が著しくて、僕らは近くにあったこの山小屋に避難したのだった。
 そこまでは良かった。食料こそないものの、水は雪を解かせば手に入る。寒さは何とかしのげるし、場所は伝えてあるから一週間耐えれば救助が来る。
 ただ、開放骨折は感染症を起こす。それが低体温・低栄養状態では免疫力低下をおこし、なおの事、悪化する。
 アーロンも例外ではなかった。
 何度あるかはわからないけれど高熱を出しているし、何も話さず獣のような息遣いだ。これでは下手すると、敗血症性ショックを起こすかもしれない。少なくとも、すぐに病院へ運ばないと死んでしまうだろう。
「厳しいですね……治療なしだと、あと数日持つかどうか……」
「そうか……救急キットに、治療できるようなものはないんだよな……」
「ええ」僕は首をかすかに振った。「覚悟しておかないと」
 不意に眠気に襲われ、僕はそのままリーダーに寄り掛かって、目をつぶった。

 目を覚ますと、僕は床に寝かされていた。リーダーが僕の方に目を向け、カップに入った雪解け水を手渡してくれた。
「飲んでおいた方がいい。温かいから」
「ありがとうございます」
 僕はカップの中の、味もない水を一口飲む。体中に広がり、凍り付いた体を解かすような温かさが僕を包み込む。
 すると、リーダーが僕の前に来て、首を振った。
「アーロンが死んだ。遺体は取りあえず、シュラフに包んである」
 先ほどの温かさは波が引くように無くなっていき、代わりにとてつもない無力感に襲われる。
 友人を助けることができなかった。難しいことだっていうのはわかっていたけれど、それでも救うことができなかった。他に何かできたかもしれない、なにか別の方法で助けることができたかもしれないのに。
 アーロンの親になんといえばいいのだろう。僕の腕が足りずに死んだと正直に言うべきだろうか、僕らのプランが不味くてアーロンを殺してしまったと、伝えなくてはならないのだろうか。
 それに、彼には妻がいる。あの人になんて伝えればいい、あの人はぬけぬけと生き残った僕らのことを聞いて、なんて思うだろうか。
 そう思うと、僕は何とも居た堪れない気持ちになって、目から涙が零れ落ち、頬を濡らした。涙はすぐに凍り、僕の頬に線を描いた。
「そう……でしたか……」
 リーダーは気丈にも「ああ。救助が来るまで、あと6日くらいだ。それまで、アーロンのためにも生きよう」と言って、励ましてくれる。
 僕は頷いて、リーダーと一緒にまた身を寄せ合った。

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 それから三日ほどだろうか、それくらいの時間がたったころ。
 僕ら二人は強烈な飢えから動くこともなく、ただただ横になっていた。腹の虫が鳴くこともなくなり、僕らが唯一動くと言ったら、水を得るために雪を掬いに行くときくらいだった。
「いま、何日目だ」
「わかりません。もう、数えてませんから」
 最近やることと言えば、僕ら二人はたまに声をかけ合い、死んでいないかどうかの確認をするだけだ。
 僕は寝返りをうつ。目の前に、穴だらけ隙間だらけの山小屋の壁がそびえ立つ。
 アーロンが食料さえ落とさなければ、こうはならなかった。それに、あいつから漂うかすかな腐臭が胃をもぞもぞと蠢かせる。
 そういえば、肉は腐りかけがおいしいんだったっけ。そうそう、熟成肉というのもあるらしいし、新鮮な肉よりも腐った肉のほうがおいしいと聞いたことがある。
 僕は残り少ない力を振り絞り、その考えを振り払った。
 だめだ、何を考えている。友人を食うなんて、そんなことを考えちゃいけない。
 でも、その考えはとても魅力的に見えた。飢えている時なら、どんなものだっておいしいと言うじゃないか。空腹は最高のスパイスだとも、言うじゃないか。
 いやいや、そこまで堕ちれば、人としての尊厳がなくなってしまう。
 尊厳がなんだ、威厳がなんだ。飢えの前に、権力なんて意味はないんだ。
「ねえ、クリス」
 僕は壁を見たまま、リーダーに話しかける。リーダーは短い沈黙の後、口を開いた。
「……お前も、同じようなこと、考えてたのか?」
「ええ……焼けば、菌は死にますから。バーナーはありますし、調理器具だって何とかなりますし……」
 長い沈黙。その一秒が過ぎるたび、僕の飢えは酷くなっていった。早くリーダーが決断してくれないだろうか。
「それしか、ないか」
 その言葉を聞いた僕の心は、どこにこんなエネルギーが残っていたのかというほど、狂喜乱舞した。これで、このきつく苦しい、極寒の冬の化身である飢えから解放される。そのことが、僕を奮い立たせた。

 それからの二人は早かった。
 持っていたナイフで皮をはいだり切り取ったりと、動物を解体するようにバラバラにし、フライパンを熱してスライスした肉をこんがりと焼く。
 それを僕ら二人は貪り食う。それが終わると、サイコロ上に切った肉を雪と一緒に煮て、そのスープを飲み込んだ。
 肉は血抜きもまともにしなかったからか恐ろしく獣臭かったものの、とても柔らかくて、人の肉というよりは小鹿のような肉だった。人の肉が固いとか筋張っているとかいったやつは、きっと人の肉を食ったことがないに違いない。
 ある程度食べて飲み、落ち着いたころ。僕はこれまでにない多幸感に満ち満ちていた。食事がこんなに素晴らしいものだったなんて、都会での生活ではわかり得ないことだろう。
 少しして、僕は言いようもない不安と罪悪感にさいなまれ始めた。
 ついに、僕らは自分のためとはいえ、他人を貪り食うという禁忌を犯した。それがどんな目で見られることか、理解できないほど馬鹿じゃない。
 だが、食べなければ、僕らは間違いなく死んでいた。それに、僕らが飢える理由を作ったのも遭難する理由を作ったのも、彼じゃないか。
 それだけじゃない、彼は死んでいた。僕らが食べている動物たちだって、死んだ動物たちじゃないか。何が違うというんだ、死んだ人間を食べるのと死んだ家畜を食べることとの違いはなんだ、どっちも動物じゃないか。
 僕らは生きるために食べているんだ。なぜ、人間を食べちゃいけないんだ。
 そうだ、僕らを冷ややかな目で見る人間たちだって、同じ状況になれば同じことをするに違いない。彼等は口でいくらでも綺麗事を言うけど、それを支えているのは薄っぺらいプライドや習慣化した本能じゃないか。
 それだけじゃない、魚やウサギも共食いするんだ。動物である人間が、共食いをしちゃいけないなんて理由はないじゃないか。
 僕はため息をついた。獣のにおいが胃から這い上がってくる。
 そうだ、僕らは悪くない。これが自然界では普通なんだ。弱った個体や死んだ個体を食べる、それが普通なんだ。
 やっと落ち着いた僕は満腹感と頭を久しぶりに使った疲れから、また眠りに落ちた。

 それから毎日、ちびちびと肉を切っては食べを繰り返し、なんとか生き永らえた僕ら二人は、外から響いてくるヘリの音で目が覚めた。
 リーダーと視線を交わす。僕はシュラフから這い出て、外に出た。
 一週間ぶりの日光が僕の網膜を焼く。その痛みは、僕が生きていることを実感させてくれた。
 遠くに赤と白のカラーリングをしたヘリが見える。
 僕とリーダーは手にしたウィンドブレーカーを、ヘリが近くに着陸するまで大きく振り続けた。

 ヘリの中で僕らは毛布に包まれ、ペットボトルの水や簡易食糧を貰って飲んでいると、レスキュー隊員が近くに来た。
「すいません、あなた方は三人でここに来たんですよね?」
 僕はぎくりとして、リーダーの方に目を向ける。リーダーが言いにくそうに「ええ。でも……一人が死んで、生き延びるためにその遺体を少しずつ食べたんです」と、僕の代わりに答える。
──ああ、これでどんな目で見られるか……。
 すると、レスキュー隊員が怪訝な顔をして、首を傾げた。
「あの……中にあるの、足を骨折してる小鹿の死体なんですけど」
「は?」
 僕ら二人は素っ頓狂な声を上げる。訳が分からない。僕らが食べていたのはアーロンの遺体だったはずだ。
 レスキュー隊員が面倒そうに顔をしかめた。
「だから、死後何日経った小鹿ですよ。それが、綺麗に解体されて、おいてあるんです。人なんか、どこ探してもいませんでしたよ」
 僕ら二人は顔を見合わせる。その時、ヘリの無線から『登山者から遺体発見の連絡。そちらの現在地から数キロも離れていない谷底だ。引き上げることは可能か?』という連絡が聞こえる。
 数キロの地点にある谷底……アーロンが滑落した谷底じゃないか!
 それでやっと、僕はわかった。
 笑いが腹の底からこみあげてくる。まるで、おとぎ話か何かじゃないか。そして、それに必死に弁明しようとするなんて。
 そういえば、極限状態では人間は幻覚を見るんだった。
 リーダーの方に目を向けると、リーダーも笑っていた。笑いが止まらない、こんなひどいことがあるだろうか? 僕ら二人はとんでもない馬鹿のエゴイストだ。そして、弁明する必要もないことに、なぜ必死になって弁明する必要があったんだろう!
 その無意味さに、追い詰められた人間の狂気に、僕らは笑いが止まらなくなってしまった。こんなことがあるなんて!
 あきれ返った顔のレスキュー隊員がヘリに乗り込み、ドアを閉める。僕ら二人の笑い声は、上昇するヘリのローター音にかき消された。

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