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Kindle Direct Publishing (KDP)で電子書籍を出版するには? 2019年8月25日


初めに

皆様こんにちは。私は2Bペンシルと申します。いつもは趣味で小説を書きながら、時たまシナリオライターメインのマルチライターをやっています。

さて、多くの方は「電子書籍を出版しよう!」と考えた際(考える人は少ないか?) 、Kindle Direct Publishing(以下KDP) が候補に挙がるのではないかと思います。

しかし、ネットで検索すると色々なサイトがヒットしてしまい、あまりの情報量に頭が混乱したという経験をされた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

現に、私はそれらの情報を読み込むのに時間がかかって半年ほどKDPでの出版を控えたことがあります。

ですので、「KDPの出版はハードルが高いな……」と考えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

そういう方へ向けて(ついでに私の備忘録的な物もかねて)、KDPでの出版方法を簡単にまとめてみようと思います。

私の記事で出版方法が分からず迷っている方が少しでも減ったならば幸いです。

【注意】
全ての疑問に答えようとするとそれこそ見づらくなって本末転倒であると考えましたので、最低限にまとめました。より知りたいまたは良く分からないという場合はお手数ですが、私のTwitterアカウントである2Bペンシル(@2B_pencil_0615)へご連絡ください。
また、アカウント登録については解説しません(実はこっちの方が煩雑)。こちらも分からない部分がありましたら、私のTwitterまでご連絡ください。


ちょっとその前に

・KDPで稼げるのか?
⇒ネット上における知名度がない限りは全く売れないです(私も売れない^^)。知名度があっても厳しいというお話もあります。

・一冊当たりの文章量はどれくらい?
⇒大体一万字から十万字です。それ以上にすることもできますが、ファイルサイズによってコストがかさむ場合があります(ロイヤリティ設定による)。

・値段設定は?
⇒10000字/100円が目安だと考えています。ただし、ネームバリューがある場合はもう少し高くても売れるようです。もちろん、もっと高くしてもOKです(売れるかは不明)。


目次

 Step.1 文章ファイルを用意しよう

 Step.2 表紙を用意しよう

 Step.3 用意した文章ファイルを変換しよう

 Step.4 変換したファイルをKindleプレビュワーで校正しよう

 Step.5 実際にKDP上で出版しよう


Step.1 文章ファイルを用意しよう

こちらが今回出版する『夏 怪奇小説短編集』になります。Microsoft Wordで作成し、推敲や校正を終わらせてあります。

実はKDPは.docx形式のファイルをそのままアップロードすることも出来るのですが、それだとKindleプレビュワーで確認ができないため、煩雑にはなりますがいくつかの変換を挟んでいます。

私の場合は
Docx形式→txt形式→ePub形式→mobi形式(アップロード)
の変換を行っています。

「変換なんて面倒!」という方は.docxファイルをそのままあげても問題ないかと思われます(AmazonがOKを出しているので)。ただ、その際にレイアウトなどがどうなるかは不明です。

次にこちらをメモ帳に張り付けます。そして、Step.3で使用するでんでんコンバーター(作成者:電書ちゃんねる様)へむけてでんでんマークダウンで数か所記述を追加します。具体例についてはリンク先を参照ください。

この際、でんでんコンバーターの作成元である電書ちゃんねる様が提供していらっしゃるでんでんエディターを使用すると楽です(私の場合は追加する記述が僅かなので使っていません)。

記述を追加し終えたらファイル名を付けて、txt形式で保存しましょう。これでstep.1は終わりです。


Step.2 表紙を用意しよう

表紙は
・1562×2600ピクセル
・JPEG形式 or TIFF形式
で用意する必要があります(サイズについては決まっていませんが、このサイズが見やすいと思います)

用意したものがこちらになります。

この際、表紙に使う写真の著作権などには十分注意してください(今回は私が海に行った時に撮った写真をトリミングして、MSペイントで文字を入れてあります)。

また、文字の大きさも出来る限り大きくしましょう。というのも、KDP上で表示されるサムネイルは非常に小さいためです(今回はタイトルが600ピクセル、他の文字が100ピクセル)。

表紙が完成しましたら保存して、分かりやすいところに置いておきましょう。これでStep.2は終わりです。


Step.3 用意した文章ファイルを変換しよう

先ほど作ったtxt形式のファイルをでんでんコンバーターへ取り込みます。

初めに”アップロードしてね”の部分で〔ファイルを選択〕をクリックし、文章ファイルをクリックします。

次にタイトル、作成者の欄にそれぞれ入力し、”ページ送り方向”で縦書きか横書きかを選択します。

”お好みでどうぞ”の欄は目的にあったものを選びましょう。基本的に初期状態のままで問題はありません。

最後に、下の方にある〔変換〕をクリックします。一万字程度ならすぐに終わり、ePub形式で出力されます。

これでStep.3は終わりです。


Step.4 変換したファイルをKindleプレビュワーで校正しよう

Kindleプレビュワーをダウンロードして開きます(リンク先には他にも使えるツールがあります)。

〔本を開く〕をクリックすると、先ほど出力したePubファイルがありますので、それをクリックして少し待ちます。

すると疑似的なKindle端末が出てきますので、その上で改行やリンクなどが間違っていないかどうかを確認します。

問題があれば、Step.1に戻って表記の仕方やでんでんマークダウンの記述を見直したうえで、もう一度Step.3と同様の操作を行ってもう一度確認します。

問題が解決しましたらStep.4は終わりです。本をエクスポートして、mobi形式で保存します。


Step.5 実際にKDP上へ出版しよう

さて、いよいよ出版です。アカウントを作ってある前提で説明を進めます。

ログインしましたら、”電子書籍または有料マンガ”という欄があると思いますので、クリックして再度ログインします。

あとは必要事項を記入していきます(何を記入すれば売れるとかは聞かないでくださいね)。記入し終えたら、オレンジ色の”保存して続行”をクリックして次のページに進みます。

次のページでは実際に原稿ファイルや表紙のアップロードを行いますが、画面の指示通りに行えばOKです。アップロードを終えたら、オレンジ色の”保存して続行”をクリックして次のページに進みます。

最後にロイヤリティと値段を設定します。この時、70 %のロイヤリティを設定するには値段を250円以上に設定する必要があります(参考1参考2)。私は税込108円で出版しましたので、ロイヤリティは35 %が限界です。他の部分についてはそれぞれご確認ください。

入力が終わりましたら、”Kindle本を出版”をクリックして出版です。反映に時間がかかるため、あとは出版されるまで待ちましょう(最長72時間)。

お疲れ様でした。


4.おわりに

各入力フォームに付随している説明を読みながらやっていけば、そこまで時間はかからないかと思われます(大体1時間くらい)。

「とりあえず一冊出したい!」という方向けの参考になれば幸いです。

しかしこのコラムでは簡略化するために、かなり説明を削ってあります。特にKindle UnlimitedやKDPセレクトについてなどです。

そのため、より詳しく知りたいという方はAmazon公式や別の方がお書きになられたサイトなどを見ていただけると幸いです。

では、2Bペンシルがお送りしました。良きKDPライフを!


5.参考サイト

six apartブログ Kindleダイレクトパブリッシングで電子書籍を出版するときの注意点まとめ 清田いちる著
https://blog.sixapart.jp/2013-05/KDP-troubles.html#1


どうも管理人です♪
上記手順で公開した2Bペンシル先生「2Bペンシル怪奇小説選集Ⅰ」です☆
是非是非読んでみちゃってください!

2Bペンシル先生の怖い話の電子書籍(Kindle版)が出ました☆
不思議怖いお話がサクッと読めます(((;゚д゚)))

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カテゴリー: 2Bペンシル 分類

呪い Side-M 2019年3月31日


愛美はある日、昔付き合いのあった夏美が彼氏と歩いているのを目撃する。しかし夏美を秘かに恨んでいた彼女は、幸せを奪い取るために呪うことを決める。

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 何の変哲もないアスファルトの敷かれた道路。車道を走っていく乗用車。スマートフォンの小さい画面ばかり見ている歩行者。
 誰から見てもいつもと何も変わらない日常。ただし、一つだけ他の人と違うところがある。
 私の目には道端に立って歩いている人の顔を覗き込んだり電柱の陰に立ったりしている幽霊も見えている。時折背中にへばりついているのもいるけれど、多分そんな人は誰かに恨まれてでもいるのだろう。
 どうしてそんなものが見えるのか、私も良くは知らない。親が霊媒師だとかそういうわけでもないし、母方の祖母が拝み屋だったとは聞いたことがあるものの別段変わった家庭に生まれたわけでもない。
 それでも私は小さいころから道端の黒い影や人を指しては、母や父に「あの人どうしたの?」と聞いていたらしい。その都度、両親から「そんな人はいない」と諫められ、人には見えていないものが見えているという事に気が付いたのは中学生くらいの頃だった。
 学生時代と言えば。夏美は元気にしているのだろうか。私が虐められるキッカケを作りだした張本人。
 彼女に私がいわゆる霊感を持っていると話さなければ、何か困ったことがあれば助けると言わなければ、私はけばけばしい化粧で自分の顔を隠さないでも出歩くことが出来たのに。
 キッカケはスクールカースト上位の一人が夏美にまとわりついたのを、私が色々と手を使って──主に呪いとかその類のもので──対処したからだ。それ以来、私は他の人とは違うという事に気が付いたあいつらは、何か悪いことがあれば何でもかんでも私のせいにし嫌がらせを繰り返してきた。
 夏美があんな男に目をつけられなければ、夏美が私を頼らずとも一人で何とか出来れば、私は夏美の代わりとして人身御供に捧げられることもなかっただろうに。
 何よりもムカつくのは、夏美本人は私がいじめられていることに気が付いていなかったこと。その鈍感さがあんな男に纏わりつかれるという事を引き起こしたにもかかわらず、彼女はいつまでも、いつまでたっても鈍感なままで居続けた。
 もとより頼りのない人だったから彼女に頼る気はなかったけれど、それでもその鈍感さは私の感情を逆なでし続けた。
 当然、先公にも相談した。だけれど返事は、「対処する」という言葉だけ。何一つやろうとせずに、生徒指導の先公共はいじめの事実をもみ消した。
 最終的にいじめられ続けた私は精神的なバランスと一緒に体調を崩して志望した大学に落ち、地元の大学に通うことになった。最悪なのはあの連中もそこを志望し、合格していた事だった。
 あとは言わなくても分かるだろう。大学に行っても私がおかしい人間だと言いふらされた挙句私は周囲から孤立し、最後は自主退学した。同じ学科の人間たちが私に向けた目に耐えられなかったのだ。
 それからは職を転々としつつ大学時代のうわさから逃げ回り、最近やっと、地元から離れたこの町である程度落ち着いた生活を送ることが出来るようになった。それでも、虐めてきた連中が何時何時この町に来て私のことを見つけ出すか分からないという恐怖から、職場で陰口をたたかれるのを承知で厚化粧をしているけれど。
 ふと、視界の端に何か懐かしいオーラが映る。人によって守護霊だとかオーラだとかはあまり変わらないから、いくら年数を経て姿かたちが変わっていようが一度見たものは覚えている。
 見るとそこにはやはり、夏美が歩いていた。隣にいる彼氏と思わしき男性と手を組んで。
 その姿を見て、私は燻っていた憤怒の炎が燃え上がり、煮詰めた砂糖水のようにどす黒い感情が体の底から湧き上がるのを感じた。夏美は幸せそうで自分を偽る必要なんてない。なのに、彼女を救ったはずの私は不幸を背負い込み仮面を被ることでやっと外を出歩ける。その差にあるのは一体何なのか、なぜ彼女は私の背負っている不幸のひとかけらも背負わずに外を歩くことが出来るのか。
 何故何故何故。彼女は幸せで私は不幸なのか。憎悪と憤怒が、私の中で噴きあがり、理性というものを焼き尽くす。
 その感情が漏れ出てしまったのか、近くを通ろうとした人がなにやら恐怖心に駆られたかのように顔を顰めて私に道を譲る。けれど、私にとっては気にならない。
 心の中でほくそ笑む。良いことを思いついた。
 彼女から幸せを奪い取ってしまおう。

 そこから、私は百円ショップや近くにある神社を回って、彼女を呪うのに必要な道具をいくつか買ってきた。丁度今日は新月だ。呪いを実行するなら、早い方がいい。
 殺す気はない、殺してしまっては彼女に私の気持ちを体験させることが出来ない。だからこそ、あくまで健康を損なう程度でいい。その程度ならば、大した手間もかからずに彼女を呪うことが出来る。
 彼女から幸せを奪い取るために、私は二段階からなる計画を考えた。まず今日やるのは、一段階目の実行と二段階目の準備だ。
 毛筆と手水で磨った墨で書いた呪符に高校時代の卒業アルバム──本当は持っていきたくなかったけれど親にどうしても持って行けと言われたものだ──から切り取った夏美の写真を重ねて、呪符と写真が筒状になるように適当な紐で縛る。そのとき、写真の首と紐の位置が重なるようにすること。
 最後にその紙筒に釘を打ち込み、数回呪文を繰り返した後、釘を抜いて紙筒を燃やす。これで、彼女の健康はほどなくして損なわれるだろう。燃やした灰は真っ新な半紙に包んで保管しておく。この灰はあとで呪いを解くのに必要だ。
 突然、背筋を撫でるような冷ややかな感触が私を襲う。これで一段階目の呪いは成功した。
 次に毛筆と墨を洗い流し、手水で朱墨を磨る。別の半紙に先ほどとは違う呪文を書いて、乾くまで窓際へと置いておいた。これは二段階目に、彼女に本当の絶望を与えるために必要な呪符だ。
「ふふっ……」
 思わず笑い声が漏れる。私が背負ってきた苦しみを、彼女も味わうがいい。

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 それからしばらくして、仕事終わりに家へと帰ろうと道を歩いていると、人ごみの中に彼女のオーラが見えた。同時に彼女の背中には、痴情のもつれで命を絶ったり恨みを抱いたりしている人間の霊や生霊の塊が、十数尺ほどの身長をした女性の形で貼り付いている。見る限り、私がかけた呪いは完璧に働いているようだ。
 人の間を縫って、彼女のもとへと歩いていき──背中に張り付いている女に睨まれたけれど、私が術者である以上は手だししてこない──私は後ろから声をかけた。
「ねえ、夏美じゃない?」
 彼女はいかにも体調が悪そうな青い顔をして、私の顔を見つめる。その姿を見て、私は物事がうまく運んでいるのだと思って微笑んだ。
「誰ですか?」
「斎藤愛美だよ。高校まで一緒だったじゃん」
 彼女は私のことが分からないかのように、眉をひそめる。そうだろう、自分がいかに恵まれて幸せなのか分からない女が、私のことなんてわかるわけがない。自分を偽らなければ外も歩けない人間のことなんて。
「あ、もしかして私がめっちゃ化粧してるからわかんないとか?」
「ええ。私の知っている愛美さんはそんな……」
「ちょっと大学で色々あってねー」笑って私のことを信用させよう。まだ計画は終わっていないのだから。「あ、もし時間あるならさ。ちょっと話してかない?」
 しばらく考える様に目を泳がした後、彼女はゆっくりと微かに頷いた。うまく行ったみたいだ。
「じゃあ行こ。ここらに私の行きつけのカフェがあるからさ」
 これから彼女に振り掛かる悪夢を考えると、私は笑いが止まらなかった。

 行きつけのカフェで、彼女と私はカフェラテとロイヤルミルクティーを頼み、それぞれ口をつける。だけれど彼女の方はというと、具合が悪いせいであまり飲む気になれないようだった。私はというと、自然を装うためにカップを持って中のものを数口飲む。けれど、これから先に起きるであろうことを考えると、歓喜のせいで味がしなかった。
「随分具合悪そうね。まあそんな状況じゃ無理もないか」
 彼女が顔を顰め、私のことを見つめる。そうだろう、いきなりそんなことを言われて納得できる人などそうそういないのだから。
「どういうこと?」
 私はあくまで自分が関わってないという体で、彼女に「夏美、あんた最近変な夢とか突然の痛みとかそういうの無い?」と尋ねた。
 すると彼女は驚いたように目を見開いた。当然だ、見ていないとしたら驚くのは私の方だ。
「どうしてそれを?」
 私は持っていたコーヒーカップを置いて、彼女の背中に張り付いている女と目を合わせる。向こうは私をにらんできたけれど、この程度の雑魚に怯えるほど私は弱くない。
「うーんとね、恨まれてるって言うか……呪われてるっていうべきかな。夏美の背中にべったり女が張り付いてる。で、その女が首を絞めたり心臓をかき乱したりしてるのが不調の原因」
 如何に事実の中に私が存在しないよう編集するか。それは私が異常だということを隠し続けてきたのと、そっくりだった。
「誰がやってるとか、分かる?」
 私は首を横に振る。当然だけれど、自分がやっているとは言わない。
「流石にそこまではね……今ある道具じゃわからない。でも、男性関係みたいね。このまま放っておけば彼氏にも影響が出るから、別れることも考えて」
 彼女が聞きたくなかったかのように目を机へと落とし、考え込むかのように黙った。そうだろう、そうそう手放す気はないのだろう。
──でも、これからあんたは彼を手放さなくてはいけなくなるのよ。
 しばらくして、彼女は消え入るような声で自分の考えを述べる。実現するはずもない、彼女の意見を。
「別れたくは、ないかな……」
「まあ、そうよねえ」
 私はカバンの中に入れておいた呪符を一枚取り出す。彼女に呪いをかける時、一緒に作ったものだ。彼女に致命傷を与えるための、朱墨で書いた呪符。
「これは?」
「お守り。これをいつもは枕の下に入れて寝て。ただし新月の日には夕暮れから夜明けまで枕の下から取り出すこと」
 本当は違う。これは恋仲である男女の関係を引き裂き、呪符を持ってない方と術者を恋仲にするもの。要は略奪愛のための呪符だ。
 私の計画は彼女が一段階目の呪いで健康を損ねた後に私に頼り、なにか呪術的な解決を求める。二段階目として、この呪符を渡して愛すらも奪うと同時に一段階目の呪いを解いて、彼女に私を信用させるとともに彼氏を奪う。
 そうして「浮気しているかもしれない」という疑心暗鬼に陥ったところへ、彼と私が付き合っているところを見せつけ、本当の孤独を味わせるのだ。信用したはず友人と恋人を同時に失うという、本当の孤独を。
 彼女は疑うこともなく私の呪符を受取り、「ありがとう」といってバッグに仕舞う。
 私はこれから起きるであろうことを考えて、思わず笑みがこぼれた。
「気にしないで。いつもそうやって来たじゃない」

 それから彼女と別れた私は家へと帰って、呪ったときに出た灰を包んだ半紙に毛筆と手水で磨った墨で呪文を書いて、満月の夜になるまで待った後、川へと半紙ごと流した。これで彼女の健康はゆっくりではあるけれど、確実によくなっていくはずだ。
 ほどなくして、私の職場に夏美の彼氏が仕事の都合で来るようになった。それを好機に、私は彼を口説いたり誘惑したりして──時には呪いのおかげもあって──彼を篭絡することに成功した。あとは彼が私から離れられないようにした後、夏美にその姿を見せつければいい。
 しばらくして。彼が夏美の誘いを断るように諭した後、彼を誘って休日に出かけることにした私は、街の中で彼女のオーラを見つけた。
──丁度いい。
 反対側の道路から見える様に彼の腕をひく。私が彼女を見つめると、彼女も何かに気づいたかのようにこちらを見た。
 その瞬間、彼女の顔が嫌悪と怒りと失望と驚きを混ぜ込んだ表情へと変わる。まるで、それぞれの負の感情を一つに重ねたような表情へ。
 私は彼女のその顔を見て、愉快さのあまり笑いだしそうになった。
 だって彼女の表情は、私の顔とまるで瓜二つだったから。

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呪い Side-N 2019年3月17日


夏美は毎日睨みつけられるような感覚に襲われ、次第に体調も悪化していった。ある日、彼女は古い友人で霊感の強い愛美から、「どうも男性関係が原因で呪われている」と教えられるが……。

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 首が手のひらに包まれる、和紙で皮膚を撫でるような感覚。細く冷たい親指が首の後ろに当てられ、しなやかな長い指が小指から人差し指まで順番に首に巻き付き、ゆっくりと私の首を締め上げて……。
 叫び声をあげて飛び起きる。いつものように、反射的に首に手を触れる。当然、何もついてない。
 荒い息を整えながらベッドの近くに置いてある時計を見ると、仄かに光る時計の針は午前二時半を指していた。
「また……」
 ここ最近、ずっとこうだ。眠りと覚醒の間にいるような状態に叩きこまれたと思ったら、首に細く長い指が巻き付いて締め上げてくる夢を見る。そして飛び起きて時計を見ると、午前二時半。必ず、この時間だ。
 ため息をついてもう一度横になろうと掛け布団を被る。けれど興奮して目が冴えた今の状態じゃ、中々寝付けそうになかった。
 赤ちゃんのようにうずくまる。いったい私に何が起きているのだろうか。ここ最近、これを除けば不安になるような事は一つもない。過去に経験したことがないほど、気が抜けてしまいそうなほどに順風満帆なのに。
 友達の蓮花に相談してみたこともある。もちろん話は聞いてくれたし、重荷が無くなったような気もするのだけれど、何も解決しなかった。
 一度、精神科に行った方がいいのだろうか。もしかしたら、自分で気が付かないような何かが心の中で起きていて、そのせいでこの症状が出ているのかもしれない。
 でも精神科は怖い。よく言われるような事のほとんどが嘘だと聞いたことはあるけれど、何処に行けばいいのかとか何をされるのかとか、分からないことばかりだ。
──もっと症状がひどくなったら、行きましょう。
 そう決めてから数回深呼吸を繰り返すと、何となく心が落ち着いた。
 日々の睡眠不足が祟って、瞼があっという間に重くなっていく。私はまた、眠りの中に落ち込んでいった。

「ちょっと夏美、大丈夫? 顔色酷いよ」
 同僚の蓮花が箸の先を私に向ける。口の中には昼ご飯が入ったままで。
「せめてご飯飲み込んでから話してよ」
「飯飲み込むより、あんたの顔色の方が問題でしょ。本当、酷い顔してる」
 適当に冷凍食品と白米を詰め込んだ弁当箱の上を私の箸が彷徨う。どうしよう、あまり食欲がわかない。
「最近、変なことがあって寝れてないの」
 そうぼそりと呟くと、彼女が不安そうな表情を浮かべて、「ああ……あの、首を絞められるだったかそんな感じのこと?」
「そう」とりあえずご飯を少しだけつまんで、口に放り込んで飲み込む。味がしない。「でも、大丈夫だよ」
 彼女がご飯を口の中に掻き込んでから、「どう見ても大丈夫じゃないけど。飯食えなくなったら動物は死ぬんだよ」
「あはは……」
 はっきりとしない笑いをあげると、彼女がもう一度箸で私を指した。
「洒落じゃないって。昔から色んな動物飼ってきたけど、衰弱して死ぬ前には必ず飯を食わなくなったんだから」
「そんな。私は──」突然、肋骨が肺に刺さったかのような痛みが左胸を襲う。
 息が出来ず、思わず屈みこむ。
 カランカランと、箸の落ちる音が聞こえる。
「ねえ、ちょっと夏美」
 彼女が慌てて、私のことを支えてくれた。無理矢理息を吸い込むと、パキンという音とともに胸の痛みが不意に引いていった。
 屈みこんだまま、荒くなった息を整える。
「大丈夫?」
 私は頷いて顔をあげたけれど、彼女は心配そうな顔で「病院行ったら? 着いてってあげるからさ」と続けた。
「大丈夫だよ……いつものことだから」
 ここ最近の話だ。今と似たような症状が何度も何度も、時と場所を選ばずに私の胸を襲う。とはいえ、しばらくすると落ち着くし痛い他に何かがあるというわけでもない。
 多分、最近寝られていないことが原因なのだろう。それに、病院に行ったところで正体不明とか神経痛とか、そう言われるに違いない。そんな事を聞くために病院へ行くのは、お医者さんも迷惑だろう。
「本当?」
 先ほど落とした箸を拾いながら頷く。ふと腕時計を見ると、もうそろそろ昼休みが終わる時間だった。
「蓮花、もう時間だよ」
「え? ああ……」
 私はほとんど手をつけていない弁当箱を手早く片付け、彼女と一緒に仕事場へと走っていった。

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 仕事を終えて──私のいる部署はそれほど激務ではないので大抵は定時に帰れるのだ──最寄り駅に向かっている最中、私は後ろから声をかけられた。
「ねえ、夏美じゃない?」
 どこかで聞いたような特徴のある高い声。振り向くと、ブリーチ特有のくすんだ金髪をした、見たことのない顔をした女性がニコニコと笑って私の顔を見つめていた。かなり化粧が濃いみたいで、それなりに離れているはずなのに化粧品の粉っぽいにおいが鼻につく。
 私は首を傾げて、「誰ですか?」
「斎藤愛美だよ。高校まで一緒だったじゃん」
 確かに小学校から高校まで斎藤愛美という友達がいた。けれど、彼女はこんなにけばけばしい化粧をしていなかったし、校則がそうだったというのもあるけれど黒髪だった。なにより彼女は派手好きというよりはむしろ地味な子だったはずだ。
「あ、もしかして私がめっちゃ化粧してるからわかんないとか?」
 疑問符を頭の上に浮かべている事に気が付いたのか、彼女はそう訊ねてくる。
「ええ。私の知っている愛美さんはそんな……」
「ちょっと大学で色々あってねー」彼女は屈託のない笑顔──声をかけられてから初めて見る、愛美らしい顔だ──を私に向ける。「あ、もし時間あるならさ。ちょっと話してかない?」
 通勤にはそんなに時間もかからないというのもあって時間はあるし、この時間帯は帰宅ラッシュの関係で電車の中も混む。時間を潰せるのなら歓迎だ。なにより愛美は昔から勘が鋭いというか、いわゆる霊感を持つ子だった。彼女のおかげで、何度か私も救われたことがある。
──もしかしたら、今の私に起きていることに何か説明をつけてくれるかもしれない。
 そんな、藁にすがるような考えが、私の頭を上下に揺らした。
「じゃあ行こ。ここらに私の行きつけのカフェがあるからさ」
 彼女が笑って歩き始める。私もそのあとを追っていった。

 街中によくあるチェーン店のカフェで、私はカフェラテに口をつけた。けれどミルクでも消しきれないエスプレッソの酸味に、思わずえづく。前はそんなことなかったのに。
「随分具合悪そうね」彼女はロイヤルミルクティーを一口飲んで、「まあそんな状況じゃ無理もないか」
 彼女の独り合点に、私は顔を顰める。
「どういうこと?」
「夏美、あんた最近変な夢とか突然の痛みとかそういうの無い?」
 一転して私は目を見開く。何で彼女がそのことを知っているのだろうか。
「どうしてそれを?」
 彼女がコーヒーカップを置いて、私の肩越しに目線を向ける。
「うーんとね、恨まれてるって言うか……呪われてるっていうべきかな。夏美の背中にべったり女が張り付いてる。で、その女が首を絞めたり心臓をかき乱したりしてるのが不調の原因」
 私は働かない頭を巡らせてみる。けれど、そんな恨まれるような事をした覚えはない。確かにあれだけ順風満帆なのだから多少は妬まれているだろう。でも、そんな呪われるほどのことをした覚えはない。
 彼女が嘘をついている? いいや。こういうことに限れば、彼女は嘘をつかない。それだけは確かだ。それで何度も救われてきたのだから。
「誰がやってるとか、分かる?」
 彼女が首を横に振る。
「流石にそこまではね……今ある道具じゃわからない。でも、男性関係みたいね。このまま放っておけば彼氏にも影響が出るから、別れることも考えて」
 私は彼女から目をそらして、机の上にある冷めたカフェラテを見つめる。
 彼のことはもちろん好きだ。だから、彼まで巻き込まれてしまうのなら、別れることも考えないと。でも好きだからこそ、別れるなんてことを考えたくはない。別れずに何とかする方法はないのだろうか。
「別れたくは、ないかな……」
「まあ、そうよねえ」彼女が真っ赤な鞄から一枚の紙を取り出して机に載せる。お札くらいの大きさをした半紙に何か文字を朱墨で書いてあるようだけれど、何を書いてあるのかはさっぱりわからない。
「これは?」
「お守り。これをいつもは枕の下に入れて寝て。ただし新月の日には夕暮れから夜明けまで枕の下から取り出すこと」
 そういえば高校時代、私が面倒な男に絡まれていた時も彼女はこうやっておまじないを教えてくれた。その男は結局、暴行事件を起こした挙句に学校を退学になって、二度と私に関わってくることはなかった。
 今回もきっと、そういうようなものなのだろう。なにより彼女がくれたのだから。
 私はお守りを受取って、バッグにしまう。
「ありがとう」
「気にしないで。いつもそうやって来たじゃない」
 彼女は見慣れた、純粋そのものの笑みを浮かべた。

 それからしばらくして。
 私は悪夢や謎の痛みから解き放たれて毎日ゆっくりと寝られるようになり、それに伴って体調もみるみる復活していった。花蓮や他の同僚からも、「前に比べればずいぶん元気そうに見える」とお墨付きをもらうくらいに。
 けれどそれと同時に、私と彼の距離は離れていった。体調が回復するにつれて、彼と私の予定が被ったり久々に会えると思ったら彼が体調を崩したりと、そういうことが増えたのだ。
 初めの方はどうしようもないことだと思っていた。彼も忙しい人だし、前々からそういうことはあったから。
 けれど日が経つにつれて、どうにもおかしいと思い始めた。あまりに彼と私の予定が合わないし、彼の体調がかなり不安定だ。それに一度、体調を崩しているということだったので看病に行こうかと聞いたら、怒気をはらんだ声で「来なくていい」と言われたこともある。
 好きなのは変わらないけれど、モヤモヤとした疑惑を抱えながら誰かを好きで居続けるのは難しかった。結局、胸に秘めているものが漏れ出てしまっているのか、彼との距離は日に日に離れていった。

 ある休みの日に街中を歩いているとき。私の目は信じられないものに釘付けになった。
 仕事中のはずの彼が私服を着て、道路の向こう側を歩いていた。何故そんなことを知っているかと言えば、デートに行かないかと私が誘ったときに彼が「今日夜まで仕事だから」と断ったからだ。
 そして、彼の隣に立って手を繋いでいる女。それは愛美だった。

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誰もいない町 2019年1月26日


傷心旅行と称し初めて行く町をぶらついていた彼は、あまりに周りが静かなことに気が付いて、辺りを捜索し始める。

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 信じられない体験、というのは誰でも彼でもあると思う。それが例えば意中の人から告白されたというような良いことだったり、電車を待っていたら人が電車に飛び込む瞬間を目撃したというような悪いことだったり、良し悪しは様々だと思うけれど。
 ただ、どうやってもあり得ないことに出会うという経験をする人は、そうそういないのではないかと思う。いや、正確には説明がつかないというべきか。
 これは実際に僕が体験した話だ。未だに僕はこれが真実だとは思っていない。かといって全くの嘘だった、ということで片付けられるような話でもない。
 そんな、信じられない話だ。

 つい数週間前、付き合っていた彼女と僕は別れてしまった。理由は単純で、僕が仕事に打ち込みすぎて彼女のことを完全に放っておいたからだ。彼女はずっと一人で居続けることや僕が家に居ても全く会話を交わさなくなったことに耐えられず、僕と別れることを決めたのだった。
 それをきっかけに、働き方を見直すのと傷心を癒すため、そして有給休暇を消化するためと称して有給休暇を数日間取得した僕は、初めの一日二日は家でゴロゴロとして体と心を休めていた。
 ただしばらくすると、仕事ばかりしていたせいもあってゴロゴロするのに飽きてしまった。仕事が趣味に近かった僕にとって、休日にする趣味もこれと言ってなく、かといって新しい趣味を見つけるには数日という時間は短すぎた。
 そんなわけで手持ち無沙汰になってしまった僕の脳裏に、行ったことのない場所にいこうという考えが過ぎったのだった。
 もしかしたら、この時から僕はあの町に呼ばれていたのかもしれない。
 ただ、まあ、あの当時の僕にはこれが最高の選択肢だったのだ。
 僕は思い立ったが吉日とマップアプリを起動して、近くの町──何せ仕事ばかりでどこにも行ったことがなかったので候補地だらけだった──をいくつか検索し、なんとなく自然の多い場所を選んで行く予定を立てたのだった。

 翌日。仄かに地面を照らすような陽光の下、日ごろの運動不足を解消する目的も兼ねて適当な歩きやすい靴と服を着込んだ僕は、電車に乗って家から十数キロメートル離れた町に向かっていた。なんでも、その町の通称が『自然の町』だそうで、傷心旅行にはもってこいだと考えたのだった。
 窓の外をぼうっと眺めていると、建物の人工的な灰色と木々の緑の比率が少しずつ変わっていくのが分かる。目的地に近づくほど徐々に木々の比率が増えていき、建物と比べると一対九くらいになった途端、間もなく到着するといった趣旨のアナウンスが聞こえてきた。
 体が横の加速度を感じ、過ぎ去っていく風景が少しずつ形を取り戻していく。
 電車が止まり、エアの抜けるような音が聞こえて電車のドアが開いた。黒ずんだアスファルトとひび割れた点字ブロックで出来たホームに降りると、人一人見えない。大抵、こういう寂れた駅でも誰かはいるような気がするのだけれど。
──そういえば、今日は平日か。
 すっかり忘れていた。それも今は平日の昼間だ。むしろ駅を使う人の方が少ないだろう。
 一人納得して、僕は鼻腔をくすぐる緑の匂いを楽しみながら、改札へと歩き出した。
 自動改札をくぐると、申し訳程度の案内板と自販機以外何もない駅前のロータリーに出た。近くのくすんだ色をした商店は軒並みシャッターが閉まっており、にぎやかな様子は全くない。
 目の前にある歩行者用信号機が、誰もいないのに点滅を始め、赤に変わる。ほどなくして、車両用信号機が青へと変わった。
 耳を澄ます。車の音も人の声も聞こえない。
──随分静かだな……。
 どんなに寂れた町でも、車の一台くらいは走っていそうなものだけれど。それどころか、室外機からのブーンという重低音も聞こえない。風も吹いていないので、風の音すらもない。
 車両用信号機が黄色そして赤へと変わり、歩行者用信号機が青に変わる。僕は不安かそれとも期待か、少しだけ早いペースで歩き始めた。
 聞こえるのは自分の足音と衣擦れの音。この世界で音を立てているのは自分だけ。そんな環境、仕事中は殆ど、いや全くと言っていいほど無い。
──新鮮だ。
 率直な感想が脳裏に浮かぶ。それに周りを見ても誰一人いないというのも、中々新鮮だ。こんなに孤独になったこと、片手で数えるほどしかない。
──今の僕にはちょうどいいかもな。
 自虐的なセリフに思わずくすりと笑う。
 特に目的地を定めず車道に沿って歩いていく僕の後にも先にも、人はいなかった。

 歩道の真ん中で歩みを止め、周りを見回す。
──さすがにおかしいぞ。
 腕時計を見ると、電車から降りてもう二時間近く経つ。それに、二車線ある太めの道路に沿って歩いてきたはずだ。
 なのに、車一台どころか人っ子一人いない。
 確かに平日の昼間だから、人は少ないだろう。けれど、それでも散歩しているおばあちゃんやおじいちゃんがいるだろうし、荷物を運ぶトラックだっているはずだし、こんなに静かなものだろうか? 近くで何かイベントでもあって、そちらに行っているのだろうか? だとしても、車が一台も通らない説明がつかない。
 事故か何かで通行止めになったとも思えない。五キロメートルは歩いてきたのだ、もし通行止めされているなら、どこかで迂回路を指示する警官を見ているはずだ。
 初めは能天気に「静かな場所だなあ」なんて考えていたけれど、今は訳の分からない不安感と孤独感がじわじわと心の中に根を広げはじめていた。適度な孤独は喧騒から離れて自分を客観視する時間を与えてくれるけれど、過度な孤独は自分が世界から切り離されたのではないかという不安を生み出す。
 僕の心の中にあったのは、まさにその不安だった。
 とりあえずこういう時は一度駅に戻らなくては。そろそろ日も暮れてしまう。夜にこんな町の中を歩くのは勘弁だ。
 道順を確認するためにマップアプリを起動しようとスマートフォンを取り出す。すると、見たことのない電話番号から電話が来ていた。080から始まっていることから見て、携帯電話かスマートフォンからのようだ。
──誰だ?
 画面のロックを解除して、その電話番号に掛けてみる。
 数コール後、相手の電源が切れているか圏外であるために応答できないという機械的なアナウンスが流れてきた。
──なんなんだ一体……。
 とりあえず本当に重要な件であれば、また向こうからかけなおしてくるだろう。そう思い直して、僕は電話を切ってマップアプリを起動した。

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 マップアプリとGPSを頼りにして──行ったこともない町を適当に宛てもなく歩いてきたものだから土地勘が無いのだ──駅まで戻った僕は、ふと駅員室を覗き込んでみた。どんなに町に人が居なくとも、駅員室には必ず人が居るはずだ。
──誰もいない。
 トイレにでも行ったのだろうか? ならば、しばらく待てば出てくるだろう。幸運な事に、乗る予定だった電車の発車までは時間がある。
 木でできた駅構内のベンチに腰かけ、一体何が起きているのかと自問自答していた。信号も電気も改札機も、全て正常に動いている。人や車の痕跡がない以外、この世界は正常だ。
──本当にそうなのか?
 ふと思い立ち、立ち上がって自動販売機にお金を入れ、ミネラルウォーターを一本買ってみる。普通に取り出し口から出てきた。ボトルのふたを開けて、中の水を床にほんの少し零してみる。水はいつも通り黄ばんだリノリウムに落ちて、水滴をまき散らしながら広がっていった。空を見上げると、太陽は西へと傾き始めていた。
 人間が居ない以外、すべて正常だ。僕の見知った世界だった。
 もう一度駅員室を見てみる。やはり駅員さんは居なかった。
『二番ホームに電車が参ります。黄色い線の後ろまでお下がりください』
 久しぶりに聞いた人間の声に驚いたけれど、録音されている駅のアナウンスだ。機械が動いているだけ。人間がいるわけじゃない。
 とりあえずその電車に乗って帰る予定だった僕は、家に帰れば何か変わるかもしれないと思い、カード入れを取り出して自動改札機にタッチし改札をくぐった。

 立っている僕の前に電車がぴったりと止まる。
 どんな電車でも必ず止まった後に運転手さんが降りるか窓から顔を出して、停止位置を確認する。もしそんなことをしないとしても、必ず進行方向の運転室には運転手が居るのだ。
 少し歩いて運転室を見に行くと、そこには誰もいなかった。
──じゃあ、この電車はどうやって……。
 自動運転? まさか、そんな技術はまだ採用されていない。でも、それ以外に説明のつくものがない。いよいよもって、訳が分からなくなってきた。
『ドアが閉まります。ご注意ください』
 アナウンスにハッとして、反射的に空いているドアに足を踏み入れようとしたときだった。
 マナーモードにしておいたスマートフォンの振動を感じ、踏みとどまる。ポケットからスマートフォンを取り出すと、先ほど掛かってきた見たことのない番号からだった。
 画面のバーをスライドして、耳に当てる。
「もしもし」
 スピーカーから聞こえてきたのは、中学生くらいだろうか、まだ若い女性の声だった。
『乗らないで』
 プツン。ツーツーツー。
 ただ、その一言だけだった。電話はその一言で終わってしまった。ここ数時間で初めて聞いた録音以外の声は、その一言で終わってしまった。
 エアの抜けるような音ともに、ドアが閉まる。電車はそのまま速度を上げて、僕の目の前から走り去っていく。
 誰もいないはずの車内から感じた、睨みつけるような怨嗟の視線を残して。

 あれからしばらく震えが収まらなかった僕がホームにあったベンチに座って待っていると、ホームにおばあちゃんが降りてきた。すぐさま駆け寄っていって駅の名前を確認してみたところ、間違いなく僕の居た駅は目的の駅だった。
 ただ、そんなことを聞く人間が物珍しかったのだろう。おばあちゃんがどうしてそんな事を訊ねたのかと聞いてきたので、自分の体験してきた事を話してみた。
 すると、おばあちゃんは──この場所に長く住んでいる方らしく、色々と詳しい人だった──あることを教えてくれた。
 一年に一度、原因も分からず日付も決まっていないのだけれど、似たような経験をする人がいるのだとか。ただし、たいていは今の僕のように何事もないのだそうだ。だから僕もそれに巻き込まれたのではないのかというのが、おばあちゃんの見解だった。
 その後、人と話して落ち着いた僕はおばあちゃんと別れて電車に乗り──当然乗客も運転手さんもいた──何事もなく家へと帰ってから、ベッドに寝転がって誰が電話をかけてきたのかと考えつづけ、今に至る。

 これが僕の体験談だ。
 結局今も、誰が僕に電話をかけてきたのかはわからない。僕には中学生くらいの女の子の知り合いなんていないのだ。それに電車の中から感じたあの怨嗟の視線の正体も分からない。第一、電車の車内には誰もいなかったのだから。
 いや、もしかしたら『見えなかった』のかもしれない。僕が迷い込んでしまったのは、この世界と違う世界の、霊界というべきような場所にいたのかもしれない。そして『見えなかった』乗客たちは今まであの町で行方不明になった被害者たちなのかも。本当は毎日同じことが起きていて、その世界から無事に帰ることが出来るのは一年で一日だけなのかも。
 でも、それも仮定でしかない。真実は一つだというけれど、僕にはそれが分からない。
 だから僕はこの体験を、信じられない。

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ポストカード 2018年11月26日


ある日、郵便受けに入っていたのは、彼を被写体にした送り主不明のポストカード。初めは写真を見て懐かしんでいた彼だったが、あることに気が付いてから……。

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 週一回の買い物を終えて帰ってきた俺が荷物を置いてドアの裏側に付いている郵便受けを開けると、はがきが一枚滑り出てきた。
──なんだ?
 このご時世、はがきや手紙なんて送ってくる人が居るなんて。公共料金の領収書だとかダイレクトメールとかならわかるが。
 手に取って見ると、表には俺の住所と名前が綺麗な字で書かれていた。消印は昨日。文字の丸さから、なんとなく女性っぽい気がする。
 どこかでこの筆跡を見たことがあるような気もするが、どうにも思い出せない。さて、どこだったか。
「誰かに住所教えてたっけ……」
 女友達は居るものの、特に必要ないと思って住所は教えていない。唯一教えるとしたら彼女がいる場合だが、今の部屋を借りるようになってから彼女が出来たことはない。
 というよりは以前付き合っていた彼女の執着心や嫉妬心があまりに強すぎたせいでトラウマになってから、女性関係は持たないようにしている。その彼女とは俺が夜逃げする形で縁を切っているので、住所は知らないはずだ。
 とりあえず、裏を見よう。そう思ってひっくり返すと、半年ほど前に行われた河原でのバーベキュー大会──会社の部署ごとで開かれるレクリエーションという体で開催された──の写真だった。
 川原特有の丸い石が敷き詰められた地面と疎らな野草。そこに焼き台が横に三つ並んでおり、俺は中央の焼き台の近くでプラスチックコップに入ったビールを片手に、ぼけっと空を見ていた。周りにはほとんど人がおらず──確か肉が焼ける前だったので、誰もこっちに来ようとせずに俺が火の面倒を見ていたのだ──唯一、俺よりもカメラから離れた位置に立っていた同僚の佐藤がカメラの方を見ていた。しかし佐藤にはピントがあっていないので、被写体は俺らしい。
 多分、フレームの外では鈴木課長が女性社員をそばに侍らせ、他の男性社員がいそいそと面倒を見ているに違いない。ああいう上司にこびへつらうのが苦手な俺や佐藤は、二人寂しく賞与の値段を嘆きながら一緒に居る訳だが。
 まあ、そうは言いつつも懐かしい写真だ。課長のことが大嫌いというわけでもないし、レクリエーションのおかげで新入社員とも知り合えたし。
──しかし、誰が送ってきたんだ?
 裏にも表にも送り主の名前や住所は書かれていない。書かなくても届くものの、何かあったときのために大抵は書くものだと思うのだが。
 カードを指の間に挟んだまま廊下を歩き、キッチンを超えて居室に入る。机の前に置いた椅子に座ってから、机の上に電気スタンドをつけてもう一度、ポストカードを隅々まで確認してみた。
 やはり、何処にも送り主の名前や住所は書いていない。イニシャルや郵便番号すらも。
 何となく引っかかったものの、何か害があるというわけでもなさそうだ。もしかしたら、社員の誰かが撮った写真を、気を利かせて俺に送ってくれたのかもしれない。
 それでも手紙という手段を取るなんて、珍しいものだが。
「……まあ、いいか」
 俺はポストカードを机の引き出しに仕舞い、ストリーミングサービスで映画を観るためにラップトップを起動した。

 定時に仕事を終えてから──鈴木課長は苦手な上司ではあるものの、こういうルールに関しては厳しい人だから嫌いになれない──部屋に帰り、郵便受けを開ける。すると、またポストカードが滑り出てきた。
──このカードが来るのは一週間ぶりだな。
 今回も前と同じく、送り主の情報は一切ないようだ。裏を見ると、三か月くらい前にあった高校の同窓会の写真だった。今回も俺が主役になっているらしく、友達が中央にいる俺を取り囲んで笑っていた。
 ただ、この写真はおかしい。
──誰が撮ったんだ。
 生まれつき酒が強いおかげで、かなりの量を飲んでもそのときの状況をある程度思い出せる。
 だからこそ、確信を持って言える。あの時、誰も俺の写真を撮ってはいない。
 バーベキュー大会の時はカメラに気づかなかったのかもしれないが、室内であれば気づくはずだし、気づいていればそっちの方を見るはずだ。なのに、俺は笑ってはいるもののカメラの方を見ていない。
──流石におかしいぞ……。
 廊下を通ってワンルームに入り、シングルベッドに腰かける。消印を見ると、送り主はどうも近所のポストから俺に送っているらしい。というのも、書かれている郵便局の名前がここ一帯の集配郵便局だからだ。
 もちろん、逃げた身である俺に近所の知り合いなどいない。
──まさか……。
 俺はその考えを振り払う。まさか、あいつが俺を追ってこの町に来たわけではないだろう。何より、あいつは同窓会に参加していないのだ。あの写真を撮れるわけがない。
 とりあえず、こんなことを相談してまともに聞いてくれるのは佐藤だけだ。あいつは頭の回転も速いし冷静だ、なにか糸口を見つけてくれるかもしれない。
 俺は胃の上の辺りを掴まれるような感覚をこらえながら、佐藤にいくつか連絡を入れた。

 翌日。吐き気と頭痛、そして右手に持っていたウォッカの空瓶と共に目覚めた俺は、よろよろと立ち上がってトイレに行き、便器に顔を突っ込んで盛大に吐いた。
 吐きながら、昨日のことを思い出していた。あまりの恐怖と不快感で冷蔵庫に入れておいた缶チューハイでも酔いきれなかったため、足りない酒を近くのコンビニで買い足したのを最後に俺の記憶は飛んでいる。
 幾ら酒に強いと言え、近くに転がっているものから見て、缶チューハイ五本にウィスキーとウォッカをそれぞれ一本ずつ飲んだようだ。それだけ飲めば、こうもなるだろう。
 一頻り吐いて落ち着いてからシンクで口をゆすいで何杯か水を飲んだ後、若干の気持ち悪さを抱えつつスマートフォンを取りにワンルームに戻った俺は、ベッドの近くに転がっていた目覚まし時計を見て驚いた。
「やべ……」
 佐藤と約束した時間まで一時間とない。待ち合わせ場所まで行くのに、ここから五十分はかかるっていうのに。
──まともに身だしなみ整えている時間はなさそうだな。
 シンクへとんぼ返りして、片手で歯を磨きながらもう一方の手で櫛を掴み、髪を適当になでつける。髪を梳き終わったら歯ブラシの代わりにマウスウォッシュを口に含んで、顔を簡単に洗って干してあったバスタオルで顔を拭い、終わったら口からマウスウォッシュを吐き出す。
 近くにあった私服を着てから、今まで送られてきたポストカード含め必要なものだけ持って玄関に行くと、郵便受けに何か入っていた。
──嘘だろ……?
 郵便受けを開ける。
 ポストカードだ。手に取ると、いつも通り俺の住所と名前しか書いていない。裏を見ようとひっくり返そうとして、不意に思いとどまった。
──いや。これを見るのは、あいつに会ってからだ。
 そう思い直してカバンにポストカードを突っ込んでから、俺はドアを開けて──もちろんカギは忘れずに──駅に向かって走りだした。

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 ぎりぎり佐藤と時間通り落ち合うことが出来た俺は、近くのファミレスのボックス席に座って、それぞれ飲み物を注文した。
 落ち着いてから、こいつが口を開いて俺に尋ねた。
「……で、やばいポストカードが届いたって?」
「ついでに言うと、今日の朝も届いた」
「オーケー、整理しよう。送り主不明のポストカードが撮影者不明の写真付きで、お前のところに送られてくる、間違いは?」
「ない」
 俺たちが注文した飲み物がテーブルに届けられる。俺は吐き気もあって口をつけなかったが、こいつはコーヒーを一口飲んだ。
「今まで送られてきたカードは?」
 俺がカバンから二枚のポストカードを取り出して手渡すと、こいつが怪訝な顔をした。
「おかしいな。同窓会の方は分からないが、バーベキュー大会の写真はおかしい」
「そうなのか?」
「この写真が撮られたと思われる時間に俺が見てたのは川なんだよ。それに俺は酒が飲めないから、この時も素面だった」こいつが腕を組んで背もたれに寄りかかる。「断言できる。あの時、誰も俺たちを撮ってない。なんなら、あの時カメラを持ってたのは課長だけだ」
「……これもか」
「ああ。川の中から隠し撮りしてたってなら、辻褄も合いそうなものだが……まさか冷戦時代のスパイ映画でもないだろう」背もたれに寄りかかるのを止めたこいつが、テーブルに肘をついて俺を見る。「で、今日送られてきたカードってのは。見たのか?」
「時間がなくて見てない」
「見せろ」
 俺がカバンから今朝届いたポストカードを表にしてこいつに渡す。なんだか、裏にするのが怖かった。
 裏を見た瞬間、まるで血の気が引いたようにこいつの顔が青ざめる。どんなオプティミストでも、裏の写真が良くないものだってわかりそうなくらいに。
「……なんだったんだ」
 ポストカードを表にしてテーブルに置いたこいつが俺に尋ねてきた。
「お前、ストーカーされたことは。いや、ストーカーだってわからなくてもいい。元カノ以外に執着心や嫉妬心を向けられたことはないか」
「いや、そういう話は出来るだけ避けてきた。お前だって、俺がEカップで容姿端麗、社長令嬢の彼女がいるって嘘ついて、女性社員と女友達の興味逸らしてるの知ってるだろう。第一、出会い系にすら登録してないってのに」
「だよな……」こいつが歯をぎりぎりと鳴らす。歯ぎしりするのは、無理難題に直面したときの癖だ。「じゃあ、元カノか……いや、まさかな」
 サアッという血の引く音が耳の中で聞こえ、心臓が早鐘を打つ。
──まさか、本当にあいつが?
「どういうことなんだ」
 こいつがポストカードを裏返す。
 その写真を見て、目を見開いた。俺と女友達が並んで歩いているのを後ろから撮った写真。街の景色から見て、二カ月ほど前のことで間違いない。女友達が彼氏に買うプレゼントを選んでほしいということだったので、買い物に付き合ったときの写真だ。
 そこまではいい。
 問題は、女友達の頭だけが白く、ぐちゃぐちゃに塗られていることだった。
「なんだこれ……なんでこんな風に塗られて……」
「塗ったわけじゃない」こいつが首を横に振る。「釘か画鋲かはわからないが……引っ掻いた跡なんだよ。見えてるのは紙だ、インクじゃない」
 その言葉を聞いた途端、背筋に寒気が走る。
「高橋、良いか。もっとやばいこと言うぞ」
「お、おう……」
「お前から相談受けた後、なんだか気になってお前の元カノのことを調べた。名前も居た町も教えてもらってたしな」こいつが生唾を飲み込む。「彼女、死んでる。自殺だ」
「はあっ!?」
 思わず大声を上げるが、こいつは青ざめた顔のままスマートフォンの画面を俺につきつけてきた。半年ほど前のニュース記事だ。俺がちょうど夜逃げした後の辺りの。
「──川で26歳女性遺体発見、入水自殺か」何度も何度も読み返してみても、そのニュース記事は間違いなく前の彼女のことを指していた。「嘘だろ……」
 残酷だとは思うものの、帰るのが遅くなると包丁で刺して来たり女性用芳香剤の匂いがすると首を絞めてきたりしてきた彼女だっただけに、悲しみはなかった。それよりも犯人がだれか分からないという不気味さとそんな相手につけ狙われているという恐怖が、いよいよもって輪郭を持ち始めた。
 佐藤がスマートフォンをしまう。
「その川、俺たちがバーベキュー大会した川だが……それはいい。だからな、アングル云々の前に、元カノから送られてくること自体が有り得ない」こいつが舌打ちをする。「こうなると相手がわからない以上、警察や弁護士に言っても限界がある。俺の知り合いに探偵が居るから、そいつに頼もう。それで犯人を見つけてもらって、弁護士を雇って法廷で戦うしかない」
 こんな風に具体的なアドバイスをくれる人間なんて、そうそう居ない。
──やっぱり、こいつに相談してよかった。
 誰か頼りにできる人間がいるというだけで、気分が随分楽になる。相手が誰か分からないだけに、仲間が多い方が良い。
「分かった」
「お前の電話番号とかを知り合いに教えることになるが、良いな?」
「ああ」
「よし。多分、明日あたりその知り合いから電話が掛かってくるはずだ。もちろん俺からも話はしておくが、お前からも説明してやってくれ」
 この奇妙な事件はまだ解決していないが、展望が開けてきた事に安心して、俺は胸をなでおろす。
「ありがとうな」
 こいつがコーヒーを飲み干してから、力強く頷いた。
「友達のためだ。やれることはする」

 しばらく佐藤と他愛もない話をしてから、俺は帰路についた。これから先、どうなるかわからないとはいえ、前よりは希望が持てそうだ。とりあえず解決したら、また引っ越した方がいいかもしれない。
 部屋に帰ってドアの鍵を閉めた、そのときだった。
 カコン。
 軽いものが金属に当たる音が、郵便受けの方から聞こえる。それと同時に、尾てい骨から首までを人差し指で撫でられるような、肌が粟立つ感覚に襲われた。
──どういうことだ。
 震える手で郵便受けを開ける。中に入っていたのは、一枚のポストカード。
 消印なし、住所なし。
 あるのは赤茶けたインクで大きく乱雑に書かれた俺の名前だけ。
 恐る恐る裏を見ると、俺たちのいたファミレスを通りの向こうから撮影した写真。そこには窓際の席に座っている佐藤と、ぐちゃぐちゃに引っ掻かれて跡形もなくなっている俺『らしき』姿が写っていた。
──あいつが……? 死んだってニュースで……。
 思わずポストカードを取り落とす。恐怖と驚きで喉が詰まって、上手に息ができない。
 投入口から、もう一枚ポストカードがいれられて、開いたままの郵便受けに落ちる。
 そのポストカードは初めて、表向きではなくて裏向きだった。
 写真は、俺が青ざめた顔でポストカードを持っている姿。アングルから見て、廊下に立っている撮影者が、玄関に立っている俺を撮影していた。
 思わず振り返る。もちろん、廊下には誰もいない。鍵をかけているはずのこの部屋に、いるわけがない。
「は、はは……」
 引きつったような笑い声が俺の喉から聞こえる。
 そのとき、あることを思い出した。
──初めてポストカードが届いた日、前の彼女の誕生日だったっけ……。それにポストカード集めるのが、趣味だったよな……。
 ふと後ろから聞き慣れた、そして二度と聞きたくなかった女の声が聞こえてきた。
「忘れないでって、言ったでしょう?」

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消える。 2018年10月28日


日記に書かれていたのは、いないはずの友人の言葉。その言葉が書かれた日から、日記の内容と現実が乖離していく……。

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十月二十日
今日は妙なことがあった。
同僚で友人の山本と一緒に帰っていたときのことだ。今朝から体調が悪いと言っていたあいつが青い顔で突然、「俺が消えても、お前は覚えていてくれるよな?」と私に言ったのだ。
そんな質問をされて困惑した私が「闇金から金でも借りて首が回らなくなったのか」と聞くと、「そうではない」と返ってくる。じゃあなんだ、と聞くとあいつは言い淀んで目を泳がしていた。
何でもかんでもむやみやたらに言い切るあいつが、こんな姿を見せるなんて相当なことだ。だが、言いにくいことを無理やり言わせるのは私の良心に反する。
とりあえず、その場を収めるために「わかった、お前のことは日記に書いておくから」と約束すると、あいつは安心したかのように胸をなでおろしていた。
それでこの話は終わりなのだが……はてさて、何事も茶化しては顰蹙を買うあいつの口をあんな風に動かすとは。一体、何があったというのだろうか。

十月二十一日
今日は特に何かあったというわけではないけれど、一つ気になることがある。
昨日の日記に書いてあった山本とは一体誰だ。友人に山田や山村は居るが、山本なんて一人もいない。
とはいえ、『言いにくいことを無理に聞き出すのが良心に反する』というのは確かに私が常日頃から思っていることだし、日記のテンプレートも筆跡も間違いなく私のものだ。
誰かが私の日記を盗んで書いた、そんなことはあり得ないだろう。何より、わざわざこんないたずらをする酔狂がいるものか。うちの姉貴でさえ、こんなことはしないというのに。
兎にも角にも、書くとき以外は金庫に入れておけば誰も手は出せないはずだ。

十月二十二日
今日は私の部屋を間借りしている姉貴の誕生日だ。
昨日気づいた山本の存在が胸に引っかかっていた私は、今日の昼になるまでそのことをすっかりと忘れていた(気づいたのはスケジュール帳に書いてあったからだ)。
とりあえず夜勤明けの姉貴に連絡を入れると、新しい化粧品が欲しいらしい。とはいえ、いつも百円ショップの化粧品で適当に化粧をしている私では、何処にあるのか見当もつかない。そういうことなので、どこで買えるのかと聞くと私の職場の近くだということだ。
ということなので化粧品を買って家に帰ると、姉貴は喜んでくれたようだった。ああいう姿を見ると、送った側も嬉しいものだ。

十月二十三日
まただ。
おかしい。
存在しないはずの山本に次いで、私は一人っ子のはずなのに。
姉貴とは誰だ。遠方に住んでいる両親に聞いてみても、私は間違いなく一人っ子だった。実家から持ってきた何枚かの写真に写っているのは、父と母と私だけだ。
金庫には間違い無く入れている。それどころか、この部屋に住んでいるのは私だけのはず。
空き巣に入られたか? いや、そんな馬鹿な。鍵を壊された形跡も部屋を荒らされた形跡もない。
それとも存在しない姉貴に書かれたか? それこそ愚にもつかない考えだ。存在しないのに、どうやって書くというのか。
なにより、やはり筆跡は私のもので間違いない。同じ内容をトレーシングペーパーに書いて重ねて見ても、筆跡から字間まで殆ど同じだ。
どういうことだ。一体、私に何が起きているんだ。

十月二十四日
昨日、久しぶりに連絡を入れたからなのか、母が心配して電話をかけてきた。
とはいえ、遠方に住んでいる母を無為に不安にさせたくない。それで、「ちょっと飲み会の席で家族関係についての話になったんだ」と嘘をついてみたものの、勘の鋭い母には通用しないようだった。
仕方なくここ数日見つけた存在しない人の話をしたところ、似たような話を母も聞いたことがあるというのだ。尤も母が言うには所有者不明の日記の話だそうで、今はもう亡くなったひいおばあちゃんからずいぶん昔に聞いて、細部はほとんど覚えていないとのことだった。
けれど、日記の内容は友人や家族のような周りの人間がどんどんいなくなっていくという内容で──もちろん書いた人は両親を除き、彼らのことを覚えていない──最終的には、自分が消えることを悟った日付で日記が終わっていた。そしてその日記は、誰も住んでいないはずの団地の、空き部屋から見つかったそうだ。
怖がらせるつもりは無いと言っていたけれど、私はどうにも母の話が気になってしまう。
その書いた人、まるで今の私みたいじゃないか。
とりあえず、母からは「無理して働くんじゃないよ」とは釘を刺されたが……まさか、いつか私まで消えてしまうのか?

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十月二十五日
狂ったのは私か?
それとも世界の方が狂ったか?
母は私が小さい頃に事故で死んだはずだ。なのに、なぜ昨日の日付で、母と、話しているんだ。
あり得ない。私は荒唐無稽なタイムトラベル物の主人公じゃないんだぞ。どういうことなんだ、なんで母が生きているかのように日記が書かれているんだ。
何度も電話をかけて、父にも確認した。やっぱり、母は私が小さい頃に死んでいる。二人が二人して間違えるなんて有り得ない。
意味が分からない。訳が分からない。誰か教えてくれ。

十月二十六日
遠方で独り暮らしをしていた父親が私のもとを訪ねてきた。突然の事だったから、どうしてと聞くと、昨日の私の様子があまりにもおかしかったものだから不安になって見に来たというのだ。
父は「家事は全部やるから、お前はゆっくり休みなさい。仕事も休んでいいから」と言ってくれて、今はキッチンで夕食を作ってくれている。
私は父に全部を任せて、日記を書いている。まだ日は沈んでいないけれど、書けることは書いてしまえ。
残りはまた寝る前に

いったい私は何を書いているんだ。

父は母と一緒に死んだはずだ。なのに、どうして今、目の前に父がいるような内容で日記を書いているんだ。
確かに料理の匂いもする。小さい頃に好きだったカレーの匂いだ。目の前で鍋が湯気を立てている。そうだ、間違いなく目の前で料理が、誰が料理を?
そこにいたのは、誰?

十月二十七日
昨日の夜から、ずっと寝れていない。
何も食べていないけれど、おなかも減らない。
胃の上を締め付けるような焦げ付いたカレーの匂いがキッチンからしてくる。でも、食べる気にも触れる気にもなれない。今ほど、コンロに付いていた自動消火機能を有難く思ったことはない。
どうして、私は何も覚えていない?
一日かけて、何年も書き続けてきた日記を読み直してみた。その中には山本がいた、姉貴がいた、小さい頃に死んだはずの母と父がいた。
なのに、私は誰一人として覚えていない。

まるで消えてしまった。

そうだ。皆、本当は居たんだ。でも、どうしてなのか消えてしまった。

分かっているのは、覚えていないのに確かに消えてしまったこと。

一人、また一人と消える。

じゃあ、次は私が

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2018年8月28日


田舎に住んでいる祖父母のところへ帰省した少年は、収穫中のトウモロコシ畑に白いワンピースの少女の姿を見るが……。怪談四部作最後の物語。

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 海の近くに建ててある倉庫の戸を開けようと、取っ手に手をかけた時だった。
『次は誰が話す?』
 ふと、中からそんながさついた男の声が聞こえてきた。
 俺は首をかしげる。はて、倉庫を誰かに貸した記憶はない。それに先ほどまで、南京錠でしっかり鍵をかけていたはずなのだ。だのに、中から声が聞こえてくるとは。
 思い切って、戸に耳を当てる。こっちのほうがよく聞こえるはずだ。
『あ、じゃあ僕が話します』
 少年の声。ちらほらと聞こえる声からして、男二人、女二人といったところか。
 賊なら一刻も早くしょっ引いて駐在さんに渡すのだが、どうも口ぶりや音からしてそういう連中ではなさそうだ。はてさて、なおのことわからなくなってきた。侵入したのにもかかわらず、逃げずに居座って話し合うなんてことをするとは。
 俺が耳をそばだてたままでいると、少年の声でなにやら話が始まった。
『これは僕の話なんですが……』

「じいちゃん暑いー」
 僕がそこら辺にあった大きな石に腰掛けると、麦わら帽子をかぶったじいちゃんが顔を上げる。しわしわで茶色いシミだらけの顔が、帽子の中に見えた。
「子供にはきつかったか。いいよしんちゃん、少しそこで休んでな。喉乾いたら、近くの井戸水でも飲んでるといい」
「はーい」
「ただし、トウモロコシ畑の中には入っちゃいけないぞ。今は収穫時期だから、危ないからな」
 ぐるぐると周りを見る。目の前にはじいちゃんが近所の人と一緒に育てている、トマトとかきゅうりとか、なすとかが植えてある畑。右側には農家の高橋さんが育てている、僕の背丈よりも高いトウモロコシの畑。左側にはなんだかゆらゆらしている、誰もいない商店街。周りを見回しても楽しそうなものはなかった。
 かっちゃんとかよしくんと遊ぶのは明日の夜だし、ともちゃんと遊ぶのは明後日。明日からは忙しいのに、今日はなんにもすることがない。家にいるのも退屈だったから着いてきたのだけれど、こっちもこっちで退屈だった。
 その時、トウモロコシ畑の中に入っていく子が目の端っこの方で見えた。白い帽子に白い服みたいで、なんとなく女の子みたいだった。
──あんな子いたかな?
 大体この街にいる子たちとは友達だから、姿を見れば誰かわかるはずなのに。なんといっても、あんな服を着ている子を見たことがない。
「誰だろう」
 僕は座っていた石から飛び降りる。じいちゃんはトウモロコシ畑に入っちゃいけないと言っていたけれど、僕ならきっと大丈夫だ。
 それでも怒られるのが怖いから、ちらっとじいちゃんの方を見る。土いじりに真剣になっているみたいで、僕の方は見ていないみたいだった。
 僕はじいちゃんに気づかれないように足音を立てないよう注意しながら、ゆっくりとトウモロコシ畑の中に入っていった。

 畑の中はほとんど先が見えないし、ふかふかとした土に足を取られるせいで歩きにくい。それでも女の子が歩いて行った場所は変に沈み込んでいたり、トウモロコシの茎が折れていたり傾いていたりするおかげで、後を追うのはそんなに難しいことじゃなかった。
 青臭い葉や土のにおいを嗅ぎながら、茎や葉をかき分けて畑の中を歩いていく。遠くからエンジンみたいな音が聞こえてくるけれど、あの女の子が誰なのかってことのほうが気になった。
 もしかしたら、この町に新しく引っ越してきた人かもしれない。僕はいつも街にいるから、そういうことなら知らなくて仕方ないはずだ。
 でも、昨日会ったさっちゃんは引っ越してきた人がいるなんて話、少しもしていなかった。さっちゃんはこの町に住んでいるから、そういう人がいれば知っているとおもうけれど。
──多分、さっちゃんは僕に話すのを忘れたんだ。きっとそうなんだ。
 ふと手をかけたトウモロコシの実が折れ、地面の方からごろんという重い音が聞こえてきた。
 その音でハッとして、あたりを見回す。でも僕の周りにあるのは、僕よりも背の高いトウモロコシと、ふかふかとしているせいで足跡なのか凹みなのかよくわからないものがたくさんある畑の土だった。
「あれ……」
 急に心細くなって、目の端が熱くなってくる。
──どの方向から歩いてきたんだったっけ。
 もう一度周りを見てみても、僕が歩いてきた方向を教えてくれそうな人は誰もいなかった。泣きそうになるのを必死に我慢して、いろんな方向へ歩いてみる。でも、歩きにくい地面をいくら歩いても、周りにはトウモロコシしかない。
「どうしよう……」
 こんな広い場所で迷子になっちゃった、そう思うと心細くて、いよいよ涙があふれてきた。
 その時、僕の前から女の子の声で「こっちだよ」という声が聞こえてきた。
「誰?」
「こっちだよ、こっちこっち」
 声の方向へと歩いてみる。もしかしたら、僕を探しに来てくれた誰かかもしれない。
 一歩一歩歩く度に、女の子の声は大きくなっていくような感じがした。同時に、どこからか聞こえてきていたエンジンの音もはっきりしていった。

 しばらく歩いて足も痛くなってきたころ、ようやくトウモロコシ畑が途切れているのが見えた。そこの開けた地面には刈り取られて丈が短くなっているトウモロコシの茎がいっぱい並んでいる。
 僕は開けた場所とトウモロコシ畑のちょうど境目の場所に立って、顔だけ出して女の子の姿を見ていた。
 開けた場所の真ん中に、女の子の後ろ姿が見える。僕は思わず、声をかけた。
「ねえ、誰?」
 返事はない。もしかしたら、さっきから聞こえているエンジンの音のせいで僕の声が聞こえてないのかもしれない。僕はもっと声を張り上げて、女の子に叫んだ。
「ねえってば」
 その声に気づいたのか、女の子がぐるっと回って僕に顔を向ける。
 けれど、そこにあったのは顔じゃなかった。
 体の前半分はまるで、片面が赤色、もう片面が茶色の折り紙をめちゃくちゃに切り刻んで人の体の形にばらまいたみたいに見えた。目も鼻も、口も何もかにも、区別できないくらい無茶苦茶だ。どう見たって、生きている人間じゃなかった。
 その時、僕のすぐ近くからとんでもなく大きなガサガサ、ひゅんひゅんという音が聞こえてきた。
 振り向くと、回転する籠みたいな道具と櫛みたいな金属、そしてフロントガラス越しに驚いた顔のおじさんが見えた。

『……これが、僕の話です』
 口々に感想を言い合う声が倉庫の中から聞こえる。
 どこかで聞いたことがあるような話だ。しかし、怪談をしに不法侵入をするような人間がいるとは思わなかった。
 兎にも角にも、勝手に入られて中のものを壊されちゃまずい。
 そう思った俺は戸の取っ手に手をかける。
「誰だ」と叫びながら戸を開け、真っ暗な倉庫の中に手を突っ込んで電灯のスイッチをまさぐる。ほどなくして俺がスイッチを入れると、数回点滅したのちに明かりが倉庫の隅から隅までを照らした。
 だが、その倉庫の中には誰も、誰一人いなかった。

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肝試し 2018年8月22日


『鬼を封じた』と言われる廃寺へ、肝試しに行ったグループ。だが、彼女は自分が同じところを通っていることに気が付き……。怪談四部作、三つ目の作品。

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「──これが私の話です」
 ぼそぼそ話す声が聞こえる中で、突然一番目の男の人が「結局、あの蛇は何もんなんか?」と女の人に聞いていた。
「わからないんですよね。彼に聞いたら、わかるかもしれません」
「ほうか。まあ、もしやあれかもしれんな」
 僕が「あれ、ってなんですか?」と聞くと、「いや、場所によっては大蛇の伝承、いわゆる昔話があってな……蛇の祟り、悪さを治めるために若い女をささげるということが昔からあったんよ。つまりは人身御供やね」という答えが返ってきた。
「じゃあ、贄って言ってましたし、そういうことかもしれませんね」
「かもしれん。それで、次はだれが話す?」
 そのとき僕の隣に座っていた、声の高い少女が手を挙げた。
「あ、じゃあ。あたしの知ってる話なんですけど──」

「今から行く場所は、ガチのマァジで、ヤヴァい場所だから」
 運転しながら、お調子者の秀平が変に抑揚をつけて、あたしたちを怖がらせようと変な声で話し始める。けれど調子が可笑しくて、助手席に座っていたあたしは思わず笑ってしまった。
「んだよ、香織。いまから怖い話しようってんのによ」
 興を殺がれた秀平が、拗ねてあたしに話しかけてきた。
「あんたの話し方が悪いんだって。で、ヤバい場所ってどういう意味よ」
 話し始めようとする秀平を遮って、あたしたちの中では真面目な啓太の「ある伝承がある場所だよ」という声が後部座席から聞こえてきた。
「おい、お前も邪魔すんのかよ」
「俺が話すから、てめえは運転に集中しやがれ」
 ぶりっ子の──あたしがそう思ってるだけだけど──七海が、「えー、啓太くんどういう話―?」と耳障りな猫撫で声で、七海の隣に座っている啓太にすり寄る。正直な話、あいつの声を聴くと気分が悪いっていうのに、秀平が七海を肝試しにさそったらしい。
──いつものことだけど、余計なことを。
 頭の中でぼそりと愚痴ってから、啓太の話に耳を傾けた。
「あの廃寺がある場所、江戸時代にあった飢饉のときに伝染病がはやったんだと。で、あの当時はそういうの全部、鬼とか恨みのせいにしてたからさ。寺に鬼を封じることで、伝染病を終わらせようとしたんだ」
 啓太が言うのだから、間違いないはずだ。けれど、鬼を封じるなんて方法で伝染病が収まるとは思えない。というより、鬼と言っても肌の赤い角の生えた虎柄パンツのイメージしかない。
「え、どうやったの?」
 あたしの質問に、啓太はすぐに答えてくれた。
「感染者全員を寺に封じて、餓死させたらしい。感染者は鬼が憑いたってことにして、鬼を祓うって名目で死ぬまで隔離したわけだな。あと脱走対策に寺の周りを鈴で囲って、脱走してもわかるようにしたうえで、脱走者は殺したんだとか。まあ、そんな現代でも通じる方法をとったもんだから、数週間もしないで感染は終息したらしい」
「えー、さっすが啓太くん。詳しー」
 七海の甲高い声に辟易しながら、後部座席をのぞき込んで「なるほどねえ」と頷く。
「おい、そろそろ見えてきたぞ」
 秀平の声が聞こえる。前方を見ると、いかにもという雰囲気を漂わせた墓地がヘッドライトの明かりに浮かんでいた。

 秀平に手渡された小さいペンライトを手のひらの上でもてあそぶ。明かりをつけて辺りを照らしてみると、軽い割にはずいぶん明るくて頼もしいし、結構な距離まで照らせるみたいだった。
「じゃ、一人ずつ行って」秀平が車のトランクから仏花を四つ取り出す。「こいつをそのお堂においてきて、戻ってくればオッケー」
「墓参りじゃあるまいし、仏花とはな」啓太が首をかしげる。「無縁仏をお参りするのは、あんまり褒められた行為じゃない。今まで誰も興味を示してこなかった場合は特に、な」
「お、ビビってんのか啓太」そういう秀平の声は震えていた。
 啓太がはぎとるように仏花を手に取り、「なに、そう言われてるってだけだ」
「……じゃ、行く順番はくじで決めるからな」
 秀平が取り出した爪楊枝製のくじを引き、順番を決める。あたしが一番、その次が秀平、七海と続き、最後は啓太の順になった。
「香織、お前が一番だってよ」
 啓太に背中をたたかれ、あたしは前につんのめる。
「ったく。レディに暴力なんて、嫌われるよ」
「お前がレディを騙るな」
 七海が「そんな力加減しない啓太君もかっこいー」とかなんとかいいながら、啓太に抱き付く。顔を見る限り、うっとうしく思っているのは啓太も一緒らしい。
「おい、仏花」
 秀平があたしに仏花を手渡す。あたしは左手に仏花を持ったまま、右手にペンライトの紐を巻き付けて外れないようにしてから、深呼吸を数回繰り返した。
──大丈夫。誰もいない、何もいない……。
 そう思いながら、気が落ち着くまで待つ。
 しばらく深呼吸していると、気分が落ち着いてきた。
「じゃ、いってくる」
 ライトで足元を照らしながら、あたしは墓地の入口へ歩いて行った。

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 あたしは手ごろな木の幹に手をついた。試しにライトであたりを照らしてみても、光が闇に吸い込まれてしまうみたいに三メートル先も見えない。まるで、ここだけ切り取られているみたいだった。
「どうして、どこまで回っても寺につかないの……」
 時計を見る。あたしが墓地に入ってから一時間。おかしい、いくら秀平とはいえ、こんな馬鹿みたいに長い肝試しをさせるとは思えない。
 考えたくない可能性に思い至って冷や汗が下着を濡らした。あたしはその考えを振り払う。
「くそ、本当に回ってるなら……」先ほど手をついていた木に、持っていた仏花を差し込む。「また、ここに戻ってくるはず」
 ライトで辺りを照らしながら、あたしは走り始める。
 光の中に浮かび上がる、古ぼけて風化した墓や折れたり朽ちたりしている卒塔婆、青々と茂った明らかに手の入っていない藪。何度見たかわかったもんじゃない。
 そんな風景を無視して走り続けていると、五分と走っていないはずなのに、仏花が刺さったままの木を見つけた。
「うそでしょ?」
 こんな馬鹿な話があるわけがない。一本道なのに、道に迷うわけがない。いよいよ、訳がわからなくなってきた。
 その時、携帯電話が着メロを奏でる。見ると、啓太からの電話だった。すぐにあたしは携帯を開いて着信ボタンを押し、電話を耳に当てた。
「啓太?」
『おい、香織。大丈夫か?』
 聞きなれた声に思わずへたり込む。あの声が、こんなに安心するなんて。
「おかしいの、同じ場所ばかり回ってる。どうやっても、お寺につかない」
『わかった、よく聞いてくれ。俺たちは全員、廃寺に着くことができた。だから、確実に寺はある』
「だよね。あたし、間違ってないよね?」
『ああ。だが……とりあえず、俺たちも探しに行くから。目印はあるか?』
 あたしはライトで辺りを照らしながら、目印になりそうなものを探す。けれど、先ほど仏花を刺した木以外、目印になりそうなものはなかった。
「えっと、大きな木がある。仏花が挿してあるから、それが目印になると思う」
 何時間にも感じるほどの、長い間。誰かと話しているのか、ひそひそという声も聞こえてくる。
『道の……なんてあっ……か?』
『啓太君……見て……よ』
『俺も昼間に下……ない。あいつ……いるんだ』
 やっと、啓太が口を開いた。
『分かった、木だな。そこで待ってろよ、何があっても動くんじゃ──』
 突然、電話が切れる。慌てて画面を見ると、アンテナがゼロ本。
 圏外だ。
「は? うそでしょ? なんでこんな場所で? え? さっきまで通じてたじゃん」
 震える指で電話帳をたどって、登録しているはずの啓太の電話番号を探す。
 その時だった。
──ちりん。
「え……?」
 今まで一度も聞こえてこなかった、ぞっとするほど澄んだ、鈴の音。でも、どこから聞こえてくるのか分からなかった。
──ちりん、ちりん。
 その音が、全身の毛をそばだてた。ペンライトで辺りを照らしてみるものの、音の原因らしいものは見つからない。
「なに……?」
──ぢりん。
 いくつも連なった鈴が一斉に鳴るような不協和音。あたしはこの時、啓太の話していたことを思い出していた。
『脱走対策に寺の周りを鈴で囲って、脱走してもわかるようにしたうえで、脱走者は殺したんだとか』
「うそ……でしょ?」
 もし、この音が廃寺から聞こえてくるのだとするなら。
 そして、廃寺の中から感染した人たちが這い出ようとする音なら。
──ぶちぃ。
 太い縄がちぎれるような音。
 その瞬間、下半身から力が抜けるのを感じる。何とか立とうとしたけれど、腰が抜けてしまったようだった。逃げないといけないという焦り。どこに逃げればいいのかわからないという恐怖。その二つが、あたしの体を乗っ取ってしまったみたいだった。
 そのまま茫然としていると、ふと気配を感じて振り返る。
 そこには、『鬼』がいた。
 耐えがたいほどの怒りと苦痛を表すかのような赤い肌と、筋骨隆々の体躯。腰には申し訳ない程度のぼろ布。けれど頭の部分には、やせ細ってしわくちゃになった老若男女の顔が、目や鼻がかろうじてわかるくらいに詰め込まれていた。
 その鬼が、あたしを見下ろしていた。
 あたしかそれとも鬼か、息を吸い込む音が聞こえる。同時に携帯を落とした音が、地面の方から聞こえてきた。
「あ、ああ……」
 目の前の非現実に、無意識に喉の奥から声が出た。
 不意に鬼があたしをつかんで肩に担ぎ上げる。そのまま、どこかに向かって歩いて行った。
 あたしは抵抗することも声を上げることも忘れて、鬼に担ぎ上げられるまま、自分のことではないかのように外側からその光景を眺め続けていた。

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盆踊り 2018年8月17日


彼氏と一緒に祭に出かけた女性は、ある祭で催された盆踊り大会に参加することを決めるが……。怪談四部作、二番目の物語。

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「──これが、俺の話だ」
 口々に話の感想を言い合う。頃合いを見計らって、あたしは「じゃあ、次は誰?」と促した。
 すると、あたしの対面に座っていた女の人が──面白いことに、今回は男女が二人ずつバランスよくそろっていた──手を挙げた。
「じゃ、あんたの話を」
「わかりました。これは、盆踊りに参加したある少女……というには、少し年を取り過ぎていますが。そんな女性のお話しです──」

「向こうに焼きそば売ってたけど。凛香、食べる?」
「もうお腹いっぱいだし……あ、りんご飴」
 彼があきれたように肩をすくめ、「おかしいな、お腹いっぱいって言ってなかった?」
「甘いものは別腹だよ。おじさん、りんご飴二つ」
「あいよ」
 手渡された二つのりんご飴の代わりに、100円をおじさんに手渡す。
「え、二つ食うの?」
「そんなわけないでしょ」りんご飴を一つ、彼に手渡す。「はい。祐樹、あんたつまみ食いするんだから。先に渡しちゃおうと思って」
 受け取って「一人で一つ食うのはつらいんだけどな」なんてぶつくさと言いながらも、りんご飴をなめ始めた彼を眺めつつ、私は自分のりんご飴にとりかかる。少し甘ったるいけれど、酸味の強いりんごの部分に差し掛かると味がちょうど釣り合う。この味がたまらない。
 その時、近くのスピーカーからアナウンスが聞こえてきた。
『七時から盆踊り大会を開催いたします。飛び入り参加も歓迎ですので、奮ってご参加ください』
「盆踊り大会だって」
 彼が頬を掻く。
「へえ、盆踊りか。そういえば、盆踊りって昔は鎮魂の意味があったんだって」
 そんな話をされると、少し怖くなってくる。もちろん彼にそんな意図はないのだろうけれど、空気を読まないのが彼だ。それに、私が無類の怖がりだと知っているはずなのに。
「盆には死者が帰ってくるから?」
「そうそう。お面かぶったりして人相を隠すことで死者に扮し、そうして踊り始めるってやつ。ただルーツが多すぎて、地方ごとにいろいろあるんだ。地元で信仰している神への捧げものとしての踊りって意味もあるみたいだし」
 相変わらず、そういう雑学に詳しい。私が頷いていると、「まあ、今じゃそんな風習廃れてるけど。むしろ地元でのコミュニケーションの場として使われる方が多いだろうね。江戸時代とかは男女の出会いの場だったらしいし」と補足した。
「じゃあ、死者に連れていかれるなんてことはないんだね」
「そんなの怪談の中だけだよ。円を描くのって、宗教的な意味は強い行為だけど」彼が首をかしげる。「まさか、怖かったの?」
 私は気まずさから目をそらす。どうせ気づかれるだろうけど。
「まあ、あくまで伝承だから。大丈夫だよ。怖くない、怖くない」
 いくらフォローがあったところで、今の話を聞いた後に一人で踊るのは怖い。
「一緒に踊ってくれない?」
 彼の手を取って誘ってみるけれど、彼は首を横に振った。
「踊り苦手だし……大丈夫だって、俺も見てるから」彼が肩を軽くたたく。「ほら、参加したいなら行ってきな」
 心細いまま、私は頬を膨らませた。
「私になんかあったら、あんたの責任だからね」
 気のない彼の、「はいはい」という返事。私は彼にあっかんベーをしてから、盆踊りの集団に向かっていった。
 歩きながら周りを見ると、水色や藍、赤のような色とりどりの浴衣や甚兵衛を来た人たちが、ぞろぞろとやぐらの周りに集まってきていた。中には洋服の人もいて、ちらりほらりと近所のおじさんやおばさんの姿も見える。
 もう一度、彼の方を見て手招きすると、彼は首を横に振って手を振り返す。やっぱり、一緒に踊ってくれないみたいだった。

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 夜の七時を回ったころ。
 最後に聞いたのはいつだっただろうか、なんとなく聞いた記憶のある音頭が流れ始める。それと同時にやぐらを中心にして、私たちはぐるぐると回り始めた。
 なんとなく体が覚えている踊りとともに、私はさっき聞いた話のせいで怖いの半分楽しいの半分のまま、踊りつづける。
 どうしてあのタイミングであんな話をするのだろう、なんてことはとっくの前に考えるのをやめていた。なんて言ったって、彼は私がトイレに行く前に『赤い紙青い紙』の話をしたり、古ぼけた非常階段を昇っているときに『魔の十三階段』の話をしたりするのだから。
 加えて、本人に聞いたけれど私を怖がらせる気は全くないらしいので、なおのこと質が悪い。
 ふと、いつの間にか聞きなれない音頭に代わっていた。太鼓や鈴、笛のような音も混じっているようで、なんとなく古ぼけた感じがするのは気のせいだろうか。
 踊りながら周りを見渡す。すると、周りにいる人全員が白装束を着込み、歌舞伎の女形のように白粉を塗っていた。
 いつの間に着替えたのだろうか。それとも、踊り子が代わったのだろうか。けれど、そんなタイミングもアナウンスもなかった。いくら物思いにふけっていたって、アナウンスを聞き逃すとも考えられない。
「あれ……?」
 ぼそりと呟く。その時、音頭と踊りが止まった。
 勢いあまって前の踊り子にぶつかり、「ごめんなさい」という声が出る。すると、私がぶつかってしまった踊り子が、私の方を振り向いた。
「生者か」
 ここら辺では聞いたことのないイントネーション。声からして、女性だろうか。
「はい?」
「生者か」
「え?」
 その時、肩をつかまれる。振り返ると、白粉を塗った別の踊り子に肩をつかまれていた。
「生者だ」
 女性とは思えないくらい強い力。骨が折れるかのような痛みが、肩に走った。
「痛っ」
 何とか逃れようと体を振るけれど、拘束はほどけそうにない。周りには「生者だ」という声とともに踊り子達が集まり、体中のありとあらゆるところをつかみ始めた。
 何度も何度も「離して」と叫んだものの、踊り子たちは離してくれない。誰かに助けを求めて叫んでも、彼女たちの輪唱に阻まれてしまうのか、誰も声をかけてくれなかった。
 私はもみくちゃに引っ張られながら、中央にあるやぐらだった場所に連れていかれる。
 けれど、そこに建っていたのはやぐらではなかった。
 まるで神社の本殿のような場所。でも、そこにいたのは木の幹よりも太い胴体を持った、茶色い蛇だった。
「贄か」
 思いもよらない、現実ではありえない光景に足がすくみ、その場に崩れ落ちる。頭が真っ白になって、どうすればいいのかもわからないまま、私はその蛇と目を合わせていた。
「頂こう」
 蛇が首をもたげ、車ほどもある口を大きく開ける。まるでゾウの牙のような白い牙、血にまみれたかのような赤い口。そして奥には、無間にも等しい黒い闇。
 そうして、動けないまま口を見つめていた私の目から、色が消えた。

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海辺 2018年8月15日


怪談をするために集まった四人。そのうちの一人が、「地獄の釜の蓋が開く」とされる、お盆の海辺を散歩した男の話をし始める……。怪談四部作、一つ目の物語。

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 真っ暗な部屋の中で、私たちは円を描くように向かい合っていた。それぞれの顔も体も見えない、声しか聞こえない空間。
 ふと息を吸うと、濃密な海のにおいが鼻に残る。海藻の乾いたような、体にまとわりつく塩気のある臭い。同時に空気が湿り気を帯びているように感じるのは、私たちがいる場所の近くに海があるからだろうか。
「じゃあ、だれから話す?」
 参加者の一人が、声変わり前のざらざらとした声で皆に呼びかける。すると、私の隣に座っていた男が「ならば、俺が話そうじゃないか」と声を上げた。
「では、一つ目の話ですね」
「これは、ある一人の男が体験した話なんだが──」

 盆の夜、親戚が集まって酒盛りをしている最中、俺は外に出てあたりをぶらぶらと散歩していた。
 というのも、俺の親戚というのはどうも酒癖が悪く、宴もたけなわになると下戸の俺にすら酒を飲ましてくるのだ。元より酒癖の悪い父親を見てきて、さらには酒も飲めないともなれば、飲まされるのを嫌うのも当然のことで。
 俺は一人宴会を抜け出して、こうやって夜風を浴びに来たのだった。
 ふと、前を見ると自転車の前照灯が見える。ほどなくして、俺と同級生だった美紀が自転車に乗っているのがわかった。
 自転車が俺の目の前で止まり、美紀が下りてくる。
「あれ、一郎。なんでこんなところにおるの?」
「なんだ、夜の散歩にすらお前の許可がおるのか。それに、お前も人のことは言えまい」
 暗くてよく見えないが、たいていこういう口の利き方をすると美紀は怒って頬を膨らませる。今日もきっと、そうだろう。
「叔父さんたちのお酒が無くなっちゃったから、鈴木さんのところで買い足しに行くんよ。そいで、あんたは何してんのさ」
 鈴木さんというと、商店街で酒を売っているあのおじさんのことか。確かに、ここで酒を買うとなるとあの人くらいしか思いつかない。
「おっさん達から逃げてきた。で、夜の海でも見に行こうかと思ってな」
 不自然な間。
「……やめたら? というより、買い物付き合ってくんない?」
 俺は顔をしかめる。自分のすることに口出しされたというのもあるが、美紀がこういう時は何かあるときなのだ。寺の娘だからというのもあるのだろうが、危ないことに対する嗅覚は、俺の知っている誰よりもよく利く。
「なにかあるんか?」
「あんたは信じない気がするけど、盆の海は地獄の釜の蓋が開くんよ。小さいころ言われんかった、『盆の最中は、海で泳ぐんでない』って」
「迷信だろう。確かに盆の最中に海で泳いで死んだやつは多いが……見に行くだけなら、危なくもなかろうよ」
「そうでもないんよ。檀家さんにもおるんよ、夜に海から腕が出てるの見たって人」
 俺は頬を掻く。美紀はうそをつくような子でもない、というよりは嘘が苦手だ。こいつのせいで、悪ガキだった俺は何度先生から殴られたことか。
「ふうん……」
「それにさ、うち一人で夜の街歩くの怖いからさ。あんたが一緒に来てくれりゃええかな、って」
 その言葉に思わず笑う。
「お前を見たら、どんな奴でも逃げるわい。露出狂を巴投げしたのは、どこの誰だった」
 怒ったような「あれはまた……」という声の後、「まあ、とりあえず止めたかんね。なんかあったら、うちのところ来るんよ」
「わかったわかった。なんもないとは思うがな」
 美紀が自転車にまたがり、俺に手を振ってから商店街の方に漕ぎ出す。俺はというと、その後ろ姿を見送った後、砂浜に向けて歩き出した。

 昼間には海水浴客であふれる砂浜も、今は人っ子一人おらず、聞こえてくるのは波の音だけだった。とはいえ遠くに目を凝らすと、貨物船かなにか、大型の船の常夜灯が見える。
 俺は砂浜に腰を下ろす。海風が気持ちいい。台風が通り過ぎたおかげで天気が良くなったからか、海の様子も穏やかだ。元より入る気はないが、泳いでも溺れるとは考えにくい。
 ぼんやりと見える地平線を見つめながら、俺は美紀の話を思いだしていた。
 確かに『盆の海には入るな』とは昔からよく言われ続けてきたのだ。いつもは飲んだくれている父親も、盆の時に海に行こうとした時だけは血相を変えて引き留めてきた。それに、盆が終わると必ずと言っていいほど、河口に水死体が流れ着いたというニュースを見てきた。
「盆には地獄の釜の蓋が開く、ねえ……」
 いくらでも科学的な説明はできる。盆の時はああやって宴会をするせいで、酒が入る。すると体温調節のタガが外れて熱くなった酔っぱらいは、海に泳ぎに行こうと言い出す。そうして泳ぎに行くのだが、アルコールは運動能力を低下させるのだ。さらに、夜は視界が利かないせいで、溺れていても気づかれにくい。
 だから幾ら泳ぎが得意でも、盆の海に繰り出してしまうと溺死する、というわけだ。
「簡単な話じゃないか」
 ぼそりと独り言つ。それでも美紀が檀家から聞いたという、海から出てきた手の話は説明がつかないのだが。酔っぱらいの見間違い、それだけで片づけていいものか。
 ふと、俺の目に何か白いものが写る。
 そっちの方を見ると、海からにょっきりと白い腕が生えていた。
「なんだ……?」
 もしかして、溺れた人かもしれない。だとしたら、助けに行かないと。
 そう思って立ち上がった瞬間、金縛りが俺を襲った。
 息ができない。指の一本も動かせない。ただ見開いた眼で、生えている白い腕を凝視することしかできない。
 そのまま白い腕を見つめていると、腕の近くから一本、また一本と腕が伸びる。どんどん、どんどんと何本も腕が生えてくる。
 さして時間もかからず、海から生えてきた腕は白波と取って代わる。その光景を息も出来ずに眺めて居た俺へ、白い腕は手招きし始めた。
 それと同時に、足だけが海に向かって勝手に動き始める。まるで、自分が操り人形になったかのような感覚。自分の意志に反して体が動く感覚を体験するのは、初めてだった。
──このままじゃ、海にはいっちまう。
 抵抗しようにも、体のどこも動かない。俺の足はすでに海の中に浸っていた。スニーカー越しに、夏なのに妙に冷たい水の感触を感じる。
──止まれ、とまってくれ。
 そう考える間に、すでに膝まで浸っていた。
 水の流れに足を取られ、バランスを崩す。溺れそうになりながら必死に海の中で目を開くと、水の中には、腕だけがミミズのように蠢いていた。
 泡沫と化した悲鳴が、口からあふれ出る。
 俺は腕に捉まれて、そのまま暗い海の底へと引きずり込まれていった。

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